未来が過去を変えるんだって
今日の午前中は洗濯物の林立する我が家のベランダに組み立て式の椅子を引っ張り出し、例年の10分の1も人々の爽やかさに貢献できていない4月の穏やかな風と陽光のもと、平野啓一郎『マチネの終わりに』を読んでいた。
恋愛小説を手に取ることなど絶えて久しかったけど、他の読書家さんのnoteに刺激を受けてAmazonでワンクリック。
まだ半分も読めてないけど、主人公が序盤に放つこの言葉はおそらく作品全体を貫いているんだろう。
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?
過去と他人は変えられないが、未来と他人は変えられる
なんて、生徒に何度か言ったことがある。
限られた時間とエネルギーを建設的な方向に費やして自己実現してほしいというメッセージとして成立しているし、なにも間違っているとは思わない。
一方で、「過去は変わる」という考えもまた納得できる。
(そういえば近畿大学の卒業式での西野亮廣のスピーチも確かそんな話だった)
正確には、過去の出来事が自分の中でもつ「意味」が変わる。
現在おこる出来事や自分の行動次第で、あるひとつの過去が大きな意味を持ったり、無意味なものになったり。大切な思い出になったり、消したい記憶になったり。
それは自分のこれからの努力で過去を価値あるものにできるというものでもあるし、自分にはどうしようもない力が働いて過去がひっくり返される可能性でもある。
いずれにせよ、僕たちはそんなに意味の定まった過去の延長線上に今を生きているわけではない。
過去も不確か、未来も不確か。
ではどう生きるか。
答えはひとつ。