小鹿野歌舞伎が教えてくれる
ある編集者から「地芝居は好きですか?」と聞かれた。
それは、小鹿野歌舞伎を記事にする依頼だった。
「吉田さん、この内容、お好きかなと思って…」
その編集者は、ぼくが10年間、小鹿野歌舞伎の撮影に通っていることを知らないでそう言った。
ものすごい洞察力だ。
通っていることを伝えると、歌舞伎役者顔負けのしたり顔でぼくを見る(メールでのやりとりだったが、その表情が浮かぶように「やっぱり」と書かれた)。
そして、「では、行かなくても作れますか。もちろん行っていただいても結構ですが」とのこと。
そこで、早速、昨日、小鹿野へ行ってきた。
写真は今まで撮りためたものがあるが、改めて、小鹿野の人に歌舞伎について尋ねてみたかったのだ。
当日、出掛ける前にメールである方に連絡をして出発。ご自宅に伺って話を聞いた。それとは別に、たまたま行き当たった役者さんにも話を聞く。こんな風に、気軽に訪ねて話を聞けるのがありがたい。
ひととおり終わると、もう夕暮れ時だったが、小鹿野の風景を撮りに少し回ってみた。
その中で、数カ所ある舞台も行った。
いつもの、役者や裏方、観客たちでごった返す祭り当日とは違い、どこも戸が閉まり、ひとっこひとりいない。
ここに、あの幕の熱気が満ち溢れることが嘘のような静けさだ。
モノは使ってこそなんぼのものなんだな…
そう思いながらも、同時に、この空っぽの箱たちにいいようのない愛着が自分の中にあることに気付く。
ハレとケ。
歌舞伎をするみんなが作り上げるあの世界観を受け止める器と思うと、このポツネンとした佇まいそのものが愛おしくて仕方がない。
こんな感覚、10年通っていて初めてのことだった。
小鹿野は、ぼくにとって特別な場所だ。
それは、自分の住む町でもなく、故郷でもない。。。。なのに、何故だろう。
小鹿野は人ではないけれど、ぼくに取材や撮影のいろはを指南してくれる先生なんだ。
秋祭りが待ち遠しいな。
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