行雲流水
ひとくくりにできない、ひとそれぞれ、ひとりひとり。誰もが唯一無二の軌跡を描いてはいるものの、感応し合う「何か」がある。その「何か」を言葉にすれば、侃侃諤諤、喧喧囂囂となるが、何の問題もない。また、問題視する必要もない。
古今東西、無数の「人生の意味」が提示されてきたが、万人が納得する「これ」というものは未だ嘗て存在したことがない。これからも同様、無限に「人生の意味」が提示されるであろうが、何の問題もない。また、問題視する必要もない。
満男「人間は何のために生きてるのかな」寅さん「難しいこと聞くなァ。何と言うかな、あー生まれてきてよかったなあって思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間、生きてんじゃねえのか」
そこかしこで目にする、1987年に公開された映画『寅次郎物語』での台詞である。「人生の意味」の探求者への向けての寅さんからのメッセージ。時に「何のために生きているか」という問いも含め、何もかもが愛おしくなったりする。
問いが止むことはないが、一度でも理解が頭から腑に落ちる瞬間を経験すると、氷を溶かす「風穴」が開く。近すぎて気づけなかった「自分」という大自然。百丈禅師曰く「独坐大雄峰」。当たり前すぎて気づけぬ「日常」という奇跡。