お盆に思う、私のルーツ
今年のお盆に、おはぎを作ってみた。
暑い中、わざわざ小豆を買うためだけに、
車を飛ばすのも嫌だし、
家に金時豆があったので、検索したら
金時豆でも餡子ができるとのこと。
インスタントポットで、簡単に餡子ができた。
これなら、ズボラな私でも、手軽に作れる。
お萩というと、父方の祖母を思い出す。
上品な和菓子屋のおはぎの3倍の大きさで、
水飴が使っているんだろうなぁっていう感じに
テカテカ光沢があって、とにかく甘い。
甘いんだけど、後をひく美味さで、
あの、おにぎりサイズの🤣お萩を、
軽ーく2つ、3つは食べてしまう。
それくらい、美味しかった。
お萩を頬張る私をみて、
優しそうに笑う祖母の顔をみては、
ちょっと恥ずかしかった思いがある。
私の作ったお萩は、ばあちゃんの味からほど遠く
甘さ控えめ、さっぱり系。
今の自分の味覚にあっているが、
ばあちゃんの甘い、
おにぎりサイズのお萩が懐かしい。
母方の祖父母の家では、毎年「お盆棚」を作って
ご先祖様をお迎えする行事がある。
棚の半分から下は「マコモのゴザ」を最後まで編まないで、
テーブルクロスのように棚を覆う。
その場所が、子供達にとっては
かくれんぼの隠れ場になるから、ちょっとして秘密基地感覚。
もちろん、そこで遊ぶと、大人に注意された。
ご先祖様をお迎えする棚なのだから…という理由の他
万一、棚が倒れたら…と、事故を起こさないためでもある。
母方の家系は、お盆にはお餅を食べる習慣があって、
地方柄「ずんだもち」を作る習慣がある。
子供の仕事は、枝豆をすり鉢で潰すこと。
この、昔ながらの方法がめんどくさくて、しかも
私はずんだ餅が苦手だった。
ずんだ餡にある枝豆を食べながら
すり潰すんだけど、4分の一もつぶさないまま、
飽きてしまって、母に渡してていた。
子供の頃に食べたずんだ餅は、枝豆の青臭さと、
食感が好きでなく、一口味見をして、2度と口にしなかった。
大人になってから、店でずんだ餅を食べる機会があって
食べてみると、
食べやすいように味が改良されてて、青臭さがなく
綺麗にずんだ餡もコシてあって食感も滑らかだった。
一般受けの良い味だけど、
昔ながらの、青臭さとざらざらの食感がないのは
なんだか物足りなかった。
私は、父母の家系の「習慣と伝統」というもの
幼い頃に、体験している。
一時は、自分のルーツ・日本人ということを
無意識に、避けていた時期があって、
お萩も、ずんだ餅も、お盆なんてのも無縁で、
幼い頃の「習慣と伝統」は、すっかり忘れていた。
廃れていく「習慣と伝統」が
寂しいとか、虚しいとか、というわけでないし、
「習慣と伝統」が疎遠になったから、
私のルーツが無くなったわけでもない。
ルーツにこだわっているわけではないが、
「私のルーツ」もしっかり知っておきたいし、
「自分のルーツ」が、土台にあっての、
「自他を認め」て、「お互い尊重」できるように思う。
一個の輪がしっかりあって、
お互いに重なり合う部分(自他を認めて尊重が生まれる)があって、
最終的には、大きな輪っかになる。
それが、わたしにとってのワンネス