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台本純喫茶番外編*小説「栄養妖精」

作曲家とファンタジー。
登場人物二人+地の文の構成です。

小説としての鑑賞の他、個人や複数人での朗読にご利用頂けます。
企画等の相談もお請けしております。お気軽にご連絡下さい。
脚本化等、本文中の表現に変更が生じる場合は
必ず事前に連絡をください。
(作業中の連絡、完成原稿の確認・報酬に関しての確認など
させて頂きたく思います)


また、当方での当作脚本化依頼はお請けしておりません
(投稿日現在)。

使用の手引き…https://note.com/souffle_lyric/n/n0ba1320f658a
も合わせて御覧下さい。


ごゆっくりどうぞ!

♪キャラクター紹介(ネタバレ有)

・日向陽(ひなた・よう)
 フリーランスの男性作曲家。二十五才。
 文系大学在学中から独学で作曲を学び、インターネットに曲を投稿する。才能があったために依頼が舞い込むようになったが、陽本人の気持ちが追いつかないままに、学生生活を犠牲にする形で人気作曲家の地位を手にしてしまった。
 名前の字面に反して内向的な性格であり、「陽キャラ」などと自身の名前を使って揶揄されるのがひどく苦手。小学生の頃にはからかわれていた。基本的には優しく他者の意見を尊重する性質。
 贅沢をすることを好まず、売れて引っ越した先も閑静な立地のアパート。小さな防音室に、仕事ができる程度の設備を確保している。少し癖のある黒髪短髪。取材などの外勤以外はジャージ姿。
 コミュニケーションや取材、家事など、作曲以外の面でコンプレックスが多い。音楽においても、DTMを用いた作編曲技術は非常に高いが、生演奏はミスタッチを連発してしまうため苦手としている。
 内心ではノリが良い事も考えており、ジアとの関わりによってコミカルな面も見せるようになる。

・妖精(=ジア)
 陽の家の防音室の壁を抜け、現れた妖精。無性別だが女性の容姿であり、生まれ落ちてから十二年目。元気で明るい。
 背中に虹色の羽を二枚持つ。栄養ドリンクの匂いが大好き。打ち上げ花火のような瞳に、赤と橙とピンクの混ざった髪をポニーテールにしている。行く先々の人間にそれぞれ名前をつけてもらっており、「ジア」という名前は陽がつけたもの。
 妖精は空から産み落とされるため、家族や親はいないが、気の合う妖精同士は友情を育む。ジアにも親友がいたが、ある日突然空に飲まれ死を迎えた。このためジアは“閉じ込める”という言葉を聞くと当時を思い出しひどく怯える。生まれた時から持っている名前があったが、親友が寂しくないように捧げたため、名乗らない。この経験はジアの精神の一部を思慮深く大人にさせている。
 親友を喪った後は悲しみを癒すために旅を始め、人間の家を訪ねるようになった。陽とは持ち前の明るさで心を通わせ、その優しさに触れる事で、自分の過去をも初めて打ち明ける。しかし、ここにいても構わないという陽のもとに留まるよりも、悲しみが癒えるまで、自分の力で旅を続ける道を選んだ。

♪梗概(ネタバレ有)

