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お日柄

 待ち合わせをしている時に、ふと、家の前の見慣れた木の下から見上げたら、はじめて顔を拝見した気がした。つい先日のこと。今日、街を歩いていたら、大きな木と出合ったので写真に収めた。顔馴染みではないので、どこを向いているかはわからない。「何の断りもなく写真を撮るなんて失礼な奴だ」と思われたかもしれない。

 「木に顔があるって?  どうかしちまったんじゃないか?」と言われたら「我々はどうでしょう?」と問い返してみよう。人には色々な顔がある。百面相どころか八百万である。ゆえに「自己」なんてものを確立しようとあれやこれやにしがみつくのではなかろうか。しかし、いくら顔を強張らせようと、破顔すれば「素顔」が現れる。

 制御すればするほど制御が難しくなる感情。自然にしていれば、吹き続ける風など存在しないように収まる。閉じ込められれば、何だって物理的に、精神的に脱出を試みるだろう。そもそも閉じ込めたのは誰だ?  ほう 「心を砕く」とは「真心を尽くす」という意味もあるのか。♩固い殻破れ  止め処なく溢れる思い  ああ 言葉にならない