住吉市民病院議論まとめ+α

このページではtetsuro氏と数日に渡る議論のうち、住吉市民病院に関する部分を抽出して纏めます。 
いきなりですが、かなり長くなってますがご了承ください。

議論の発端は↓のツイートです

私が(その前から知ってはいたが)飯田市議の保健福祉行政に関する知識量を確認したのが↓のシリーズ動画です。(是非とも第2弾シリーズをお待ちしています)

飯田市議についてごちゃごちゃツイート重ねましたが、そこは本論とは関係ないので省きます。その後私がデマを流さないでと御忠告致したところ、返ってきたのが↓こちら

議論の発端は…

との御指摘を頂きました

ここで私が抱いた疑問が
・直近で大阪北部地震もあったが、耐震性は大丈夫か
・元々産科・小児科を主にした病院で、感染症を受け入れることが出来る病床(減圧病床、換気など)なのか
・重症センターならば、ICU 設置は可能かどうか
・施設内部(特に壁面内の配管など)の老朽化は大丈夫か
でした

そこで、お相手が建築のプロとお伺いしたので質問をぶつけたところが↓こちら

とのご返信を頂き、耐震性についての疑問はクリアになりましたが、それ以外の疑問が晴れぬままでした

特に
「仮設にしても既存解体の上で新築よりコスト安く出来るでしょうね」
には、具体的な数値が無いのではエビデンスが不十分だと感じました。

元々そこまで既存の物を撤去する必要の無い場所(急性期総合医療センターの駐車場等を利用)にプレハブでも必要な機能を思い通りに造るのと、元々微妙に用途が違う(しかも古い)建物に、枠組みを残しながら必要な機能を付与する改築だとどちらが安く、しかもスピーディーに造れるか、の考え方でした。
私は
・住吉市民病院が産科・小児科がメインの病院だったこと
・建物内部の老朽化と感染症対策を考えると内壁を剥がす必要があるのでは
との考えから、旧住吉市民病院をコロナ重症センターに活用するのは現実的ではないと考えました。

ここで話が少しずれます。

府が造るべきものだったのか?~冗長性の行方~

そもそも、コロナ重症センターは大阪府が設置しなくてはならない物だったのか?という点に移ります。

↑で指摘があったのは、↓のツイートで指摘されてる様に、太田府政時代に国の方針で保健所統合した影響で業務が増えているので専門職を増やしてほしい、という議会質問があったのに対応してない、という件でした。

これについては後から対応しているかどうかの確認が取れなかったので、そこは認めた上で
・医師や看護師・保健師や保健所職員・役所職員などの人員を、今回の様な有事に備えて多目に雇っておく(冗長性を確保する)のは地方自治体では負担が大きいので、有事の際には国から人員派遣をする方が効率が良いのでは?
という考えだったのですが、返ってきたのが↓こちら

やはり、こういう議論で出てくるのが「新自由主義」という言葉、詳しくはおとな研究所の「新自由主義とは一体何か?」
https://otonaken.com/archives/5298
に説明を譲りますが、もし新自由主義という言葉があるとすれば対義語は社会主義だと思います。勿論、両極端な議論は不毛で、社会は常に必要に応じてバランスを取っていくものですので、
「国家管理・社会主義的」⇔「民間競争・自由主義的」
のシーソーをどれだけ傾けるか、その時々の差配は政治家の手腕でありますが、少なくとも片方を排他的に論じるのは、もう片方に極振りして良いという風に認識されても仕方ありません。

その上で、有事の際の冗長性(リタンダンシー)の確保を地方自治体が担うのは、私は正直言って厳しいと考えています。
何故なら、地方自治体は
「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」
(総務省HP:https://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/kenzenka/index1.html)
に基づき、細かい数値の説明は省きますが、一定程度の財政赤字が累積した場合には自ら、或いは国の勧告を受けて再建計画を立てなければならず、酷い場合には地方債の発行が原則停止される措置が取られます。財政再建を果たすまでは原則歳入(税収+交付金)内での自治体運営が求められ、赤字が発生する公共事業に関しても住民へのサービス提供より財政再建が優先される事態になります。
物資は消費期限があるとはいえ、ある程度備蓄は可能ですしそこまで金額はかかりません。
しかしながら、建物には維持費が、人財には毎月人件費が発生します。一定程度抱え込むことは、特に大都市においては必要かもしれませんが、平時においては使われない建物、暇を持て余す職員となり、その分財源を用意しなくてはなりません。地方自治体の財源は有限です。財政が苦しくなれば別の住民サービスを見直すか、税金(或いは利用料金)を引き上げることになります。
一方、国・政府においては通貨発行権を有し、国債を日銀に売るオペレーションを行うことである程度財源を確保することができます。もちろん、それでも有限ではありますが、地方自治体ほどの制約はありません。更に、大規模災害や世界的感染爆発、他国からの侵略行為等、有事は一都道府県にとどまらず広域に影響が及ぶ性質からも、政府組織に人員余力を有することは出来るかと思います。例えば、普段は省庁職員・国立病院・自衛隊などで勤務し、有事の際に地方自治体の業務が逼迫した場合に随時派遣される、という体制を構築することも必要かと思います。勿論、これは現在の中央集権的国家体制での話であり、道州制と財源移譲を含めた地方分権体制の場合はこの条件も変更されると考えます。
(余談事ですが、この考えは今回のコロナ禍で考えるようになりました)