 新人天才作曲家・日向陽(ひなた・よう)は、自分の現状に気持ちが追いついていなかった。彼は大学在学中に才能が開花し売れ始めたために、学生生活や卒業式を犠牲にしていた。また、取材や人間関係といった、作曲以外の事柄は大層苦手であった。
 ある深夜、陽は妖精をテーマにした映画用劇伴をレコード会社に提出し、防音室で栄養ドリンクを飲んでいた。そこに突如、虹色の羽の生えた、小さな女の子の妖精が現れる。防音室の分厚い壁を、苦戦しながらも通り抜けてきたのだ。
 戸惑う陽と騒がしい妖精は、少しずつ言葉を交わす。自分の名前を揶揄されるのが苦手な陽と、“閉じ込める”という言葉に強い怯えを見せる妖精。二人は傷つけあい、謝りあい、小さく笑いあって、仲を深める。
 妖精は栄養ドリンクの匂いが好きで、陽の元を訪れたという。また、人間の住まいを訪問するのは、陽の家で九軒目であり、訪れる家々でその住人から名前をつけてもらっていると語る。陽は妖精に、先ほど提出した自作の楽曲名『ファンタジア』から、“ジア”という名前をつけ、自分の音楽制作機材で音楽を作ってみないかと提案する。MIDIキーボードを踏み鳴らし、心から嬉しそうにメロディーを奏でるジア。
 ジアは陽を“売れっ子”と褒めるが、陽にはその実感はあまりなく、それどころか、売れてからは友人とも上手くコミュニケーションが取れなくなったとジアに打ち明ける。そんな陽にジアは、陽が悪い人間だとは思えないと伝え、その友人ともいつかまた仲良くなってほしいと告げる。
 一見すれば自由気ままに見えるジアは、親友の妖精を空に飲まれて失い、心の傷を癒す旅をしていた。人間の家から家へと渡り歩くことで、“栄養が欲しかったのは自分の方だったのかもしれない”と打ち明ける。陽はジアと一緒に暮らすことを提案するが、ジアは首を振り、旅を続けたい意思を語った。
 夜明けが近づき、別れの時が訪れる。見送りの音楽として、陽はジアが打ち込んだメロディーに音色を足して楽曲にし、さらに、苦手な生演奏をも重ねて、見送りの曲にした。ミスタッチをしてしまう陽、分厚い防音室の壁を抜けるのに手間取るジア。それでも、そこには暖かな空気が広がっていた。
 二人で作った音楽に見送られ、笑顔のジアは陽の幸せを願いながら、旅立っていくのだった。

