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実家が宗教家(天理教)だからこそ伝えるべきこと


こんにちは。
雅楽演奏家・講師 山口創一郎です。

日本の伝統音楽「雅楽」を面白く・楽しく
雅楽を通して日本人の和の精神、雅さを伝える活動を展開しています。

さて、本日のお題は

実家が宗教家(天理教)だからこそ伝えるべきこと

ということで、

僕自身は家が天理教という宗教を代々継承していまして、
僕自身も俗にいう「宗教2世」と呼ばれる人間であり、

形式上、将来的には
家を継ぐことになっている人間なんですが、
(継ぐかどうかはとりあえずおいといて・・・)

宗教といえば1990年代にあった地下鉄サリン事件、
「オウム真理教」であったり、
安倍元総理を殺害した犯人というのが
「旧統一教会」だったことから

テレビメディアやYouTubeなどでも割と
この「宗教」というものに偏見であったり、
間違った考え方・思想を持っている人も多いなーと思ったのと、

割と僕が仕事にしている「雅楽」とも
非常にかかわりが多いことから
今日はこういったお題で話していきたいと思います。



んで、先に言っておくと、
僕自身は家がそんなところだったりしますが、

宗教自体が悪いとか、そういうことは微塵も思っていないです。

むしろ、宗教というのは元々
どこも周りの人であったり、

世界平和とか、人と人との調和・
人の人生をよりよい方向に助けていく。

そういうものを目指しているところがほとんどですし、

なんなら世界の中では

「あなたは何の宗教や神様を信じていますか??」

て聞かれることが当たり前なほど、

これは世界共通で常識のものだったりするんですね。

日本では元々「神道」
外来から入ってくるものを否定せず、
全てを受け入れつつ、自分たちにあった形にしてく。

そういった日本人という信仰が根付いているため、
そもそも無宗教の国ではあったものの

海外では国の統治をしていく上では確実に必要なものなんです。

でもテレビであったり、
メディアであったり、
そういったところがとらえるものって

「なんか、宗教団体やっている奴らってやばいことしてるよね??」

ということばかりを報道をしているわけです。

もちろん、お布施やお供えと呼ばれる
お金を上層部に巻き上げようとすること。

そういうことをやっている人がいるのは事実ですし、

それほど、現代では宗教やっている人間の
人柄・人格が低くなっていることが
大きくありますが、

いや、
ちゃんと教えを、信仰心を
子供の頃から20歳になるまで叩き込んだら、

そんな人間には普通はなりません。

夫婦喧嘩・親子喧嘩・遺産相続・金銭トラブル
・その他の人間関係

どれも問題にすらならないほどの
人当たりのよさを持っている人で溢れているはずなんですね。

天理教でいう「感謝・慎み・助け合い」が
家庭内・身の回りから実践
できている人で溢れてておかしくないはずなんですね。

でも事実として、20代30代は愚か、
現代では特に50代・60代・70代以上の
宗教者ほど老害レベルで
これに陥っている人が多いわけです。

じゃあ何故そんな宗教やっている
人間の人格が下がっていっているのか??

それは、明治・もしくは昭和の
戦後から始まった問題と言えます。
何か??

教えと組織の混在化


宗教がもっている本来の人としての在り方
「道徳心」
とよばれる教えと、

組織、いわゆる
宗教団体の「ルール」
がごちゃまぜになっていることです。

いや、もっと言うのであれば、教えと組織・
そして国や行政などの
「忖度」「癒着」というべきでしょうか??