という意味を込めて返信したところ、返ってきたのがこちら

失敗した政治というのであれば、橋下府政以前に積み立てていた減債基金を取り崩し、危うく財政健全化団体に転落しかけたきっかけを作った政権の方が失敗だと思います。外的経済要因も重なり、橋本府政は財政健全化に暫く奔走する羽目に陥ります。
http://www.asahi.com/special/08002/OSK200902160133.html

更に返ってきたのがこちら

勿論、個々の背景については私がどうこう言うことは出来ませんが、あくまでも私が考えているのは「有事」限定です。平時は逆に国の関与は減らし、民間の自由な考えや動きを出来るだけ制限しない方が良いと考えています(この辺りが界隈では新自由主義と揶揄されるのでしょうが)が、逆に国家の存続が危機に瀕した時は国家が主導権を握って国全体を動かしていく必要が有ると考えます。今話題になっている私権制限や非常事態条項の憲法追加は必要なことですし、逆に憲法で非常事態条項の運用条件や補償規定を決めることで政治家の暴走を押さえることもできます(護憲論者にはその辺りも分かってらっしゃらない方が散見されますが)。
先程も記載した通り、今の国家体制では地方自治体が有事の際の余剰能力を常時確保しておくのは財政的に厳しい以上、そして有事の性質上、有事の際の冗長性の確保のメインは国が行うべきと考えます。そして、その政治権力を誰に託すか、それを決めるために選挙があるのではないでしょうか。

そこで、返ってきたのがこちら

まず、一建築現場の規模であれば有事と平時は両方一緒に考えることは可能でしょうが、今議論している有事というのは国全体での話であり規模が全く異なります。そして必要な費用の桁はもちろん変わりますし、ましてや建築現場は企業の売上(物・サービスの対価)であり交渉次第で有事対応の分(所謂保険)も上乗せで料金徴収も(非常に難しいが)可能ではあります。しかしながら国や地方は原則税金徴収分で運営するため、徴収できる割合というのはある程度決まっています。
例えば、有事に対する冗長性を確保するために、地方自治体が公立病院を多めに作ります、そして医師や看護師など職員を多めに雇います、となった時に余分に係った費用は誰が負担するのか、となると
・病院利用者が診断料以外に余分に負担する
・会計で赤字を出して運営自治体が税金で埋め合わせをする
原則はこの2点になります。国の場合はそれに加えて
・赤字国債を発行→日銀購入のオペレーションを行い通貨発行し負担する
という選択肢もできるので、インフレ懸念が無ければこの選択肢が一番有力となります。それが国と地方自治体の現在の仕組みにおける違いです。

官民の間の組織形態には勿論沢山の方法や種類があるのでツイート上で表記するには文字数が足りないですが、例えば今の府市の公立病院で採用されている独立行政法人化もその一つでしょう(その独法化でも反対している政党はありますが)。言い出せばきりが無いのでここでは省きます。

そこで返ってきたのがこちら

シンパという言葉を使う辺りに悪意が滲み出てますね(^_^;)

そこで、意見があやふやになってきたので、若干極論を振って意見を引き出そうとしたのですが、それに返ってきたのがこちら

先ずもって、先程も申した通り地方自治体は歳入と歳出のバランスが取れないと必要な住民サービスを提供できない仕組みに置かれてる中において、前の首長が
・大規模開発を繰り返して多額の赤字を背負う
・公務員への過剰な厚遇
・運営コストの見直しをせずに財政赤字を積立金から補填する
ような状況から引き継いだ場合は、財政再建が最初の仕事になるはずです。それが高額であればあるほど、ドラスティックな見直しと改革が必要になり、一時的に住民サービスを絞ることも致し方無い話です。

それと、世界的感染拡大や大規模災害等有事というのは地方自治体の範囲を越えたものが殆どであり、自治体が単体で乗り越えるには無理があります。特に日本は今まで大きな感染爆発には遭遇しなかった故に、国全体での備えが足りてなかったのは事実です。そこは国全体で見直し、特に国家体制は大幅な改革が必要と考えます。