♪本編

「『ファンタジア』という曲名で、妖精登場シーンの劇伴を添付しました。ご確認お願いします。日向陽。……送信」
 都内某区、午前二時。背の低い住宅街の、小さなアパートの一室。その中の、さらに小さな防音室。音楽制作用デスクトップPCの無線マウスが、クリック音を響かせる。
 作曲家の青年は、レコード会社の担当者宛にBGMを送信していた。用途は、来年末公開のファンタジー映画。これから長期に渡り気の遠くなるような曲数を、高いクオリティで納品していかないといけない。
「またしばらく寝不足か……」
 上半身は黒、下半身は灰色のジャージ姿。大学時代、文学部の講義の合間に音楽を独学し、自作の曲をインターネットに投稿した。依頼が来れば人の為にも作曲した。文学は不得手だったが、音楽については才能があったらしい。いつの間にか依頼数が倍加し、メールの送信者名はレコード会社やプロデューサー、A&R、広報、営業といった肩書きばかりになった。
『ぜひ弊社のアーティストに曲を!』
『日向様のお力をお借りしたく!』
『必ずや数字に繋がると、確信しております!』
 そんな懇願の文句と共に。
「はぁー……寝らんねえ」
 学生時代から愛飲している栄養ドリンクの栓を捻り、カフェインを喉に流し込む。音楽業界人の元に赴く回数が増えた結果、卒業式には出られなかった。現実に感情は追いつかず、豪奢な生活をしようとは思えなかった。防音室付きの小さなアパートに引越し、作業椅子だけは医者監修の高価なチェアを購入。毎日パソコンに音符を入力し、楽曲を出力している。
「あ、取材だ、明日……。違うわ、もう今日か。まだハンカチしか出してねえ……」
 せめて曲だけ作っていられればいいのだが、“売れてしまった”ために、音楽雑誌からの取材が控えている。渋谷の街頭ビジョンで流れている自分の曲について訊きたいらしいが、陽自身は多忙で見に行けていない。仮眠を取りたいが、取材で着る服も選ばなければ。独り言で呟いた通り、まだハンカチしか用意していないのだ。とりあえず作業椅子から立ち上がり、伸びをしたその時。
 ふと目についた防音室の壁から、小さな虹色の羽根が二つ、生えていた。
(!? で、デカい虫か!?)
「むぐっ! むぐぐっ!」
 聞くからに苦戦しつつ、その羽根は、厚いはずの壁を根元まで抜けた。続けて背中、脚──とうとう、小さな女の子が姿を現した。
「ぷはぁっ!! あ、どうもっ! お疲れ様でーす!!!」
 発声練習か何かのような大声。赤とピンクとオレンジの混ざったポニーテールの髪、動きやすそうな長袖のロング丈トップスにショートパンツ、ぺたんこの靴。そして、背中に虹色の羽根をつけた──手の平サイズの女の子。
「!?」
「あっ、やっぱりありました!」
 その姿から想像に難くない、飛行という挙動で空の栄養ドリンクの瓶に近づき、鼻先を近づける。
「くんくんくんっ……うーん!良い香りーっ!栄養ドリンクの香りって、どうしてこうもそそられてしまうんでしょう!」
「……」
「そして、ここは……?あっ、閃きました! 壁がやたら厚かったのと、音楽っぽい機械があるから防音室! あなたは音楽家さんではっ!? 」
「は……、はい」
「やったー、大正解っ!……って事は、今まさに創作活動の真っ最中でしょうか。一軒目に訪れた小説家さんのお宅を思い出します! 」
「あの」
「今日の夜風は冷たいけど心地良いですよ。身を委ねて漂っていたら、大好物の栄養ドリンクの匂いがしたので、こちらのお宅を探し出したんです。お邪魔してます!」
 そう言ってウィンクし、敬礼をしてみせる。己が苦手とするマシンガントークの気配を察して、陽は右手を挙げた。
「……あの、いいですか」
「どうぞ!なんだか授業みたいですね、三軒目に訪れた教師さんを思い出します! 」
「ええと、あなたは」
「あなただなんてそんな他人行儀な、呼びタメOKですよ! ちなみに呼びタメっていう言葉は、六軒目に訪れた営業のサラリーマンさんが」
「あー、うん。ええと、君……は妖精、なの?」
「ええ!」
 元気印という言葉を想起させるような、肯定の声が響く。
「そ、それで……栄養ドリンクの匂いが好きで、色んな人の所を渡り歩いてるの?」
「そうですそうです!私達の感覚は、人間さんより鋭いんです。中でも私は大の栄養ドリンクの匂いファン! 虫が花の蜜に惹かれるように、私もドリンクの匂いを察知すると、いてもたってもいられないんです!」
