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私の構成要素

私の愛するおじぃちゃんとおばぁちゃん。
COVID-19が世の中を包むほんの少し前の秋の日にじぃちゃんが肉体を離れ
それから半年後の初夏にばぁちゃんが肉体を離れて自由になった。

じぃちゃんのお見送りはそれはそれは素晴らしくて
自宅外で魂が抜けてしまった体が自宅に帰宅する前から納骨に至るまで
ずっとハッピーで、なおかつ感動がたくさん
もちろん泣いたけど
それより笑っている時間のほうが各段に多かった。
おじぃちゃんの旅支度とお見送りについてはまた別に書くことにしますが、
ばぁちゃんの行動がさすがとしか言いようがない。
機会があったら読んでください。

ばぁちゃんのお見送りはCOVID-19の緊急事態宣言下にあり
参加が出来なかった。
感染者がつい最近1人でたというような地域ということも重なって
未だ仏前に挨拶することもできていない。
それでも大好きな花に囲まれた部屋の様子だけ、母が送ってくれた。

お米作りと整理整頓、掃除と料理が得意なじぃちゃんと
どんな花でも見事に咲かせ、食べたいといった野菜は次のシーズンに必ず
実らせてくれたばぁちゃん。
季節と行事を大切にして神様と仏様を大切にした二人が
私の師匠でありメンター。

『風を読み月に問うて陽に照らし土に返して花をめでる』
四季折々の中で強制しない英才教育。
当たり前のことをやり続けることで地球に還元することなど
その時代を生きた人ならきっと、
当たり前の日常だったこと。
それを何気なく刷り込んでくれた二人によって構成された私。
もちろん、
常にシンデレラ症候群で可愛い素っ頓狂な母と
俺はキリストの生まれ変わりだと言い続けた父(もう約20年音信不通)や
ともに育ってきた6人の鼻たれ同盟たち(いとこたち)にその親親。
そして出会ってきた人たちも。
その全ての人たちの思考と体験と視点が私の構成要素。

どこにでもある一族。
でも、ここにしかない私たちと、わたし。

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日焼けしたじぃの手と、一族で一番太くてでかいばぁの手。

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