そこで、返ってきたのがこちら

まず、
・カジノではなくてIR
・IRの建設に公的資金の投資は無い(法律の関係上選定と監視は行う)
の2点で認識に誤りがありますね。
その上で、これは大阪をどのような街に作り上げていくかという方針によって変わると思います。現在の吉村松井体制では国際観光都市・国際金融都市を目指すことを掲げて当選しています。大阪府民・市民の多くが支持しているため事業は継続されるでしょうし、私個人的な利益的にもIRが出来る方が仕事量も増えるので賛成です。
一方tetsuro氏はSDGsの為の実験場や自然保護の為の場所として活用すべき、と仰っています(ツイートは割愛)。調べれば、夢洲で絶滅危惧種のコアジサシが夏場に沢山巣を作っているとのこと

大阪自然環境保全協会:http://www.nature.or.jp/action/yumeshimamirai/

それならば私は、万博前に行われる2023年統一地方選で公約の一つに掲げる候補者が出たら良いと思います。府民市民の中には経済を優先すべきと考える人もいますし、環境を優先すべきと考える人もいます。それこそ、どちらの訴えが有権者に響いて選ばれるか、それで選択しても良いと思います。

ここで話が本論に戻ります。

住吉市民病院を残すことは正解だったかどうか?

飯田市議が以前から指摘している、北市民病院(現在の大阪暁明館病院)の廃止について、ご意見を伺うことにしました。

そのお答えがこちら。

勿論、当時の平松市長が定めた協定については適切に履行されてますし、住吉市民病院とは異なり現地の医療は継続しています。
但し、ここまでの議論から矛盾するのは、地方自治体の公的病院を残すべきとして住吉市民病院の存続を訴えるのであれば、同様に北市民病院も公立病院として存続べきだったと訴えるのが筋ですが、そこには言及しない時点で維新憎しから来る偏った考え方に基づく感情論と言われても仕方ありません。むしろ施設だけで言えば、産科・小児科中心の住吉市民病院より、結核や感染症に対応した北市民病院の方が新型コロナに対応してると考えるのが普通でしょう。

一方、地元の要望が産科・小児科の病院という点は確かでしょう。そして福祉医療(子育て世帯や重度障がい者など条件を満たした人に対して医療費の助成が発生する医療行為)を含めた病院誘致を目指していたのは、当時の産経新聞にも記事が残っています。
https://www.sankei.com/article/20170517-GZA5AXBPQRIVDF7N6ZJ4UZ7ZBQ/
但し、これらの機能を新病院の主体に置くとすれば、残念ながら採算が取れるかどうか怪しいものです。実際問題、住吉市民病院は複合的な要因が重なって毎年赤字を計上する状態でした。また、当時の市病院局は多額の累積赤字を抱え、關市長時代には新規起債ができない状態に陥っていました。幾度となく改革プランを立て、経営改善に努めてきたものの平成20年前後では毎年数億単位の赤字計上という現状でした。
http://www.osakacity-hp.or.jp/byouin/file/soukatu(6).pdf
勿論、公立病院において収益を上げるのは如何なものかという意見は否定しません。多少赤字が出ていても地域において不足している医療の提供をするのが使命というのは言うまでもありません。但し、本当に出しても良い赤字と削れる赤字は別物です。また、赤字を出し一般会計から繰り入れを行うということは、別のどこかで住民サービスに必要な費用が削られている、ということになります。その点で、数億円単位の赤字は看過できず、強烈な体質変化が期待できないのであれば病院の存続について議論が起きても致し方ないと考えます。
但し、一番上の動画でも話があるように現在進行中の弘済院病院と市大附属病院の移転を橋下市政当時に打ち出して、無理に民間病院の誘致にこだわることをしなかったら地元住民の不安をある程度解消できていたらここまで心理的なしこりを残すことは無かったかと推測します。民間病院誘致の失敗は一定程度行政側に不手際など責任はあると思います。ただ、不手際を考えなかったとしても
・産科・小児科といった採算を取るのが難しい科目についての一定数病床設置を義務付けていた
・福祉医療の担い手として求められる以上、経営的には薄利多売型の経営にならざるえない
ことを考えると、そもそも民間病院の誘致が上手くいくかどうかは疑問が残ります。また、住之江区医師会との軋轢も噂されている点からすると、例え一般有権者からの支持率は高かったといえども、民意を楯に独断的に動くよりは事前に根回しは必要だったのかな、と推測します。

そこで、住吉市民病院の建物が本当に新型コロナ重症センターとして対応可能かどうか?と問いかけたところ返ってきたのがこちら

一つ目の平松市政時代に策定された改築案については、当時の病院局が作成した建替整備基本構想にその案が出ています。
http://www.osakacity-hp.or.jp/byouin/file/sumiyoshi_kousou.pdf
↑の25・26ページに記載があるように、病院の敷地を減らして小児科・産科・婦人科専門病院に特化する形をとっています。これだと病床数・ICU・病床特性の点で今の新型コロナに対応した病床にはしづらいと推測します。これは一致したようです。

