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真実の自分をおもいだす事と、何者でもない自分


気づいたらなぜか昨日からアフリカ尽くし
だったことに夜になって気づく。


久しぶりにライオンキングがどーしても観たくなって、昨日の夜借りに行って
その時にいっしょに『キリクと魔女』も借りた。

『キリクと魔女』は
これまでも何回も観たいなっておもったことはあったけど、観るまでにいたらなかったけど
昨日はスっとそれも手にとってた。


ライオンキングは久しぶりにみてみると、
これまでよりもグッと胸にくるところが多くて
ストーリーをしってても、
自分として立つことの葛藤や罪悪感や、それを乗り越えて立っていく勇気に涙する。

昼間は、岡山の『はれまに』さんの実験的オンライン配信での、
マイコさんとヤヨイさんのユニット
『 VENUS CIRCUS 』の踊りと音楽にこころが動かされた🧡

アフリカのジンバブエに住むショナ族古来の民族楽器ムビラ(儀式などで御先祖さまやスピリットと交信をする際に使われたりする神聖な楽器)を使ってのヤヨイさんの演奏と歌と、マイコさんの踊りはうつくしくて観てるだけでハートが開いていって、最後はほんとここちよくておもわず家で一緒に踊ってた🎶


わたしがアフリカにひかれるのは、
肉体と霊性をしっかり繋ぐ(とくにエーテル体を)
それを補強するためなんだろうなと感じる。

意識が成長し、次元があがるたびに
より地上に降りてしっかりつながり、そして天をめざすことを何度も行っていってる。

そのために、おどってるのだとおもう。
自分を中心に定め、地と天を繋ぐために🌈💫

そしてみんなと踊ることは、コトバではなく
エネルギーで繋がり調和していく感覚をとても感じれるからみんなで踊りたくなるのだ。

*

そんな意図せずアフリカづくしな今日の締めくくりは夕飯をたべながらの『キリクと魔女』。

フランスのアニメ映画だけど、
監督が幼少期ギニアで育っていて、ジャンベや村の感じなどギニア🇬🇳色が出ててる作品。

(昔の作品だから完全ネタバレでかくけど)
ある村に自分の意志で生まれてきたキリクが、
村に意地悪をする魔女と対峙するストーリーなんだけど、村人は村の嫌な出来事はすべて魔女の仕業だとおもっていて『悪』の存在としか思えてないなかで、キリクだけは魔女にどんな事を仕掛られても「なぜ魔女は意地悪するのか?」そこが不思議で仕方なくてそこを知りたくて真実を求めて進み、最後は知った真実を現実化し魔女を目覚めさせ村びとみんなにも真実を伝え、
魔女と結婚する(さいご、そーくる!?ってそこだけちょっとだけ無理くり感かんじたけど。www)
そんなストーリーなんだけど、


善も悪も表裏一体であること、そのどちらも自分の中にもあることを色んな立場の登場人物達から感じさせられた。

村人にも魔女にもキリクにもどれも自分に通じてる何かをかんじた。


とても印象的だったシーンがあって、
魔女に対峙しに行く前に
魔女の真実を 山の賢者である祖父に聞きに行った時にその賢者のおじいさんにキリクが

「魔女に会いにいく(対峙しにいく)のにおまもりを欲しい」ってお願いするだけど
おじいさんは「それはダメだ」と言ってキリクに

『 キリクはそのおまもりを持たないから魔女と対峙できるのだ、
その無垢で裸のこころをもち
いつも目覚めている自由な知性の前では
魔女はコントロールすることができない 』

ってことを伝えてるシーンが、
ハートにズンっときた。

おまもりは保身、魔女はその保身の世界をとても知ってるから人の心をコントロールすることができるけど、キリクはそれをもってないから面と向き合える。
そして善悪でジャッジしない、いつも目覚めてる自由な知性で向き合うからこそ、逆に魔女が魔女というチカラから解放させられる。

シンプルなストーリーなんだけど
シンプルだからこそいろんなことを感じさせられたお話だった😌


そんなアフリカづくしな1日、
感じたエッセンスを繋げて目の前のことに活かしていく🧡


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