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車の自動運転を熱望する理由

地方に住むわたしは、 車があることで ずいぶん便利に暮らしている。

電車やバスも使えるが、自分のタイミングで動ける車はほんとうにありがたいのだ。 

簡単に個室になるから だれにも邪魔されず 好きなことを言ったり、歌ったりもできる。

だが 致命的に残念なのは、運転中は 少しも気が抜けないことだ。

わたしは慎重に運転するタイプなので、車間距離もひとよりあけている。が、そのスペースに 割り込んできては、すぐに右折や左折をする車もいて、その度にハッとしたり、ブレーキを踏んだり、再度車間を取ったりと、ボーッとしている暇などない。

ちょっとでも目を離すと、危ないと感じることがある。だから、運転中はずっと緊張感があるといっていい。

運転にはだいぶ慣れているから、それでもリラックスしてもいるけれど、目的地に着くとやっぱり ふ~っと疲れていることがある。運転が1時間以上だと、だいぶ消耗する気がする。

だから、休みの日は運転などしないで、のんびり移動したいと電車やバスに揺られることもある。

電車やバスは時刻表があり、他人も乗っているし、降りる場所も決まっているから、それはそれで緊張感はあるけれど、 一旦乗ってしまえば、寝ようが、ゲームしようが、本を読もうが、ボーッとしようが、音楽を聴こうが、標識を見過ごそうが、あまり影響はない。

乗ってしまえば、運んでくれることの楽さといったら。

そのゆったり感や安心感は、車の運転にはないのだ、残念ながらわたしには。

きっと 車の運転は得意ではないのだろうな。

車の自動運転の映像をみるたびに、完全にそうなったらどんなにいいだろうとおもう。

割り込んでくる車や、歩行者や自転車がいても、衝突を回避し、自然に距離を取りながら走ってくれるなら、いまほどの緊張感はないだろう。

のんびり映像をみたり、音楽を聴いたり、車窓を眺めたりして、まるで個室の電車やバスに乗っているように移動できるなら、どんなに幸せだろう。

車で旅行どころか、日本1周や大陸横断だって 楽しめるかもしれない。

必要に迫られて運転はするけど、得意ではない、高齢でなかなか難しい…などのひとたちにまた、新たな自由を与えてくれるかも。

何より 事故が減って、街がみんなにやさしくなったらいいなとおもう。

ともかく わたしは最速で幸せを感じるだろう

車の自動運転を熱望するのは、そんなひそやかな希望からなのだ。








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