もう一つの考え方である、旧の建物を解体する前に重症センターとして活用出来なかったのか?という件についてです。
私は先述の通り
・住吉市民病院が産科・小児科メインの病院だったため感染症病床(減圧病床)に適応しているかどうか
・電気・水道・換気口等配管取替などの工事の必要性
・重症センターの場合ICUに必要な建物設備の有無
を考えた場合活用は不可能ではないかと考えました。

そこで返ってきたのがこちら

急性期医療センター内に作られたのはプレハブの仮設病床であり、前述の通り敷地は駐車場を利用しているためそこまで解体の必要なく、しかも比較的自由な設計で施設を建設しています。その上で費用は↓にて公表されています。
https://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=40015
施設の設備として、グリーンゾーンとレッドゾーン間で空気が交わらない対策(換気や減圧対応等)、基本的なライフライン、休憩施設等必要な物を揃えた上で建物のみで12.9億円とのことです。
一方、旧住吉市民病院を改築する場合は現存施設を感染症病床に作り替える必要があります。いくら耐震補強工事を施したとはいえ、元々感染症患者を、しかも重症者を看るような施設構造ではないと推測できますので、元の骨組みを残したまま改築となると逆に手間も費用もかかるのでは、と私は考えます。更に一定期間使用しなかったとなると、配管設備や電気系統等に腐食や劣化などが進んでいると想定されます。プレハブであれば一から作り、しかも仮設前提であれば建物内や地下に埋めるなど見た目を気にする必要はありませんが、旧の建物の場合は壁の内側に配管が通っている場合が多いと考えられるので、一度壁や天井の内壁を剥がして交換、となると新規建設より手間も経費もかかるのは自明の理でしょう。
勿論、アスベスト調査の結果が抜けた状態で立地を過剰評価し、結果として目標数から半減した点は行政側の責任であり、禍後に選定プロセスなど検証は必要ですが、だからと言って2020年の春段階で造る決定をしてなかったら、アスベストが有るから別の場所を選定するのに時間がかかっていたら、第3波、第4波時にもっと重症者が溢れてたと考えると、府の財政を考えても30床確保しただけでも評価に値すると考えます。

と返したところ、返ってきたのがこちら

民間公募というのは↓の件です
https://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=41277
現地での30床増設が御指摘の通りアスベスト調査の不備で計画凍結したのを受けて、民間病院での敷地確保を目指して公募していたものです。第一次で野崎徳州会が20床造ると手を挙げたもので、民間病院がこうした決断をしたのはかなり迷われたと推察します。新型コロナ患者を受け入れるだけでも体制の変更や従事者への負担増、風評対策など様々な困難が存在し、病院経営のことを考えると本音では受け入れたくないと考えるのが普通です。先述の通りアスベスト調査を怠った故の計画倒れは禍後にプロセスに瑕疵は無いか追及すべきですが、民間公募については以上の事情を勘案すると遅いとは思えません。
第4波における重症者の急増と医療逼迫で亡くなった方が余計に増えたのではないか、助けられた命もあったのではないかという御指摘が出てくるのは分かります。但し、感染拡大そのものは
・ウイルスの変異を人類が予測することは不可能
・欧米の様な非常事態条項が無く、中露の様に全体主義ではない日本において、人の動きを強制的に止めることは不可能
の2点から、地方自治体に全責任を押し付けるのは不適当と考えます。最終的に措置が適切だったかどうかは超過死者数(平年の死者数よりどれだけ増減があるか)が事後に出ると思いますので、この数値で判断するのが一番適当かと思います。

重症センター建設計画の適切さについて

そこで、新たなる案が出てきました。それがこちら

確かに、2階建のプレハブ施設だと同じ敷地でも倍の病床を確保できるので、これは有りだと思います。
考えられる問題点は
・2階建工事の途中で1階だけ先行利用は出来るかどうか
・フロアの作りを考えて、2階建にした場合の耐久性は大丈夫かどうか
が有りますが、ここについては専門外なのと、本論から外れるので省略します。
いずれにしても、検討の余地は充分に有ったと思われるので、これについても禍後に検証が必要と考えます。

話を戻して、旧住吉市民病院の建物が活用可能かどうか、私はtetsuro氏が拘るのであれば、数値を示して現在の重症センターより優れているということを示してほしい、と問いかけたところ、返ってきたのがこちら