「……味も好きなの?」
「味はあんまりです」
「そう……」
 一体何なんだ、この自称妖精は。しかし、陽自身、先程まで妖精の曲を作っていたからか、出ていけとか警察を呼ぶぞとか言う気は不思議と起きなかった。涼しい顔を装って、作業椅子に座り直す。
「私達妖精は、いつもは人間さんと関わらないように暮らしているんですが……私個人は皆さんにとっても関心がありまして。お宅訪問するのは、あなたで九軒目です」
「結構訪問してるんだな……それでそんなにフレンドリーなのか」
「えへへっ。あ、私の事を撮影やネットにうpするのはNGです! バズったら困りますので」
「そんな言葉まで知ってるのか……」
「勉強熱心なんです! 音楽家さんは、どんなお仕事をしてるんですか?」
 曇りのない瞳で、妖精は尋ねてくる。
「……最近の作品なら、肉球百貨店のCM作編曲。違う曲調のが三パターン、新宿と渋谷と吉祥寺の街頭ビジョンで流れてるはず。見に行けてないけど」
 妖精が硬直した。
「あ、あ、あなたが有名人じゃないですか! 肉球百貨店って超老舗ですよね!? こ、こうしちゃいられません!ペン!色紙!」
「無いわ! サインだって考えてないよ!」 
「そう言えばサイン以前にお名前を聞いてませんでしたよ! 教えてくださいっ」
「……よう」
「? おっす?」
「いや、挨拶じゃなくて名前。サインはないけど、名刺ならあるよ」
 自己紹介をしながらPCのディスプレイに、読み仮名入りの名刺を表示する。
「ヒナタヨウ、さん……。お日様の日向に太陽の陽で、日向陽! 元気いっぱいなお名前ですねえっ」
「んな訳ないだろ、俺がそんな奴に見える?」
 在宅仕事で髪はぼさぼさ、服もヨレヨレ。どれだけキャリアを重ねても、名前の字面の眩しさにはとても勝てないと感じている。
「生き物は見かけじゃないですよ。心の中に太陽さえあれば、きっと大丈夫!」
「……お前こそ、栄養ドリンクみたいに元気で羨ましいよ」
 陽の皮肉をものともせず、妖精は興味津々に機材の周囲を飛びまわる。PC、スピーカー、ミキサー卓、ヘッドホン、MIDIキーボード。
「あ、そうそう!  音楽で“ヨウ”といえば、これじゃないですか? ずんずんずんっ!ヨーウ ヨーウ!ヘイユー!ユー!ヨーウ!チェケラ!」
 妖精の脳内には重低音が流れ、陽の脳内には虚無が流れた。
「……人の名前で遊ぶな。苦手なんだ」
「あとはあれですよね、陽キャラと陰キャラ……」
「やめてくれっ!」
 コンプレックスを刺激する言葉に、思わず陽は叫んだ。妖精といえば、
「ありゃ?」
 可愛らしく、あるいは残酷に小首を傾げる。妖精には人間の感情は理解できないのかもしれないが、不快感を覚えた陽は妖精から目を逸らし、棘の生えた言葉を発する。
「……鳥籠か水槽でもあったら良かった。騒がしい妖精を閉じ込められる」
 どの学校にも、こういうクラスメイトは沢山いた。そういう奴らは、少しきつめに言ってやらなきゃ言葉が通じなかったりする。
「虫籠でもいいかもしれない。静かになるまで閉じ込め」
「ひいいいぃっ…!!!」
 カフェインによって熱くなった陽の皮肉は、悲鳴と不協和音によって遮られた。怯えの形相を見せた妖精が、MIDIキーボードのE音とF音の上、尻餅をついて座り込んでいる。全身をかたかたと震わせる姿は、“言いすぎた”と陽に悟らせるには十分なものだった。
「だ、大丈夫か?」
「あ、、ああっ……やめてください、やめてください、閉じ込めないで……」「ごめん、そんな、本気じゃ」
「閉じ込めないでえっ……!」
  「冗談だから!」
「ひっ……!」
 落ち着かせようとした言葉は大音声で空回り、妖精の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ごめん。ひどい事言った。ごめんなさい」
 どうして自分が謝らなくてはいけないんだという葛藤が、ゼロという訳ではなかった。ただそれ以上に、目の前でこんなにも心を乱す妖精のことを、見ていられなかった。
「俺、自分の名前の事、からかわれるのが得意じゃなくて。妖精には、よく分からないかもしれないけれど」
「!」
 妖精ははっと瞬きすると、力一杯首を振る。