そこですらごちゃまぜしているわけです。

つまり、本来の人格を鍛えるための教理と、
組織であり続ける為のルール・

そして現代の「学校教育」「法律」の常識が
ごちゃまぜになっているということです。

例えば。天理教の中では
「世界いちれつみな兄弟」
という教えがあります。

これは、みんな先祖をたどったら同じ親になっていくわけだから、
古代人類が誕生した元をたどれば、
世界にいる人たちはみんな兄弟のようなものだから、
上も下も隔たりなく、みんな仲良くしていきましょう。

そんな教えというのが存在しますが、
これ、めっちゃいい教えですよね。

みんな仲良く兄弟で、
平等にしていきましょう!ていうわけですから。

しかし、
宗教団体としての天理教では、
「系統(けいとう)」というものがあり、

例えば、教会本部という一番トップがあって

その下に「大教会」という直轄が150か所くらいあり、

その下に「上級教会」とよばれる管轄。
それがピラミッド状に作られ
最下層に「末端教会」とよばれる教会があるんですね。

その系統内でも「世襲制(せしゅうせい)」

要はどの家に生まれたかで偉さが変わったり、
年齢とはまた違う教会と呼ばれる場所での

「階級制度(ヒエラルキー)」というものが
存在したりするわけですね。

大教会で生まれた人は大教会の跡継ぎになるわけですから、
要は教団内で偉くなれ、
末端教会に生まれた奴は一生「末端教会」
悪く表現すると下っ端になるわけです。

(もちろん、本当はそんな階級は教祖の教えにはありません。)
(ちなみに山口の家は俗にいう「末端教会」と呼ばれるところです。俗にいう超下っ端です。笑)

つまり、同級生や後輩だろうが例えば教会本部という
総本山や偉い教会のあととりだったら呼び捨て禁止はもちろん、

将来的にはいい人だろうがひどかろうが、
能力があろうがなかろうが
〇〇様や〇〇先生って呼ぶのが当たり前になります。

そして、そのような教会本部や上の教会などにお供え、
献金をすることが何故か一般化していった。

(上の教会はそれだけで生計がたてられたり、建て替えや改修もできるものの、下の教会は献金どころか、バイトや仕事で食いつなぎ、奉仕も義務でする毎日)

もちろんそんなものを作れなんて
教祖さんは一言も言っていませんが、

周りの人たちが教えなどと都合のいいように混同させて
宗教団体内で勝手に作っちゃったわけですね。

「医療」という部分もこれにあたります。

天理教ではそもそも、
「医療」って不要なものなんですね。

だって、元々は身上おさとしという、
自分自身の心遣いをしっかりと見直して
毎日を通り、

人の為に祈ることで病気になることも少なく、
なっても祈りの力で治ることから

江戸・明治時代に信仰しはじめた人たちが多くいるんですが、

現代では何故か教団が管理している病院があり、
しかもそれがかなりでかい規模で、

薬などに頼りまくり、
割と一番でかい収入源になっているのではないかと
くらいのものになっているわけですね。

対症療法(たいしょうりょうほう)
病気になってから治療をすることが中心になり、

原因療法(げんいんりょうほう)

病気にならない心遣い・体づくり・生活習慣を作りましょうという
予防法などをやらない宗教に陥ったわけですね。
(本来の宗教者の役割は、この原因療法、心使いを教えていくもの)

病気の「気」ってなんですか??と聞けば
お医者さんは誰も答えられませんが
これは教えにしっかりあります。

「病の気は心から」

自分の間違った心使いを直さなければいけないのに、
病院で治してもらうことが一般化してしまった。
それが、現状としてあるわけですね。

それを治す為に祈る方法や教えというものが存在します。

結局、その場しのぎで
「肉体に出た病肉」はお医者さんが治せても、

最終的には
肝心な心遣いが変わっていないから
再発なりなんなりして
抗がん剤などの治療で体を痛めつけ
亡くなっていくという方も多くおられます。
(それを知れば、二度と再発しないのですが・・・)

その病気が出てしまった「心」
「習慣」ともいうべきでしょうか??
それが治らなかった結果というわけです。

余談ですが、
日本の宗教で絶対に推奨してはいけないものこそ

「西洋医療」
特に「薬」「予防接種」と呼ばれるものを使うことです。

アミニズム・自然崇拝、
天理教の天理の由来は
「天然・自然の理」で天理です。

神仏から借りている体に人工的・化学物質
ある種自然でできたものではない
「異物」をいれることというのは、

これは生かされていることに
対しての冒涜(ぼうとく)になるからです。

ざっくりいうと、「不天然・不自然」なんですね。
(予防接種なんかは最たる例です。人間が作った何が入っているかわからない異物なので。)

