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個を超えたとこでの痛みをもつ覚悟

上手く表現できるかわからないけど、自分のために残しておきたくて(出しておきたくて)描いておこうとおもうこと。

※ 今回これはクライアントさんとの関わりについて書いてますが、クライアントさんと関わられせてもらうことはいつも自分にとっても学びであり、その学びや気づきをまたお仕事に還元させてもらって循環させています。それがわたしにとって仕事に対する在り方です。今回これは自分側の学びの視点で書かせてもらっています。そこを書く上でクライアントさんの事を書かせてもらっていることをご了承ください。




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今日は広島にシュタイナー療法的お話し会に参加してきた。

その帰り道に車を運転しながら、最近ずっと気になってたクライアントさんのことが浮かんできた。そのクライアントさんのことを考えるといつもなんとも言えない感情になって、自分のなかで着地しきれずにいた。今日のお話し会でもその方のことが思い起こされていたのもあったからだとおもうけど、その何とも言えない感情がとめどなくグッと奥から湧き上がってきていて、ここと向き合わなきゃなっと自分のなかでその感情の根にまっすぐ降りていった。

まっすぐその何とも言えない感情を降りていくと、根にあったのは【痛み】だった。

いつもその感情が出てきては、今わたしができることはその方が進んでいけることを祈るしかない、祈ることしかできない。今はその方に直接のサポートできる繋がりが無いから、わたしの方から何かをすることは、それはわたしのエゴ(平たくいうとおせっかい)だと感じるからそれは違うし、したいとは思わないけど、

【今がその方にとって、とても大きなタイミングだ】っと感じる想いは消えなくて、だからこそそのタイミングをどうか先送りにせずに進んでいけるようにはわたしは祈るしかないなっと毎回その方が浮かんできてはそれを繰り返すことをしていた。

個と個というわかれている人間的な視点では、その方が進んでいけても、いけなくても、わたしに何か損失があったり利益があるわけでは全く無い。


その【痛み】は個を超えたところで感じているもので、帰りながらその【痛み】をみていっていると、涙が溢れてとまらなくなった。

きっとその方もどこかではその【タイミング】を感じているところがあるんだとおもうけど、そこに向き合うというよりは蓋をしようとしている、そのことが自分の痛みと哀しみのように感じられて痛くてしょうがなかった。

同時に悔しくてたまらないおもいもあって、
その悔しさを創造的に動かしていくには、私は何ができるのか??私としては自分に対して何を取り組む必要があるのか??
っと自分を観ていて、ひとつ出てきたことは

痛みをもつ覚悟


ってことだった。
他にも取り組む必要があるものもあるけど、わたしとしては1番はここだとおもった。


個を超えたとこで感じる、痛みや哀しみを更に感受していく覚悟。


それは自分に対してのしっかりと目覚めていく覚悟だし、目醒めさせていくマスターとして立つ覚悟に通じていること。

それが自分のなかでわかると、クライアントさんにとても感謝が湧いてきた。マスターとして立つことは、すべての人の弟子になることでもある。

ずっとどう着地させていったらいいかわからなかった感情は、わたしへの深い覚悟を促されていた。

目覚めていくことは光が大きくなる、それと同時に闇として感受することも細やかになる。

痛みはただの悲しみぢゃない、犠牲的な痛みでもない。愛ゆえに感じる痛み。自分の愛を拡大し成長させる痛み。

それを自分のなかに感じれることは、大きな悦びだとおもう。それを今日は書き残しておきたかった。

ここからわたしが更に進んでいくために。














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