「分からなくないです! 私こそ、はしゃぎすぎて……嫌なことを言って、ごめんなさい。……陽さんが嫌でしたら、すぐ出ていきます」
「いいよ、ここにいて。わかってくれたらいいから」
 過剰なほど恐縮する妖精に、陽は優しく語りかけようと努める。お互いに相手を傷つけてしまったが、おそらく相手につけた傷は、陽の方が深かった。防音室に、抑えたすすり泣きの声が響く。
「……これ、良かったら」
 陽は、明日の取材用のハンカチを差し出した。
「ありがとう、ございます」
 感謝の言葉を呟いて、妖精は涙を拭う。
「……あの」
「ん?」
「これ、は。ピアノ、ですか?」
 自分が座っている鍵盤にそっと手を置き、おずおずと尋ねる。
「ちゃんとした名前はMIDIキーボード。鍵盤楽器の形をした入力装置だよ。曲を作る時に音符をひとつずつマウスで入力してたら大変だけど……これを使えば、ピアノを弾くように打ち込めるんだ」
 ゆっくりと説明しながら、陽は作曲ソフトを立ち上げ、Cのメジャーコードを弾く。画面上に、ノートを表す横棒が三つ現れた。
「わ……、すごい」
「俺はリアルのピアノ演奏は下手だから……打ち込み音楽に出会えて、助かったんだ」
「新しいお名前、覚えました。ミディーキーボード」
「うん。……良かったら、君の名前も……知りたい」
 どう呼べばいいのか分からずにいたが、先程の自分の名前の一件を思うと、陽の声は途切れがちになる。妖精は気に留める様子もなく、懐かしむように小さく笑う。
「私の名前は、皆さんにつけてもらっているんです」
「皆さんって……今まで訪ねた家の?」
「ええ。皆さんからのお名前は胸にしまっていますから……。陽さんからも、陽さんオリジナルの名前を頂きたいんです」
「オリジナルって……」
 妖精からの突然の提案に、陽は口ごもる。曲は作れるが、歌詞やポエムは苦手なのだ。せめて何か、既存のものを借用でもできないだろうか……そして、閃いた。
「……“ジア”はどうかな? 君が来る前に作ってた曲、妖精をテーマにしてて、『ファンタジア』っていう仮タイトルをつけてたんだ。だから」
 慣れない行為による照れが混じった提案に、妖精──ジアの瞳は、打ち上げ花火のように輝いた。
「わあ、わあっ……!! ありがとうございます、嬉しい……!! えへへ、陽さんといる時の私は、ジア、ですね!」
 羽ばたいて片足を伸ばし、バレリーナのように三回転。
「……何か、ジアって栄養ドリンクみたいだ。見てて気楽になる」
「そうですか? それなら陽さんは、飲み終わった後の空っぽ瓶です!」
「何だ、それ」
 今度は軽口を返してくれたジアに、陽は内心ほっとした。旧友のように、二人は笑いあう。
「俺、明日さ。雑誌の取材があるんだ。あまり得意じゃないんだけど」
「世間じゃそう呼ばれるのかもしれないけど……。数日に一件来てた依頼が、一日一件、一日数件……って増えただけだよ」
「取材! やっぱり売れっ子さんじゃないですか!」
「世間じゃそう呼ばれるのかもしれないけど……。数日に一件来てた依が、一日一件、一日数件……って増えただけだよ」
 答えながらコードを鳴らす。ⅣーⅤ―Ⅲ―Ⅵ、王道進行。
「学生時代の友達は……俺と絡みづらくなったのか、会話が敬語交じりになったり、気を遣ってきたり」
 ジアは、小さな体に陽の言葉を染み込ませるように、時折小さく頷きながら聞いている。
「お前ももしスピード出世したらこうなってたんだぞ、って思うけど……俺もだんだん、何話せばいいのかわからなくなって、疎遠になってさ」
 陽のジャージの袖口に、ジアの手がそっと置かれた。小さくも温かな心遣いに、少しづつ心がほぐされていく。陽は気分を切り替えるように、ふうと息をついた。
「……よし。ジアも作ってみる?音楽」
「え、できるんですか?」
「うん。さっき教えたMIDIキーボードの、ここを歩けば音が鳴る。ここがドの音で、白い鍵盤を右に歩けば、ドレミファソラシド。とりあえず、好きに歩いてみよっか」
 左手で一オクターブ低いドレミを鳴らしながら、説明する。
「わあ…!わかりました!」
「歩いた音がこのパソコンに記録される。何回でも録り直せるから、満足いくまでやっていいよ」
「ありがとうございますっ。それでは、行きますよー!」
 意気揚々と、ジアはE音──ミの音の鍵盤に足を踏み入れた。