旧住吉市民病院の施設が使える、と考えて訴えるのであれば、感情論で訴えるのではなく具体的な数値を示して現有施設よりも優位であることを論理的に示すべきですが、私が見る限りにおいてそういう論理展開をしている方を見たことがありません。
↑のツイートで私が申すように、本来であれば市の情報を手に入れ易い市議が調べて訴えていくのが在るべき姿でしょうが、旧住吉市民病院の施設利用にこだわる自民・共産の市議の方々がこれらを数値化し指摘している様子は見当たりません。この件について2020年5月市議会に陳情が上がってると御指摘を受けました。後程話が出ますので一旦ここで切ります。

さて、旧住吉市民病院の施設を利用する際に改築費用や期間以外にもう一つ問題になるのが、病院設置許可の問題です。
本来病院を新設する際には医療法に基づく設置許可を申請し許可をもらう必要があります。その中には
・病院として必要な施設が存在するかどうか
・安全衛生管理上必要な施設が満たされているかどうか
・施設管理の責任者は誰か
等基準をクリアする必要があり、通常であれば許可が降りるまで一定程度時間はかかります。
後述の通り、今回の新型コロナ用の臨時施設には医療法で定められた基準を満たす必要は無いと対策措置法で明記されていますが、造らなくて良いということにはなりません。これを大規模病院の施設内に施設拡張という形で造れば、既存施設を併用利用することで手間を省くことができますし、責任の所在も明確になります。
一方新設扱いになるとやはり必要な設備を設ける必要性は出てきます。これを仮設プレハブで造るなら一から自由に構築できるのである程度自由度は増しますが、既存の施設を利用するとなると元々の施設の構造を利用せざる得ないので構築の自由度は制限されます。元々の施設が使いたい用途に沿うものであれば多少なりとも費用は抑えられますが、同じ病院でも用途が違う(元々小児科・産婦人科中心、必要なのは呼吸器系感染症向け重症病床)となると、必要な設備を設置し直す必要があります。更に老朽化していることも考えると、既存の病院の建物が有るからそちらを活用すれば仮設新設よりも絶対に良い、とは言い切れないはずです。

そこで返ってきたのがこちら

まず、国が~についてですが、繰り返しになりますが私が申しているのは「有事」限定です。そして、今のコロナ禍は大規模地震や他国からの侵略に匹敵する国家的有事とみて問題ないと思われます。で、私は大阪府が設置したコロナ重症センターについて、本来は国で設置するべき、という意見をこのように解釈されたのですが、国が設置するべきと主張するのは以下の理由からです。
・地方自治体は国の法律の範囲を超える行為は原則できない(越権行為)
(実際、府が設置した重症センターは正式な病院ではなく臨時施設であるため、看護師や医師を常駐できる権限が無く期間限定の契約である)
・国と異なり地方自治体は財源に限りがあり、(国がある程度補助するとはいえ)財政に限りがある自治体が設置するのは厳しい
(当時、国は10兆の予備費を用意しており、大阪府の重症センターの費用を考えると47都道府県に同規模の施設を国が作ることも可能)
逆に、国が超法規的措置を用いて予算を準備し、独自に医師や看護師を集め、建設予定地も必要であれば特措法に基づいて強制力を持って確保し(但し、憲法で非常事態条項が策定されておらず、権利のみ制定されている以上、現時点では憲法違反で訴訟される可能性は非常に高いが)、設置運営することは十分可能だと考えますし、そうすべきだったと考えます。むしろその方が現在設置されている府の重症センターより機能的で病床数も増えていた可能性は高いと考えます。
しかしながら、国は吉村知事が要請しても動かなかった。予想ですが、官僚は超法規的措置で下手すれば憲法違反にも問われかねない知事の要請に、責任を取れる人間が出てこなかった、と考えられます。なので、吉村知事はある意味仕方なく府が設置する方向に舵を切ります。財政的・法規的・資源的・時間的に成約がある中、不備があったとはいえ有事の混乱と繁忙の中で重症センターを設置したことについて、それ自体は評価すべき内容と考えます。不備があった点は禍後にプロセスの反省を行い、次に活かすべきです。が、内容の反省はあれど、出来ないと言うのは簡単だが出来る方法を探り実行に移せるのはトップの裁量次第であり、現存する病院とは別に施設を建設したのは大阪府と神奈川県が先駆けで、出来ると見てから他の自治体でも動きが出たのが現状です。しかも中等症までの入院施設が殆どの中、重症対応施設を仮設で設置したのは私が確認する限り大阪だけであります。
反維新の考え方の皆様は、細かい不手際など悪い面だけを大きく表現し指摘批難するが、良い面を評価することは(勿論だろうが)しないのは正しく色眼鏡であり、考え方の違いはあれど現実の事象においては公平公正に判断すべきと考えます。

