・冒険者レベルよろしく、人生のレベルは大切だよっていう話。

P:昔やっていたTRPGのソード・ワールドというゲームに冒険者レベルという概念がある。

これは一体なんなのかというと、【習得している冒険者技能レベルの中で最も高い数値が冒険者レベルとなる】とある。

つまりファイターならファイター、ウィザードならウィザードでその技能ばかりをあげていると、冒険者レベルがその技能と同レベルとなり、ダメージ軽減や技能判定にボーナスがついたりなど様々な恩恵が得られるというものである(うろ覚え)。

これを私は人生におけるレベルと同様のものではないだろうかと考えるのである。

ようは一芸に秀でている人は、その技能レベルばかりに着目される事が多いが、技能レベルを上げる過程を通じて一般教養のような世間知を弁えていくという考え方で間違いない。

例えば相撲取りであれば、相撲に勝てばいいと言うだけの話ではない。

競技のルールを学び、相撲を通じて自分を支えてくれる人々と協調しながら目的達成に向かって邁進していく。つまり競技に勝つためには腕ばかりを磨いていては不十分で、周囲の人々の協力を仰ぐために集団生活の中で社会性を身に着け、分をわきまえる必要があるということなのだ。

反面、長い年月同じ業界ばかりに属していて外部のことが目に入らないという事例も存在する。これは実に残念なことだが、古い組織体質の権力者にありがちなことである。権威を振りかざすものの周りにはイエスマンしか集まることはない。だからこそ、自分が時流に乗り遅れていることに気が付かないのだ。

しかしながら、社会の中で役割の一端を担っていくということであれば、自分たちとは異なる他部署の都合であったり、同僚の能力であったりを客観的に把握する必要性も出てくると思うのだ。

そういった経験を経て冒険者レベルよろしく、人生のレベルが上がっていく。否、上げていく必要があるのだと強く痛感する次第である。

R:そもそもなぜ自分が人生レベルを大切だと思うに至ったか、という話になる。

私事になるが、長らく個人事業主として働き、幸いにも社会における一定の役割を担うことが出来ている。そんな中で、自分が好きな仕事だけをし続けるわけには行かないことも早期に気づくことになる。数字が苦手で目や首が疲れるデスクワークもしなければならないし、時には難儀な顧客の要望に向き合う必要性も出てくる、といった具合である。

売上という結果を出すために最短の道を行きたいと思いながら、現実的には他のことに目を向けなければならないし、そうもいかないということなのだ。そういった意味で、やむを得ず本業に好き嫌い問わずついて回る業務のレベルを上げていくことが、結果的に人生レベルを上げることにつながるのではないか、と考えられるのだ。

特定の目標を最短かつ、まっしぐらに目指すということはしばしば視野狭窄に陥りやすい。

数字至上主義である大企業のやり方を見ていればわかるが、闇雲なレイオフに代表されるように、実に近視眼的な経営手段を取ることが多く見られる。

そういったやり方が果たして【レベルの高いやり方なのであろうか?】と疑義を呈す次第なのだ。

E:翻って個人単位の話に戻すと、見知らぬ様々な業界に自分探しと称して就いては辞め就いては辞めという、短期間のスパンで飛び込む人達がいる。もちろんそういったやり方を糧にして、身を立てて立派に生きている人もいるだろう。

しかし、そのような人たちが成功したのは別々の業界でそれぞれに経験したことを、自分の中で体系的に順序立て、次の職場で常に活かすように心がけているからではなかろうか。

私も昔は働いていた職場がイヤでイヤで仕方がないという時期もあった。原因はもちろん人間関係がメインだったが、辞めようと考えるときは一旦冷静になり、次に自分は何をすべきかということも考える必要があると思うのだ。

かくいう自分自身、若い頃は場当たり的に職場をやめてニートに身をやつしたことも長らくあった。それは人から見れば人生の汚点であるだろう。だが、失敗を通じてでなければ、何が失敗だったのかということに自分自身気づくこともなかったのも事実である。

その失敗からこうして苦言を呈しようと思えたのだ。

P:【石の上にも三年】とは たしかに古い言葉だが状況次第では正しくもあると思う。

最近はコスパやらタイパやらが重視されていると叫ばれている時代だが、それらの流行りの言葉は、【飽き性】や【辞めグセ】を正当化するための大義名分に堕していないだろうか。

本当に自分の人生を大切にしたいと思うのであれば、頑張るべき時がどうしてもある。その見極めは経験の少ない若い頃には難しいかも知れない。

闇バイトに走る20代が後を絶たないのも法律的な問題は別にしても、先行きが不透明な将来だからこそ、今この瞬間だけは幸せに生きたいと真摯に思う心から出たことに違いない。

しかし、この瞬間に死ぬわけではないのであれば、来たるべき将来も自分の人生として引き受けて生きるしかない。

今この瞬間の連続、その積み重ねこそが、あなたの人生なのだ。

どんな選択も、どんな決意や決定も今この瞬間から未来に向かって積み重なって行くものなのだ。

やがて決定的な選択をしなければならない時が来る。後悔しないように生きるのは不可能かも知れない。

だが、一歩の過ちで人生が台無しになりかねない厳しく恐ろしい時代だからこそ、自分と世界を知ることを諦めないでほしいのだ。

そして今の自分には不可能でも、将来の自分には可能かもしれない。一芸を極めようと努力した果てに、人としての人生の質=レベルが上がっていくものなのだと、私は信じている。


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