他力と自力/託宣と能書きの違い【オネエ占い師:蒼樹のエッセイ】
占い師が「自分のことは占えない」と言うのは、確かにちょっと奇妙な話だ。おいおい、自分のことが見えないのにどうやって他人の運命を読み取れるんだ、と。一般人でも「他人のことはわかるけど自分のことはわからない」なんて人がいるけど、それも同じような理屈なんだろうか。
たしかに、自分自身のことすら把握できない人が、他人のことを冷静に見られるはずがない。
そう、これは単なる「客観視できない」問題ではない。
彼らは自分も他人も、自分が見たいようにしか見ていない。つまり、すべては偏見のフィルターを通して見ているんだから、他人のことがわかるなんてのは幻想。
占い師の主張もその延長線上にある。「自分のことは占えない」なんて言い訳をする人ほど、相談者を自分の観念や宗教観、あるいは狭い価値観で値踏みしているんだ。しかも、それがひどくなると、まるで宗教の教義を押し付けるように、占いという名のもとに自分の思想を売りつけてくる。
占い界隈も宗教の分派みたいなものだ。それぞれが「自分こそが正しい」と声を張り上げて、他の流派を批判する。その姿はカルト宗教と何ら変わりない。まったく、どうしてそんなに自分の流派にこだわるのかね?
本当に自信があるなら、他を貶める必要なんてないはずだろう。占術だって一種のアートなんだから、自分の道を極めていれば自然と説得力が出てくるはず。だからこそ、他流派を攻撃する占い師は、自分の術に自信がない証拠とも言える。それにしても、「自分のことは占えない」という占い師、意外と多いのよね……
「あたし、占いをするのにエネルギーをものすごく使っちゃうの。自分のことなんて占ったら寿命が縮んじゃうわ」
なんて言われたら、もう何も言えない。それにしても、そのエネルギーって、一体どこから来てどこへ行くんだろう?
もし本当にそんなに消耗するなら、ちゃんと補充の方法もあるんじゃないかしら?もしかしたら、その占い師はただエネルギーの充填方法を知らないだけかもね。
エネルギーさえ補充できるなら、自分のことも占えるはずだ。疲れるのは、実は「天」から託宣を受けているのではなく、自分の頭の中でひねり出しているからじゃないのかな?
占いが本当に天とつながっている行為なら、むしろ占い師自身がエネルギーを得て元気になるはずだ。自分の力で全てを解決しようとする占い師は、まるで傲慢な気功師みたいなものだ。
霊感や託宣は天からの贈り物であって、頭の中で生まれるものではない。頭を使って理論ばかりをこねくり回していたら、それはただの労働に過ぎない。そりゃ、疲れるに決まっているわよね。
蒼樹のエッセイ一覧
#占い師蒼樹 #蒼樹のエッセイ #エッセイ #占い師 #気付き #占い #原宿ほしよみ堂 #ほしよみ堂 #ほしよみ #ココヨミ #オネエ #オネエ占い師 #多様性
作家・ライター・デザイナー・アーチストなどのクリエイター活動を支援しています。いただいたサポートは、支援活動資金として大切に使わせていただきます。