肝っ玉母ちゃんってどんなお母さん?
「肝っ玉母ちゃん」…という言葉自体、もうすでに死語なのかもしれないけど、あえて書きたい。
「肝っ玉母ちゃん」と呼ばれて嬉しい、というママはそんなにいないような気がするが、そして私自身も呼ばれたら嬉しいとは感じないように思うが(私は母ちゃんではあるけれども、少なくとも肝っ玉ではないことは明らかなので、そう称されることは絶対ないだろうというのもある)、それでも「肝っ玉母ちゃん」って、その響きにもともと敬意が含まれていたかどうかはわからないにしても、本当に尊敬に値する愛称だなと私は思う。
ちなみに、ちょっと話は逸れるけど、私が育った昭和の世代は、友達のお母さんのことは「おばさん」と一律に呼んでいたけれど、最近(といってもここ20年ぐらい?)は「〇〇ちゃんママ」と呼ぶのが一般的らしい。私も娘の友達からそう呼ばれている。というか、娘の友達のママからもそう呼ばれたりもする。
お母さんであっても美しく、かわいらしく、かつスタイリッシュに、一人の女性として生きたい。子育てを自分の人生すべてにしたくはないから、一般名称のようにひとくくりに「お母さん」とされることには抵抗を感じる…ようになってきたのが、ここ20年ぐらいのママたちなのかな。
だから「お母さん」ましてや「お母ちゃん」と呼ばれるのは嫌な人もきっといるだろうと思うけれど、でも、今でも本当に「肝っ玉母ちゃん」っぽい人が、中にはいる。もう数は少ないのかもしれないけれど、確かに子どもたちの中にいてくれることに、泣きそうなぐらいありがたく感じる。
そしてもしかしたら、だけど、私が育った世代よりももっと子どもたちに近くて、子どもたちに寄り添っていてくれているのかもしれない。
じゃあ、その「肝っ玉母ちゃん」ってどんなお母さんだろう?
ついつい、見た目…をイメージしてしまうことってどうしてもあると思うけど、やっぱりジャイアンのお母さんとか、ハリーポッターシリーズに出てくる、ロンのお母さん(モリー)のような、懐の深さ・広さを象徴するような、恰幅のいい体、ちょっとふっくらした体をイメージしてしまう。
でもまあそれはともかく(でもそれも結構大事なところ。人を安心させるのって、やっぱりある程度の受け入れる器の大きさが、見た目でも必要なのだと思う)、「肝っ玉」に表れるように、どんなことでも果敢にできたり、我が子も人の子もドン叱ったり、それでいてとっても優しくて器が大きかったり、というような人柄のママが、やっぱり「肝っ玉母ちゃん」なのだと思う。
「肝っ玉」とまではいかなくても、実際、お母さんってなんでもできる。ことが多い。
だいぶ昔、TVでLiLiCoが「お母さんってすごいんだよ!排水口とかに素手を突っ込んで、ゴミとかヘドロみたいなのも、そのまま取っちゃうんだもん!(私だったら絶対できない!)」とか言っていた。
まあ排水口に素手を突っ込めるかどうかは人それぞれだろうけど(笑)、こういう言葉に象徴されるように、母たちは自分が若い頃には考えられなかったようなことを、子どものため、家族のため、限りある時間の中で、もう四の五の言ってられないから、なりふりかまわず、やるべきことをやる!みたいな感じでできちゃうことって結構ある。
そういう意味では、私もできる範囲は多いほうではないけれど、ずいぶんたくましくなったなあ、と自分でも思う。
そしてやはり懐の広さ。
私はハリーポッターシリーズが大好きで、やっぱり「肝っ玉母ちゃん」の代表であるモリーのことも大好きだ。モリーは子どもを7人も生んで育てていて、うち6人は男の子で、いろんなやんちゃやいたずらにいつも激しく怒っったりしていても、それでも愛情たっぷりに受け入れている。おまけに他人のハリーまで「息子同然です!」と涙ながらに主張して、同じように愛情を注げる人…。最後、娘を守る場面とかも、思い出すだけで泣けて泣けて仕方がない。
それだけの子だくさんなこともあり、家計はいつもカツカツなのだけど、なんとかするわ、と、子どもたちのためにできることを最大限やる。そこに悲壮感はなくて、凛々しさたくましさがある。(お金の関係で、息子には中古の、時代遅れの、へんてこなドレスローブしか用意できなかったとしても、顔を赤らめてちょっと恥ずかしく申し訳なく思うだけで、息子にはこれを着なさい!と毅然と言えちゃうような)
…それに比べて、考えてみれば私自身の母は「肝っ玉母ちゃん」ではなかった。
基本的に、なんでもやりたくないし、怖いこと冒険的なことは自分もやらないし、子どもにもさせない。怒ったり叱ったりはするけどヒステリックなだけで、寛容とは言い難い。。。
だから私は「肝っ玉母ちゃん」にあこがれるのかな…
今、娘の友達のママの一人に、そんな感じの「肝っ玉母ちゃん」で、本人には言ってないけど、本当に「みんなのお母さん」みたいな人がいる。
友達同士のトラブル、学校での問題、先生とのやりとり、町内のいろんなこと…全部それぞれから話を聞いて(子どもからも大人からも)、うまく収めるというか、みんなをあたたかく受け入れてくれて、みんなが頼りにしているお母さんだ。
私にとってもお母さんみたい…。。言えないけど…。。
そういう方々って、天性みたいなものなのかなあ。
とにかく私は「肝っ玉母ちゃん」を尊敬しているのでした。