私の時間の使い方は、 私に決定権がある
子育て中に、時々思うことは
「やってもらえると、当たり前だと思うな」
ということ。
こういうことを思う時は、
子供ができることを、『時間がないから』
などと、私の都合で手をだしてしまう時。
自業自得なんだから、
「当たり前と思うな💢」とか、
「母の時間を無駄にして💢」とか、
思うことは違うかもしれないが、
苛々した感情がでてしまったのだから、仕方がない😅
では、他人が
友達と、お茶してて、
携帯でゲームを1日中してて、
自分のやりたいこと、
好きなことのために時間を使って、
「やりたくないから」とか、
「めんどくさいから」とか、
などという理由で、
「忙しいから、お願い」
と、他人に丸投げする人はどうだろう?
これって、「自分でタイムマネージメント」して
自分でやるべきことの『案件』だよね??
以前は、「頼まれたから」という理由で、
自分の時間を犠牲にして対応していた。
でも、これって
『調べればわかること』だったり
『ちょっと時間を費やせばできること』だったり
『どうみても、あなたがやるべきことだよね』
などと、私がやる必要が無い案件だったりする。
それなのに、「やってもらうのが当たり前」
と、思っているのか、
「お願い」と「文句」は言えても
「お礼」の言葉がないことが多い。
以前は、「相手に期待するだけ無駄」
って思うことにして、
「頼まれても」「やらない」ことを
選択するようにした。
それでも、人は変わらないもので、
というよりか、
他人の時間を奪っているという
自覚が全くないんだろう。
自覚があるのなら、最初から
頼むはずがない。
たかが時間じゃない?
と、思うかもしれないが、
10分10,000円とした場合、
1時間、その人のために、
自分の時間を費やしたら、6万円奪われている。
それが積もり積もっていくと、
おそらく、ものすごい金額を奪われたことになる。
「時間」という目に見えないものだと
実感はできないが、
こうやって「お金」で考えてみると、
「奪われた」という実感がしみじみと湧く。
だからね、
『丸投げ案件』は、今後いっさい引き受けない。
依頼された時点でアウトなので、
既読スルーすることを選択します。
他人の無駄ごとに付き合うほど
私の人生暇ではない。
私の時間の使い方は、
私に決定権があるのだから。