そっちよりも、自然のもので治していく。
俗にいう「食生活」

「食事で治らない病気は医者では治せない」

ヒポクラテス

本来はこれを実践することが信仰者である常識なんですね。

ただ、それを知らない人が多く、
なんなら教団のトップが

「薬」「予防接種」を推奨している時点で
教団としては本来の宗教を信仰していない
団体になりつつあるわけですね。

とはいえ、それを言い出すと
何も食べられなくなりますが
これは長くなるのでおいておきましょう。

つまり、かなりばち当たりなことを
しているといってもいいでしょう。

こういった本来の教えと組織が混ざってしまったこと

で現在天理教のみならず、
たくさんの宗教団体がゆっくりと
衰退していっていますが、

宗教の教祖は「〇〇教を始めます!」なんて一言も言っていない



そもそも、元々どの宗教団体も
「〇〇教を始めます!」なんて
言った人ってほとんどいないんですよね。

天理教の教祖も
「天理教やります!」
なんて一言も言ってなければ

イエスキリストも・ブッダも、孔子なんかも

キリスト教やります!と仏教はじめます!

なんていった人っていないわけです。

創価学会とか幸福とか、
戦後以降にできた団体は
そうじゃないのもありますが
ほとんどはそのような始まりです。

まあ、戦後からできた宗教団体や、
ヒエラルキーのトップにいる宗教組織は
金儲けでやっているところは否めませんが

本来は元々、
ただただ、雅楽と同じように「神仏に捧げるため」であったり、

「人としての人格を極めていって、この世の中をよくしていこうよ!」

そういった志をもって始めたものがほとんどなはずなんです。

それを周りの民衆達が勝手に宗教団体にしてしまったり、
割と儲かるからやりだした人が増えだしたわけです。

戦前ってそもそもなかったんですよ。
宗教団体ってものが。

一応吉田神道とか、
神道でもいろんな派はあったんですが
特に決まりもなく割と曖昧だったんですね。

なんなら天理教とかだったら教会とかではなく
「講」と呼ばれる
集会所的な感じのものだったんですが、

明治以降に教会制度というわけのわからない
制度を作っちゃったわけです。
これは教祖も割と、

「あなたたちが考えたことだから仕方ないか」

としゃあなしで承認して作られたのだと聞いております。
(半分呆れていたのではないか??)

そして戦後、
1951年に宗教法人法というものができてからの話です。
ここからおかしな方向に行ってしまい、
教勢倍加運動というもので
バカみたいに信者を増やしたり、

なんなら各宗教で信者獲得争いであったり、
信者からお布施・お供えを取り合う争いみたいな、

俗にいう競争社会の影響をもろに受けて
くだらないものができあがっていくんですね。

もちろん、宗教の教えに

「教団に忠誠する信者を増やしていこう!」

という教えって元々はありません。
別に教祖は一言もそんなこといってないです。

もちろん

「この人と人とが助け合える・神様の素晴らしい教えを世の中に広めたい!」

は言っていますが、

でも

「天理教団の信者を増やしたい!」

とは全く考えてなかったはずです。

勝手にやりだしたのは教団なわけですね。

本当はもっと単純なことで

「この考え方や思想を広めて、人を助けて、人と人が助け合う世界を作っていくんだ!」

恐らくそんな志で教えられていたはずです。
んじゃあ何故そうなったのか??
そう仕組んだ人たちがいます。

誰でしょう??
「アメリカ軍」、俗にいうGHQというところです。

現代の宗教団体を作ったのは「GHQ」


GHQが一番恐れたもの

宗教からくる「人としての信仰心」と呼ばれるものです。

日本人って人柄・そして国やコミュニティなどの為に
忠義・信仰心をもっている最強の人種なんですね。

だから、数千年も前から日本であり続けていますし、
雅楽も1300年続いたり、

神社にしても、法隆寺や四天王寺
金剛組や池坊華道会などの会社法人も数千年、
今日まであり続けているわけです。
(日本の長寿企業はものすごくすごいことです。)

この信仰心こそ、「人を信じる心」を育んだり、
「人との関係をよりよいものにしていく」

そういったものにつながったわけですね。

「人を信じれない心」を育むとどうなるか??
嘘と偽り・裏切りの連続ですねww
(今のネットやメディアが非常にいい例です。)

人を信じる心をなくし、宗教と
宗教団体を混在させたらどうなったか??

