美しければ美しいほど浮かび上がる危うさ
取材で、かつて日本の首相を務めた人物の旧宅を訪ねた。
この建物の竣工が、ぼくが生まれた年と同じ1969年。
近代数寄屋造りというもので、数寄屋本来の質素を更に推し進めながら、やはり政府の頭を務めただけあって、豪快な空間の使い方と細部へ至るまでの拘りに溢れ、洗煉された瀟洒な世界が見事に構築されていた。
一国の首相が、さまざまな懸案について思いを巡らし、結論を導き出す複雑極まる作業をするとき、この清々しいほど無駄を削ぎ落とした端正な空間は、とても有効に違いない。
この家を建てた本人は、当時からエリート路線を走っていた人だが、戦争を経て刑務所へ入った経験もあり、いろいろな社会の一面を見てきた人物。だが、その後を継いだ一族は、生粋のサラブレッドといえる。
もし、彼らがこういう世界しか知らなかったら、それはそれで危うく、悲しいことだなと思ってしまった。
細い線を束ねて造り出したような世界観が美しければ美しいほど、同じだけ、その危うさが浮き彫りになってくる気がした。時代がそう見せるのかな。