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『勇気が出るラジオ』を聴いて気づく、今の自分の現在地点

大野木睦子さんと末吉広臣さんのおふたりが更新されている『勇気が出るラジオ』を聴くのが好きだ。


いつも仕事中、ひとりで淡々と作業をしながら、バックミュージックがてら聴き流している。聴くたびに、いろんな思いや考えがでてくる。「なるほど、そんなふうに思うんだな」とか「その考え方、わかるわぁ」とか、「わたしは逆にこう考えてるな」とか。そして、深ぼる。「なんでわたしは、こんな風に思うんだろう?そのきっかけは何なんだろう?人生のどんな経験から、そういうふうに考えるようになったんだろう?」とか。

ふたりのラジオを聴いていて、よく思うことがある。それは、わたし自身は、この人生に対して「わっかんねー」って思っていて、「なるようにしかならんもんな」って考えている、ということ。

夢や目標みたいなものは、ふんわりとは持っている。もちろん。でも、とてもふわふわしている。はっきりとしたカタチがない。

それはなんでだろう?って深ぼってみる。すると、今のわたしの現在地点が、10年前の自分からは想像すらできなかった場所にある、ということに至る。

日本に住んでいて、ひとつの場所に定住したいと望んでいて、子どもがいて、子育てしてて、ママになってる。今のパートナーと、将来的にちゃんとした(ってどういうこと?の答えはまだ模索中)家族を築きたいと思っていて、普通に仕事して、お給料をもらって、普通に生活できたら、それ以上望むものがない。

そんな自分なんて、絶対想像できなかった。むしろ10年前の自分に「こんな未来どう?」って言ったら、全力で逃亡していた。というか、そんな未来から逃亡を試み続けたのが、わたしの10代と20代前半だったといっても過言ではない。

でも、なんの因果か、子どもができて、母になり、日本にほぼ強制的に帰国させられ、その直後に世の中はコロナ禍となり、現実的に日本から出国することが不可能となった。離婚するときも、自分で決めたというよりは、見えない力に追い詰められたという感覚が近かった。「ここまで追い詰められて、それでもまだ逃げますか?」みたいな。ていうか、もう、ここまできたら、選択肢ってひとつしかないですよね、実質。みたいな。


そうやって、流されるようにしてたどり着いた今この場所が、なんだかんだで、わたしは気に入ってる。こんなしあわせがあったんだな、とか。わたしが探し求めていた答えって、こんなところにあったんだな、とか。

ヘーゼルとグレーテルの青い鳥、みたいなものかもしれない。遠くまで探し求めていた宝物は、実は自分の家にずっとあった、みたいな。


そんな経験があるから、わたしは自分の意思で目標を作ることに、あんまり頓着できなくなってしまったように思う。だって、なにをどうしたって、道から外れていたら、強制的に宇宙からストップがかかるんだってことを、ひしひしと体感させられたから。それに、「今の自分」の思考で考えた望むものっていうのは、あくまでも「今の自分」に考えつく範囲を脱することができない。そのなかには、本当の意味でわたしが歩むべき道が、しあわせが、ないのかもしれない。

結局、わからない。
わからないなら、流れに身を委ねよう。

そんな思いが、根底にはしっかりと根付いているんだなって。『勇気の出るラジオ』を聴くたびに、自覚する。


そうはいっても、表面上は、いまだにあーだこーだとバタバタ足掻いてみたり、悩んだり、迷ったり、メンヘラこじらせまくっているんだけれど。その「ふたりの自分」が、時間の流れと共に、少しずつ近づいていくんだろうな、なんてことも、直感としてわかっている。

その時よ、早く来い。
と思うばかりだけど、まあ、ゆっくり進むのが今のわたしのテーマであり、課題らしい。

苦手です。すぐに答えがほしくなります。でも、人生は、そういうものじゃないらしい。その過程に、たくさんの綺麗なものがある。学びがある。美しさがある。そのことが、少しずつ、わかるようにはなってきた。成長だ。きっと。


遠い先の、ゴールを見つめる。そこに、答えは見えている。辿り着きたい境地がある。でも、わたし自身はまだ(もう?)30歳に足を踏み入れたばかりのヒヨッコで。人生これから。人生100年なんて時代においては、まだ子どもと言えるくらい。なんてのは、乱暴すぎるだろうか?でも、事実なんだよな。まだまだ、自分は子どもだと思う。ようやく、社会人1年目くらいに足を踏み入れはじめた程度。そんな感覚。

だから、そのギャップが、ジリジリする。見えてるゴールの先にいる自分は、もはや仙人。その境地はけっこうしっかり見えてる。なのに、現実の自分はまだヨチヨチ歩き。くそーってなる。だから、バタバタする。

とはいえ、ケセラセラが人生ですよ。たかが人間如きのわたしには、最善最幸なんて、わからないです。だから、流れに身を任せ、その都度悩みつつ、結局は行くべきところに導かれていくのでしょう。

そんな感じ。

言語化すると、意味わかんないかな。
諦めと、サレンダー、葛藤と、反発と、焦りや不安とが、同居してる感じ。すこしずつ、いい意味での諦め・サレンダーの範囲が、じわじわと、広がっている感じ。

そんな、感じ。
そんな自分で、今は良き、と思う。
いるべきところに、ちゃんといる。
迷う時期なのでしょう。そんな時期は、迷うことが正解。だから、迷うことを、ためらうことを、不安になることを、恥ずかしく思う必要はない。今、それを経験すべき人生のタイミングにいる。

だから、それも、全部、最善。ベスト。
そんな感じです。

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ねう | こころと身体の専門家
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