その人たちの人間性・精神性が崩壊してしまったわけです。

ちょうど、今の団塊の世代がこれの影響をもろに
受けている世代なわけです。

政治家にしてもそうですが、
特に宗教団体とかの上層部って、
この辺が中心に組織をとりまとめれていれば

なんならこの辺の世代しかいないから本当に今、
天理教のみならずどの宗教団体も
衰退に向かっているわけです。

人として誰も信用されないから、
信者が離れていく
という感じです。

つまり、神仏に対してや人としての
信仰心があるからこそ、

国であったり仕事・家庭が
繁栄していくことを知っているからこそ、

特に日本はこの信仰心が戦前は最強だったわけですね。
滅私奉公ができるほど精神力が軒並みつよかったからこそ、
日清・日露では勝利でき、

アメリカは大東亜戦争のときに空爆や原爆という
罪のない民衆を殺戮させてしまうほど、

人道的ではない反則技を使って
無条件降伏をさせるしかできなかったわけです。
(人が乗った飛行機で突っ込んでくるは外国じゃ考えられない精神だとか)

でも日本の戦争をした目的は、実は達成されていたんですね。
(これは別の機会に話しましょう。)

そして戦後、
アメリカはその「神仏や人や国・自然を思う気持ち」

いわゆる信仰心というものを日本人から奪いたかった。

(でもアメリカの大学はほとんどがキリスト教等の教会からできています。おかしくないですか??笑)

その結果が「宗教法人」というものを作ることで

「〇〇教」とか、そういった所属意識を作ることで
信者の獲得争いや金儲けなどの「数」に走る人間が増え、

そんな組織にすることで
「宗教というのは怪しいもの・やばいことをしてるところだから関わらない方がいい」

というのを刷り込ませたかったわけですね。

もちろん、学校教育では今でも日本文化ももちろん、
宗教って宗教系の学校や
私立じゃない限りは禁止されていれば、

そしてメディアやニュースなどで宗教団体が問題を起こすと
露骨に報道しまくって、現在に至るという感じですね。

宗教心(信仰心)がない日本人の現在の状況


ただ、そんな宗教がもっている道徳心や人格の修養がなくなった戦後、
日本はどうなっているでしょう??