もう一つの非常事態条項~については下のツイートに続きます

↑の私のツイートについて一つ訂正致します
新型インフルエンザ等対策措置法の第三一条二項の5において
「医療法(昭和二十三年法律第二百五号)第四章(第七条~第三十条)の規定は、臨時の医療施設については、適用しない。」
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=424AC0000000031_20210401_503AC0000000005
と明記されているため、届出や必要な人員配置、定款作成等、新規で病院を設置する全ての条件を満たす必要は無いと法文から読み取れます。訂正しお詫び致します。
但し、だからといって施設を造らなくて良いということにはなりません。廃止した施設の再起動のために水道や電気を再び繋ぎ直し、臨時施設に勤める医療従事者や職員の為の休憩施設や風呂等安全衛生管理上必要な施設、更に感染症に対応した病院設備や重症対応するための設備は改修が必要なことに変わりはありません。撤去を前提とした仮設施設と元々常設が前提だった同じ病院とはいえ診療科が別で施設の造りも異なる(しかも老朽化した)施設の改修利用は、どちらが早くて費用が係らないかは考えれば分かることではあります。

旧住吉市民病院の施設は本当に使えるかどうか

そこで再度、旧住吉市民病院の施設を利用した際の改修費用や期間などを数値で示して現重症センターに対する優位性を示して欲しい、と問いかけたところ、返ってきたのがこちら。

まず、一つ目のツイートについては既に何度も申している通りの見解なので、ここでの説明は省きます。
次に、二つ目のツイートは完全に詳細の説明をしたくない姿勢が見えるツイートです。医療機器の金額は同額としても、解体前提で建てたプレハブの建物設置と、何年間か使用されず解体直前の(耐震補強したとはいえ)老朽化した建物の改築では手法も計算方法も全く異なり、それを仮設プレハブの金額内で充分可能ですね、と結論づけるのは乱暴すぎます。新型コロナの重症者を診る場合は耐震補強だけでなく
・感染症対策(ゾーンを分ける減圧病床化)
・重症対応するための施設改築
・安全衛生管理上必要な施設(休憩室・風呂・トイレ等)
・以上施設を利用するための基礎的インフラの整備
が必要ですが、それについては全く触れていません。この時点で論拠のない空想であり、卓上の議論であることが言えます。
三つ目の旧都立府中療育センターのコロナ病床化については旧住吉市民病院の利用と以下の点が異なります。
・旧都立府中療育センターは旧施設の閉鎖から間も無くコロナ病床化したが、旧住吉市民病院は施設利用停止からある程度年数が経ている
・旧都立府中療育センターを利用した新型コロナ病床は中等症がメインであり、これは十三市民病院と同等の施設とみることができる
ので単純な比較は難しいところがあります。施設の老朽化があるとはいえ、直前まで使用されていた建物は電気水道などインフラがまだ生きており、また中等症と重症では必要な医療機器や設備も異なります。
大阪府が難しい舵取りだと想像できるのは、この建設を決めた当時は仮設病床を作るという前例が無かったことです。繰り返しになりますが、この新型コロナに関しては大阪・神奈川が先行して仮設での施設設置を決定していますが、大阪より更に先行した神奈川の施設は東京の施設と同じく中等症患者が対象の病床であり、重症患者を対象とした仮設病床は大阪以外に執筆時点で私が確認する限り設置された例は見当たりません。それだけ、吉村知事の判断も難しく、設置まで半年ほど時間がかかったのも制度的・物理的・金銭的に制約がある中で最大限のパフォーマンスを発揮できるか苦慮したと察します。それを無視して数理的根拠無い持論を展開するだけして周りの混乱を招くことは、特に有事においては慎むべきです。同時に禍後においては様々な視点から一連の過程を省みて、平時において備えるべきところは役割を決めて備えていただきたい、と思います。

さて、以上の点の矛盾が解消されないので、(やや煽りぎみに)数値化した論拠を示して欲しいと返したところ、返ってきたのがこちら

だんだん話が堂々巡りの様相を呈してきましたが、本来であればこのような見積もりは(例え建築のプロとはいえ)一般人ではなく市政の専門家、もっと言えば旧住吉市民病院の施設が使えると訴える市議が調べるべきなのです。それが、旧住吉市民病院の施設が使えると訴える自民や共産の市議から見積もりをしてみました、結果はこうです、という情報発信を見たことがありません。問題点は各所から指摘されているのだから、その問題点の改善を踏まえた見積もりを出し、こうすればもっと良いと論拠を示して論陣を張れば否定派も懐柔でき、府の方針も変えることが出来たかもしれません。特に有事においてはより感情に流されずに数値と証拠で論理的に有効策を探り、一丸となって国難に立ち向かうことが必要ですが、国においても大阪においても、トップの方針を論拠もなく批難し足を引っ張る人達が今回のコロナ禍で浮き彫りになったと思われます。批難するなら論拠を持って建設的な意見提案という形で行ってもらいたいと感じます。