♪ミーレードー、 ミーレードー、レーミーレー、ドーレーミー♪

「ほっ、よっ……!」
「そうそう」

♪ミーレードー、ミーレードー、レーミレードー……♪

「はわわっ、間違えました! 陽さーん、今の消してくださーいっ」
「はいはい」

♪レードーレー、ミッミッドッ、レードーレー、ミッミッミッ♪

♪ドーレーミー、ドーレーミー、レーミーレードー……♪

「ふふ! できましたよ、陽さん!」
 完成したのは、三音だけの素朴な旋律。拙いけれど、それでも陽は、そのメロディに安心感を覚えた。
 再生ボタンをクリックすると、ジアが歩いたメロディーが流れだす。少し覚束ない足取りのリズムだが、作曲者たるジアは、瞳の花火をきらめかせた。
「おお、おおおーっ……!」
「面白い?」
「すごい、すごいですよー! こうしておけば、ホントに音楽を残しておけるんですね。……あ、SNSへのアップは」
「しねーよ」
 くだけた言葉遣いと共に、陽の唇から笑みがこぼれる。ジアもつられたように表情を綻ばせた。
「……ねえ、陽さん。こんなに優しく教えてくださる陽さんのこと……私、悪い人じゃないって思います」
「うん?」
「だからやっぱり、お友達の方ともお話、してほしいです」
「……放浪してる奴に言われたくないよ。お前こそ妖精の故郷かなんかに、友達たくさん置いてってるんじゃないか?」
「あははー、そう見えます? ……でも実はこれ、弔いの旅なんです」
 予想外の言葉に、陽の呼吸は一瞬詰まる。ジアはディスプレイに足を揃えて座り、語り始める。
「私、親友を亡くしたんです。あの子とは色々な事をしました。ごっこ遊びをして、人間さんの素敵な所を語りあって、他の妖精に伝えてまわって、一緒に歌も歌いました。ある日その子は、大いなる空に閉じ込められました」
「……空に……?」
「人間さん達は大丈夫ですよ。壁をすり抜けられない代わりに、空に何かされる心配もありません。空から生まれた私達は、たまに、空の気まぐれで―、何の前触れもなく、空へと還る事があるんです」
「還る……」
 話を聞いているだけなら、『ファンタジア』のような……幻想的な光景を想像してしまいそうだ。しかし今、目の前のジアの瞳は、親友を深く悼み抜いている。
「私にも、“ジア”じゃない元々の名前があったんです。でも、親友に捧げました。あの子はとっても寂しがりだったから」
「……………」
「親友を亡くした私は、泣いて喚いて、恨んで呪って、やがて、泣くこともできなくなって……。人間さんから人間さんへと、渡り歩くようになりました。この世界を生き抜くための、栄養が欲しかったのかもしれません」
「……だから、“閉じ込める”って言葉が嫌だったんだな」
「はい。……でも、この防音室は怖くないです。陽さんがいて音楽があるから、楽しいです」
 目を潤ませて笑うジアに、陽は声のトーンを上げて尋ねた。
「……なあ、妖精って何食べるの? この家さ、近くに高級スーパーも広い公園もあるし、俺……」
 しかしジアは、大人のようにそっと微笑む。
「ふふ、ここに置いてくださるつもりなんですか? 私が厄介になった皆さん、そう言って下さいます。嬉しいけど、だけど……ごめんなさい。まだ終わらせたくないんです。この旅を」
「……そっか」
 彼女の意思は尊重すべきもので、会ったばかりの自分に変えられることではない。そう悟り、陽はうつむく。そんな彼の耳に、
「あ!」
 閃いたように、手を叩く音が聞こえた。
「留まることはできませんが、陽さんにしかできないことを頼みたいです! さっき私が弾いたメロディ、曲にしてくれませんか?」
「えっ……?」
「自分の曲に、見送られてみたいな……なんて」
 はにかみの色が混じったおねだりに、陽はきょとんと瞬いた。しかしその戸惑いは、すぐに自信に満ちた笑みに変わる。