宗教者の人格は下がっていれば
無宗教化した人たちは更にやばいですね。

夫婦喧嘩と親子喧嘩が勃発して
家庭は崩壊するは、離婚率は上がりまくれば、

それまで100年・1000年以上続いていた
会社法人ばっかりだったのが

今では30年も続かないところがほとんどで、
新人も雇っても速攻で辞められてしまう状況。

周りの人間関係も希薄になったり、裏切りやののしりあい、
他人を踏み台にする人が大量に増えたということです。

今の政治家や官僚・コロナの時にでてきた医師会の人ら・
そして週刊誌やテレビメディアなどがいい例ですね。

他人を踏み台にして自分たちが出世したり、金をもらえたらいい。

離婚率増加は
昔はお見合いで、
お互いの気質を見抜いて仲人が結んでいたことから、
離婚がほとんどありませんでしたが、

戦後以降は恋愛結婚が主流となりました。

ただ、この恋愛もそもそも戦後以降の3S政策
スポーツ・スクリーン・セックスを普及する政策の
一つだったわけですが
これは置いておきましょう。

宗教団体と関わるのはやめて、宗教の持っている本来の教えを実践する。


そんなこんな、僕自身としては
実家がそういうところだったこともあり、

宗教団体に関わるのは
やめといたらいいのは同意するものの、

宗教が持っている考え方や教えというのは
絶対に取り入れて自分や自分の周り・
そして子供などにも人格修養として使っていくべきです。

別に天理教に限りませんが
例えば仏教の教え。

聖徳太子が十七条の憲法で掲げている

「和を以て貴しと為す」であったり、

神道的な自然崇拝。

2500年前に孔子さんが弟子たちと書いた「論語」であったり、
道教の祖である「老子」の教えであったり、

ざっくりいうと、

「当たり前のことに感謝すること。」

これができているかできていないか??
で物の見方ってめちゃくちゃ変わるんですね。

特に日本にはそんな文化がたくさん残っています。
雅楽もその一つです。

指揮者がいない、拍子や音程も一定ではない中で
周りに唱歌という歌で合わせ、

それぞれすり合わせをしていき、
周りの気持ちを読み取る能力をつけていく。

そういった思想・文化を学ぶことで
人柄や人格を鍛えることができる。

要は人を

外面、見た目やルックス・職業や給料や年収・立場・
YouTubeのちゃんねる登録者数やフォロワー数・
家や学歴・宗教やっている奴か??

などステータスばっかり鍛えたり・求めたりばかりでは
だめってことです。
(これは自分にも言ってます。)

それだけしかでしか人を見なくなると
家庭や人間関係が崩壊して孤独になるだけです。
(表面上は仲良くできても、常に孤独との戦いになります。)

学校に銅像が立っていることで有名な二宮金次郎、


本名二宮尊徳さんは
「報徳思想」という



誠実に生き、習慣をもった私生活・仕事をして
贅沢を慎み・無駄な浪費をなくし、
稼いだお金や作った物を自分の為ではなく、次の事業や人の為に分け与える。

「報徳思想」二宮尊徳

そんな宗教の教えを農業に取り入れ、

いきいきとすごせる方法をときました。

これを経済学に入れ込んだのが
日本企業の立ち上げに10000社以上に関与した
渋沢栄一さんや鮎川義介さんはもちろん

そして松下幸之助さんなども、
「滅私奉公」という言葉を使うほど
こういった宗教的な道徳心はもちろんのこと、

自分の自宅や会社などに神棚を置いて祈ってたほど、
かなりの信仰心をもっておられたそうです。
(松下幸之助さんは、当時の天理教を実地で訪れて事業のアイデアを生み出すほど)

何故か??
経済活動は「経世済民」
という言葉から経済となっています。

「仏教にある経典の教えを以て、世の中の人たちを救済しなさい。」

元々はそういうもの意味から経済という
言葉が成り立っています。
よくできていますよね。

お金儲けの儲けるの字は

「人を信じる者」

俗にいう「信者」という言葉でできているように

人や神仏を信仰する心があるからこそ、
ビジネスも仕事も家庭も、
何事もうまくいくようになるのです。

つまり、仕事をするうえでも「宗教」の
教えがないかとうまく成り立たないということです。
(ないところでも儲かるんだけど、内面は孤独になりがち)

その教えをなくし、利己的に生きていくと
「孤独」になってしまったり、誰かから恨まれるであったり、
何かしらの「因果応報」がくると思ってもいいでしょう。

是非、信仰心をもって人柄を鍛えて、
多くの人と共生し、楽しみ・助け合える
世の中を作っていきたいばかりですね。

別に宗教団体に入れとは言いませんし、
そもそもその既存の宗教団体自体を存続させることが
本当の「宗教」でもなければ、
信仰でもありません。

もっと、世の中をよくしていこう!
周りや日本・世界をよくしていこう!と思う人を増やしていく。

周りと共に、よりよい日本、社会・世界を構築していく。
そのうえで、経世済民をして、お金を儲けて
そのお金でより人の為になることを構築していく。

それが本来の宗教・信仰というものの在り方であり、
僕や陽雅会が目指している雅楽のありかただとも思っています。

雅楽を通して本来の日本の和の精神を伝えていく。
これを重きに、活動を展開していきます。

本日はここまで!

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