陳情とそれに対する市議の委員会討議

すると、大阪市会に対する陳情について以下のような返信がありました。 

この3つのツイートで示されている陳情というのは、↓にある2020年5月議会での陳情第49号のことであります。陳情を受けると担当する委員会に付託され、市職員が委員会での審査に必要な資料を集めて以下の様に意見を付与して委員会の審査にかけます。この時点で各委員会に属する市議には事前に陳情の内容が通達され、委員会で質問することができます。勿論、問題意識があれば独自に市職員にも資料請求し調査することができます。まず、この時点で市職員が内容を精査し必要な情報を集めている時点で、(市長等上役からの圧力があれば別だがその可能性は皆無なので)市職員の発言には責任持って審議に必要な情報を正しく提供していると見ることができます。

スクリーンショット 2021-05-23 093542

その上で、ご自身でも検索して頂きたいと思いますが、
(大阪市会会議録検索システム:https://ssp.kaigiroku.net/tenant/cityosaka/SpTop.html)
この陳情が提出された委員会において、維新公明の市議は勿論のこと、当時民生保健委員会に属していた自民の西川市議・北野市議・太田市議はこの陳情第49号に全く触れず(同時に十三市民病院のコロナ専用病院化の議題もあったからかもしれないが)、唯一共産の寺戸市議が↓の様に住吉市民病院のことに触れています。が、それでも跡地の住之江診療所のことであり、陳情第49号のコロナ病床活用には全く触れていません。
各市議が本当に旧住吉市民病院の建物をコロナ病床に活用できると考えているのであれば、先述の通り委員会での審議前に陳情の内容を通知されるので、期間が短いとはいえども独自に調査し委員会での審議で取り上げることは十分可能なのです。なのに、住吉市民病院存続を訴えていた自民・共産の市議を含めて触れないということは、
・耐震補強はされていても、他の設備の改修等であまりにも活用が現実的ではないと市職員の情報提供で分かっていた
・コロナ禍における病床確保の重要性を認識していなかった(そうとは考えたくないが)
・そもそも本当はそこまで住吉市民病院に思い入れが無かった
のいずれかと考えるのが妥当でしょう。

スクリーンショット 2021-05-23 024124

その上で、自民の北野市議に至ってはその後の議会において以下のような議論展開をしていますが、具体的な数値を絡めたものではなく完全なる感情論で議論展開している時点で、公的な議会における議論では到底思えません。
少なくともSNS上でもコロナ病床として使えると議論展開するのであれば、現実的にどうなのか?具体的に示して欲しいところなのですが、先述のように一般の市民の人がその具体的な中身を提示できないのは仕方ないとしても、情報を入手することができる市議や専門家・ジャーナリストがこの手順を省いて批難するのは、何の論拠も無い感情論であり、使えないものを使えると間違った情報を流布し一般住民に混乱を与えるのはデマと言われても仕方ありません。

スクリーンショット 2021-06-13 230554

という反論をしたところ、返ってきたのがこちら

多分私が途中から文字数の関係で、ですます調を使わなくなったことを偉そうにと仰ってるのでしょうが…
勿論、先述の通り予定の60床が半分になったことについては禍後にプロセスを精査し、判断が間違えた部分は反省の上次に活かすべきですが、そもそも仮設で重症センターを造ったことについては評価すべきと考えます。予算も限られた中で本来であれば国が主導して設置すべき施設を府が造るという判断は、特に先陣を切るという点を含めてかなり思い切った判断だと思います。他の都道府県と比較してもこの点は比較優位に立てるものと考えます。
また、旧住吉市民病院の施設が使えるかどうか、現重症センターより比較優位に立てるかどうかは、やはりきちっとした数値を出さないと比較できません。逆にその施設に手を出したがために施設の完成が遅れ重症者の命を救えなかった、では意味がありません。
そして、このコロナ禍に対する対応が適切だったかどうかの最終指標は禍前後の超過死亡の数で判断できると思います。新型コロナでの死者、経済的困窮が原因の自殺、他要因に寄る死者の数が通常と比較してどうだったか?この数値が一番比較しやすいと思います。これは是非とも禍後に精査していただきたいと思います。

さて、話は陳情の件の絡みで市民から意見や要望を活用する話に移ります。

勿論、陳情を受けて市の当局は概算を出して委員会に臨んでいるでしょう。その証拠に
・現地調査を行い、電気・ガス・水道などライフラインが使用できない状況を確認済み
・建物や設備の老朽化が著しく大規模な改修工事や備品の整備に相当長期間を要する
と検討結果を出しています。
この検討結果は情報公開請求をすれば一般住民でも検討内容の詳細を見ることは出来るでしょうが、その前に委員会に臨む各市議は細かい手続きを踏まなくても「委員会に必要な資料だから確認させて」と言えば確認できる立場に有ります。その市民を代表する人達が検討資料を取り寄せた形跡も無く、陳情が出た委員会で取り上げない辺りで、旧住吉市民病院の施設が使えたかどうかは御察しできると思います。

市民からの意見はどう活用すべき?

