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水系のデザイン

2019年から活動を始めてきて、これまでは、ボックスガーデン、コンポストについて書いてきたが、最近は池や雨水利用などを、プロジェクトで行う事が多かったので、水のデザインについて書いてみたい。

パーマカルチャーのワークショップを行っている中で、重要なことの一つだと思っているのが、「モノベース」での発信から入ると、案外その場所や、暮らしの実践に適していない事がある、という事だった。

水に関して言えば、特に日本は、水に困らない国であるという事が言える。自分の静岡の田舎の実家も使用しているが、井戸水の小さなポンプがあり、上水の公共インフラのシステムから、そもそも外れていた。

手押しの井戸水ポンプは、田舎に行けば見る事ができた時代があり、それがそのまま、モーター式の組み上げ機が、適正技術として発達してきて、安価で便利な社会インフラとなっているように感じる。

また、田舎の集落によっては川の水を協働で管理して上水にしているところもあり、川、地下水と身近に利用できる資源があり、わざわざ苦労して雨水利用という発想に至らなかったのではないかと思う。

今年の夏は、暑く日照りが強い印象であるが、結局は前線や台風が来て、まとまった降雨をもたらしてくれる。むしろ、風水害の方が、旱魃よりも懸念されるべき災害である。

一方で、台風よりも旱魃が気候変動で強く影響がでる、南半球の国々は事情が違う。特に、オーストラリアは雨水利用が盛んだ。日本は滝のように川が流れていると言われるが、日本で暮らしていると、それだけ特殊な環境に生きているという、そのことを、つい忘れがちだ。

生活する水を、雨水タンクや、池の水で賄っている所にホームステイした際に、いかに水が貴重か体感した。シャワーは2日に一回まで。食器を洗うときには水を絞る。そういった日々の意識からだけではなく、庭の植物に水をあげるために組んでいた貯水池が、残り半分を切っている、水不足の夏の最中であった。

雨水利用のシステムも、発展しており2万リットルになる巨大な水タンクは、存在感があった。日本で水タンクというと、ホームセンターで売っている黄色の塩ビやプラスチックのタンクの印象しかなかったが、鉄やステンの波板を丸めたようなタンクは印象に残った。

廃材のタンクをそのままレイズドベットにしたり、鶏小屋の素材にしているぐらい、使い倒していて、どこにでもあるものなのだということを、暮らしの中で感じた。

日本の文脈では、雨水利用をしなければならない環境は特に山岳地帯などだ。僕自身は、自分で作ったもの、投資されているものも含めて、富士山麓という、浸透性のスコリア、玄武岩の溶岩に囲まれているという特殊な環境下で暮らしていたため、富士山での洗濯、食器洗い、風呂などの水は、塩素を入れた雨水で行ったり、一時期は屋根からの雨水を利用した生活をしている経験もあった。

その中で感じたこととしては、意外にも生活の中で、飲料水の占める割合が少ない。移動手段が徒歩などでなければ、最悪、飲み水はどこかから手に入れて持ってくる事でまかなえる場合があり、風呂、洗濯、食器洗い、植物の水やりを、手間のかからない形で手に入れた雨水などで賄うのは意外にいいのではないかと感じた。

「地下水の入手が困難」「近くに川がない、浸透性のスコリアなどで水の入手が困難」「モーターを回す電力に制限がある」「公共の上下水道の料金が過疎地で高い、もしくは将来大幅に上がる」などの条件が揃った時に、はじめて有効なデザインになるものであるという前提条件があってはじめて、雨水利用が合理的な選択肢になるように感じる。

屋上ガーデンがある、循環ワークスはこの中でも電気の制約があった。場所のコンセプトとして、電力の自給があり、営業日や井戸水のモーターの強さやスタッフ、廃材のリソースから、雨水利用がちょうどはまる環境にあった。

廃材で、大きな200リッター程度の塩ビのタンクがあり、また配管もちょうどサイズがあり、ほとんどあるもので必要最小限のものを買うだけで、雨水システムが作れる状況であり、屋上へ向かう階段が小さな屋根になっており、集水するのに適した条件が整っていた。

一点、デザインとして加えたのは、雨水を利用する上で、最初の雨は大気中のチリや浮遊する汚染物質を微量ながら含み、また屋根の汚れも流れてくる。そのため、少量の雨を逃し、大量の雨でも最初に降ってくるものを除くバイパスをする仕組みがある。英語では、Farst Flushという名前であり、先のすぼんだ配管と、ゴムボールでつくるシンプルなデザインだ。

ワークショップとして、雨水利用に興味を持って参加する人も交えてラボ形式で行ったが、それぞれの状況やリソースについて、洗い出してみると、雨水以外の選択肢も多くあり、実際そのシステムを作ることを手を動かして行ってみると、それが自分の文脈に置いて、最小の努力で最大の効果を得られることではない、むしろ多くの金額やメンテナンスの努力を必要としていながらも、あまり効果的に生活に作用しないという結論を出す人が多かった。

確かに、モノがあった方が具体的なイメージが膨らむが、それにまつわる「投資対効果」「関連する法規制」「置かれている状況の中での優先度」などの視点が、イメージに引っ張られてしまい、視点が欠ける事が多くあると感じる。

特に、生活の基礎インフラとなる、水に関しては、バックアップとして、また災害時のサブシステムとしての導入からはじめて、それを導入、維持するのが適切か見定めるプロセスを丁寧に進める必要があると感じた。






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UNITED 松村岳史
フリーランス、専業で活動していますが、パーマカルチャーの記事、書き物等、基本的に無料で公開しています。仕事に充てられる時間を削って執筆しているので、もし、活動に心を動かされた方がいたら、1000円から7000円のスケール型のドネーションでご支援いただけたらとても嬉しいです。