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私と向き合う・その1

先日、宿曜占星術を受けた時のこと。

そもそも、人を信用してないでしょ?
と、見透かされた。

原因は、幼い頃
「誰かに裏切られた」ことがあるらしい。

生きていれば、色々ある。

昨日まで仲が良かったのに、
今日は敵視されたり、

表向きは「仲良し」ってふりをして、
裏で何を言っているんだ。とか。

おままごととか、女の子の遊びが苦手だから、
男の子と遊んでいたら、
「男の子としか遊ばないから」と、
女の子に無視されたり…

今思うと、その当時は全く気づかず、
後になって「そういえば、そんなことあったなぁ」
と、いうことがある。

だから、どれが「裏切り」とか、
わからないんだよね。

そんなことを、友達と話をしていたら、
不意に出てきた言葉が、

以前さ、空気読めない、気が利かない、
人の話聞いてない…とか、
そういう態度、人をイライラさせるから
気をつけた方がいいよ、とか

大人なんだから、
少しは空気読むとかした方がいいよ、とか

「私自身であることを、
思いっきり否定されたんだよね」
だから、私であってはいけない、って
「自分の個性」を押し込んだの。

私自身が、私を諦めて、
自分を裏切ったんだよね。


何も、考えなしに、
勝手に言葉がでてきたのである。

友達のMちゃんと話すと、
こういうことが多々あって、

なんとなく話はじめたことなのに、
気がついたら…勝手に言葉が出てきた。

私の脳から指令はでているんだろうけど、
誰かが「私の内側の言葉」を出してくれる感覚。

今回も、これがきっかけで蓋が開いた。


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人を信用できなくなったきっかけは、

私の個性を、「大人はこうあるべきだ」という
あなたの価値観によって、拒絶されたこと。

その拒絶から、自分自身を守らなかったこと

そして、その時にいた周囲の人たち「全員」が、
「大人はこうあるべきだ」という価値観に、

誰ひとり、異論を持たずに
その場の雰囲気に流されたのか、
私でないあなたの価値観を押し付けてきた。

その結果、私は、しばらく
「言葉」を発するのが怖かった。


「私」の個性を拒絶されるのなら、
話をしたって無駄じゃない?
言ったところで、何が変わるの?

言ったところで、あなた達のいう
「世間一般の常識」というのを
押し付けてくるだけ。

そもそも、自分で書いててなんだけど、
「世間一般の常識」という
「基準」は存在しない。

存在しない言葉のナイフに
私は、私であることを諦めた。



大人になってからの出来事を
思い出したけど、

「私の個性」は、小さい頃から
ずっと拒絶されてきていたと思う。

子供の頃は、誰にでも、今まで以上に
ストレートに言葉を発していたから

「子供の頃から空気が読めない子」
であったのは確かだし、結果、
嫌な思いをした人たちもいたと思う。
(言われたことはないが…)


そんなことを考えていたら、
「誰も信用して無駄だし、期待しても無駄。
助けを求めるなんて、無駄・無駄・無駄」

と、思う様になった出来事があった。

長くなりそうなので、
その出来事は次回へ




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