「わかったよ、ジア」
 手早い動きで、PC画面上に音源ライブラリを立ち上げた。
「俺は売れっ子作曲家だ。旅先でだって、俺の曲は嫌ってほど流れるだろうし、忘れたくても脳内ループさせてやる。そして」
「そんな俺が自ら、これからお前に旅立ちの曲を作ってやる。光栄に思え!」
 Cメジャーコードを、今度は力いっぱい鳴らした。
「そんな俺が自ら、これからお前に旅立ちの曲を作ってやる。光栄に思!」
 芝居がかった口調になったのは、『ファンタジア』のようなこの空間が、もうすぐエンディングを迎える寂しさを振り切るため。
 ジアが弾いたメロディを残したまま、楽器の音色を重ねていく。ベース、シンセドラム、ヴァイオリン、グロッケンシュピール。軽くリバーブをかけるとショートカットキーでメニューバーを開き、『ジア』という作品名で一度保存。途切れないよう曲全体にリピートをかけて、再生。
「すごいすごいっ、どんどんすごくなっちゃいました…!!」
「すごいばっかりかよ?」
「だって、ほんとにすごいんです……!!」
「何かそういう反応、新鮮」
 プロの世界では、クオリティの高い音楽を作れるのは当たり前だから。
「……もしかしたら、疎遠になった奴らも……こんな風に喜んでくれんのかな」
「くれますよ!絶対!」
 独りごとめいた呟きに全力で頷いてくれたジアに、今はただこの曲を贈りたいと思う。一秒一秒を懸命に生きている、栄養をくれた妖精に。
「んで、これが……最後に乗せる音」
 そう言いながら陽は、両手で鍵盤を奏でる。音色はピアノ。ジアが歩いてくれた旋律を飾る、右手のスリーコードとテンションコード、左手のパワーコード、右足のペダル。彼の苦手な、即興演奏。
「わあわあ、ふふっ……!なんて豪華なお見送りなんでしょう!」
 ジアが口にしたその言葉が、別れの始まりを告げる。
「元気でやれよ。……わ、ごめん」
 指がもつれてミスタッチ。大事な場面で上手く決められない自分にバツが悪くなり、陽の頬が赤く染まる。ジアはからかうことなく、胸にそっと両手を当てて、
「いいえ」
と、目を閉じて呟いた。
「嬉しい、本当に……。とっても温かいです。思い出が、つまってて……」
「……俺も、嬉しい。ジア」
 奏でながら、素直な気持ちをそっと声にする。自分がつけた名前で彼女を呼ぶのも、もうすぐ終わりだ──そんな思いをこらえるように音を続ける。少しくらいミスをしても気にせずに、止まらないように。
「ほら、行けよ。俺も寝なくちゃいけないんだ。今日の取材を終えたら、友達に連絡するんだから」
「……!はいっ、お世話になりました!陽さんから、栄養たっぷり頂きました!」
 次第に手が慣れてきて、ジアの方に顔を向ければ──小さな涙をトッピングした、満面の笑み。
「いい顔してる。気をつけてな」
「はいっ! それでは、こちらの壁から失礼して……もごっ」
鍵盤に視線を戻しながら、往路と同様に壁を抜け始めたジアの姿を想像して、大声を出した。
「ほら、防音室の壁は分厚いぞ!気合い入れて抜けろよ」
「わかってますー!……ねえ、陽さん」
 この世界に、夜明けが近づく。ジアは音楽に重ねるように、言葉を紡いだ。

♪ミーレードー、 ミーレードー、レーミーレー、ドーレーミー、
ミーレードー、ミーレードー、レーミレードー……♪

♪レードーレー、ミッミッドッ、レードーレー、ミッミッミッ♪
ドーレーミー、ドーレーミー、レーミーレードー……♪

「私の過去を話したのは、あなたが初めてでした」
「さようなら、陽さん。あなたの上に、いつも幸せがありますように」


END

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