どうやらtetsuro氏は市民が提案した意見は前向きに活用するよう仕組みを作るべきだという考え方に立っておられるみたいで、以下のような返事がありました。

私のツイートに在るように、より簡単に市民の意見や要望を吸い上げる仕組みは作る必要はあると考えますが、それと本当に実現できるかどうかは別問題です。この記事の中でも再三申すように、地方自治体の財源には限りがあります。限りある資源をどう活用し動かしていくか、どう割り振るかを最終的に決めるのは首長であり、それを決めるのは市民の有権者です。また、その首長をチェックするのが議会の議員であり、それを決めるのも市民の有権者です。もし今の体制に不満があるのであれば議員への要求活動や対抗馬が選挙に出る際に積極的に応援し当選させれば良い話です。今の吉村知事にしても2019年の統一地方選で府民約880万のうち約226万票を得て、松井市長も市民約270万のうち約66万票を得て当選しているのです。それだけ支持している人達がいることも忘れてはなりません。
また、大阪市に限って言えば市民一人一人に寄り添うと言っても、抱える仕事も多ければ人口も多すぎるのが現実です。それを平準化し規模の経済が働く業務を府に、市民の身近に置くべき業務を分割して特別区に分けるのが過去2回行われた都構想の住民投票でしたが、市民への理解が浸透しなかったこと、現状維持バイアスを打ち壊せなかったこと、既得権が奪われる組織等多方面からの妨害工作により全て否決されています。
きめ細かく住民のニーズに応えるならば、今の政令市よりも小回りの効く特別区の方が良いと考えるのですが、それを否定された以上は現制度の範囲内で効果が最大限出る方法を探るのでしょうが、どちらにしても財源や資源には限りがあり、意見を活用するにしても全てを叶える訳にはいかないのが現実です。今回の旧住吉市民病院の施設活用にしても同じことが言えます。

と申したところ議論ができない人と判断され、ここで議論が終結しています。私は事実を申したまでですが、こうした形で一方的に議論が切られることは残念な限りです。

最後に

最後に、私から訴えたいことは一つ、以下のツイートからです。

現代、SNSを利用して簡単に情報発信することが容易となっています。故に間違った情報や恣意的に事実を歪めた情報、事実全体の極々一部を切り取った情報を流す人が非常に多くなっています。SNSでも情報を流す際には情報の真偽を確かめ、表現に気を付けて発信することが大切と考えます。
今回の一連のやり取りでも、自分のパソコンやタブレットでは相手側からの返信が有った際に備えて幾つもGoogle Chromeのタブを開き、情報を検索し調べながら返信を打ってました(それでも1ヶ所訂正を入れる羽目になってますが…)。
少なくとも論拠の乏しい情報は裏を取り、可能な限り間違った情報は流さないのと同時に、明らかに実現不可能と分かったことを無理に推し通すのはデマを流布するのに近い効果があると感じました。出来もしないことを出来ると豪語し、それを行わない行政側を批難しあわよくば引き摺り下ろそうという行為については、対峙すると非常に厄介ですが論理立てて説明しデマを含めて根絶しないと、本当に判断を迷っている有権者の方々が間違った情報や有り得ない情報で間違った方向に誘導されかねない、というのを(都構想の住民投票前後から特に)感じる次第です。
SNSで議論するにしても、情報発信するにしても、自らの単なる希望なのかそれとも事実や数値に基づいた提案なのかははっきりとさせなければ、議論の前提条件が変わってきます。
自戒を込めて記すとすれば、流した情報が間違っていると指摘されたり分かった際には訂正し必要ならば投稿は取り消す、自分が希望する施策の実現が現実的ではないと分かったらゴリ押しせずにより実現可能な方法を探る、等SNS上で議論する際には気を付けていきたいものです。

以上、ここまでとなります。非常に長文となりましたが、お読みいただきありがとうございました。


追伸)
住吉市民病院そのものの閉院までの流れは↓のツイートまとめも簡潔に纏まってますのでご覧ください。
https://sumatome.com/su/1339126572893130754
私の身近に40代と50代の大阪市南部出身の人がいたので、住吉市民病院について聞いてみたところ
・住吉市民病院って有ったの?(40代)
・元々府立急性期の方が近いからもあるけど、設備は府立の方が良かったから住吉市民病院には行かなかったな(50代)
とのことでした。一般の住民には住吉市民病院はちょっと縁遠かったみたいです。
また、こんなツイートも見かけました。

当時現役の大阪市のお医者様の発言ですので信憑性は高いと思われます。ここでは住吉市民病院の存在価値そのものについては議論しませんでしたが、やはり見直しは避けられなかった、と考えられます。

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