映画「野球どアホウ未亡人」鑑賞してきました
映画なんて年に一本も見ればいいほうの私が今年はすでに三本目というハイペースで鑑賞している。そんな映画解釈弱者の私が見たのが「野球どアホウ未亡人」という作品。
まずタイトルでやられた。
ネットの海から流れ着いてきたこのタイトルを見たときから50000点の評価しかなかった。さらに断片的な写真やコメントを見るにつけ、一般世間からハズレていても、俺様ちゃんにはハズレではないと確信を深めた。
さて感想。
清水ミチコがかつて、野球が全くわからないので野球実況がこう聞こえるという名作を書いたがその映画版とも言えるし、野球のミニマル表現とも言える問題作とも言える。
まず冒頭の制作クレジットで、この映画はこのスタンスですよ!と明示してくれるのがありがたい。
とにかく細かいパーツの差異や違和感をあげつらうこと自体無粋の極みである。もっと大きなレンジでのダイナミックな力技に圧倒される。
気付かされたのは、野球は団体競技でありながら個人競技であることだ。個人競技として切り取れるから総キャスト8名でも成立させることができたのだ。これは「野球はこう描かなければいけない」というギプスから解き放たれたからこそ描けたと思う。
さらに「私が野球である」という台詞はギャグとして書いたつもりだろうが、これは現実にいる。さらにいえば野球以外のジャンルにも出現する。ゲラゲラ笑ったあとに、これは他人事として笑えるか?と背筋が寒くなった方もいるだろう。
表現としてハッとしたところもあった。
墓場で亡き夫を突き落としたとき、真っ直ぐ滑り落ちていった。
夏子が「野球」になるため回転体になるトレーニングを積み、見事土手から回転して着地した。それが夫は死んだからなのか、ハナから野球の才能がなかったからか回転しなかった。
そして夏子の決め台詞につながる。イレギュラーバウンドによるヒットが生まれたと思った。
続編よりもずっと繰り返しみたい、そして余計に頭をぐらぐらさせたい。そんな一本だ。
何言ってんだかわからんだろう。書いてるこちらも説明しようがないのだ。それでも私には面白かった。