気付けば刷り込まれている
畑の虫だったばぁちゃんは本当にたくさんの美味しいを
私たち鼻たれ同盟(孫7匹)に体感させてくれた。
それだけではなくて
どうやってオイシイを見分けるのか
それを日々の中で何度も何度も繰り返し教えてくれた。
それは野菜本来の香りを覚えこませる
ということ
まだ青いトマトと熟れたトマトの香り
栄養がしっかりある自己主張の強いトマトとそうでないトマトの香り
世にいう『トマト臭い』というやつ(・・・これ伝わりますか?)
トマトだけでなく、ナスやピーマンや大葉や赤しそなど
それぞれの美味しい香りを畑に行っては
『嗅いでみろ!どげ思う?(どう感じる?)』と繰り返し繰り返し。
そして
『いいか、
この匂いがするトマトがトマト、この匂いがするピーマンがピーマン』
繰り返し繰り返し嗅いで嗅いで嗅いで
鼻腔に畑が出来るんじゃないかと思うほど嗅ぐ。
そうやって存在が放つ香りを体に覚えこませてくれた。
ばぁちゃんの畑は商業用ではないので毎年必ず豊作とはいかない。
得てして土を休ませるときもある。
そんなとき、近所のお店で野菜を買うなら
この香りをしっかり見つけること。
それが出来れば、しっかりとした土と雨風が育てた野菜が食べられる。
なんか、書いていて思ったけど、私自身常に
『自分がいなくなっても誰も困らないように』っていう気持ちで
お仕事で出会う方々に向き合ったり、
家族と接している。
(故に優しく無い部分がたたたたたたたたた、ある。)
でも、ばぁちゃんもそうだったのかな?
ばぁちゃんはいつもちゃんと自分で見極める目を持てと
言っていた。
とはいえ、やんわりした人だったから怖いことは一つもないし、
根気強く私たちの教育をしていたけど、
私たちがそれぞれ大きくなって離れていっても困らないように
本質を見極める術をそうやって刷り込んでくれたんだな~
ありがとうの塊
しかしながら、
この教育にはいささか弊害もあり
同盟集会の折や一族の集いがあるときなんかには
ばぁちゃんに向けてクレームが飛ぶことがある。
それは
【スーパーの野菜コーナーで人目はばからず
クンクンしちゃっててじろじろ見られる】
そう、小さなころからそうやって育っているから
条件反射なんですな。
私の場合は産直センターとかに買いに行くことが多いので
クンクンしてるとおばちゃまに
『あら、匂いする?昔ほどないわよね』と
話しかけてもらえたりするから気にしてないけど
確かに人がクンクンして手放したもの買うの嫌だよねって話。
でも、おちゃめなばぁちゃんは、
『誰も人前でやれとは教えてないわよ~』と言うだけ。
集まれば懐かしいあの頃に戻って、
あの頃はトウモロコシやヒマワリが大きかったね~とか
デラウエアの木を切ってしまったのはやっぱり良くなかった!とか
毎回毎回飽きもせず同じ話を繰り返す。
ばぁちゃんが肉体を手放してからはまだ、
鼻たれ同盟だけで集まっていないけど、
皆で集まることが出来たらきっと
『オレ・わたしとおばぁちゃんの思い出自慢』大会になると思う。
じぃちゃんの時がそうだったもの。
野菜は全て野菜だし、
それこそすべてが恵みだけど、
農業や家庭菜園に触れて育った人はきっと
『うちの野菜が一番!!!!』って感じていると思う。
でも、それってとっても素敵なセンスだと思います。
私たち一族にとっては、ばぁちゃんの野菜とじぃちゃんの米が
世の中で一番栄養があってオイシイ。
その中でばぁちゃんから仕込まれた野菜の香り教育。
これは、ある意味では
この香りがする野菜は、ばぁちゃんの作った野菜と同じように
私に働きかけてくれるからねって
だから覚えなさいねって、きっとそういうことだったんだとも、思う。
野菜臭い野菜を食べてばぁちゃんとの時間を思い出せば、
愛情をもって育ててくれたこと
その愛が確実に自分の中で育っていることを感じられる。
もし私がその瞬間に感じなくても、思い出さなくても、
香りの化学によって、色の力によって、
私の皮膚や神経やエネルギーがそれを受け取ってくれるはず。
二度と食べることのできないばぁちゃんの野菜と
じぃちゃんのお米。
田畑が残っているなら食べられるのでは?
と思うかもしれませんが
それがそうでもないのです。
そのお話は、また。
長くなっちゃった。
最後までお読みいただいたあなたの夢に
ばぁちゃんの引くぐらいオイシイ桃を届けます。
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