考えすぎ変身日記⑤ 富山型がずっと引っかかっている
さっき観たドキュメンタリー。
障害のあるひともないひとも、子どももお年寄りも、外国人も、
みんな一緒に暮らしている場所。
分かり合おう、理解しようという押し付けはなく、一緒にいるということが大事だと。
スタッフと利用者という概念があまり無さそうで、みんなで暮らしている。
一緒にいるときもあるし、ひとりの時間も取れる。
カフェ、蕎麦屋、クラフトビール工房などそこに労働があり、経済を生んでいる。
雇用があり、安心してずっと住める環境になっている。
働いている方へのインタビュー、食い気味に「楽しいです」と返ってくる。
以前観た映画の鹿児島しょうぶ園で働く方も同じだった。
彼が言ったことばが忘れられない「嬉しくなりたいです」んー素敵なことば。
そこで重度の心身障害と知的障害のある青年と認知症のある女性が出会い、
彼のためにその場所に行かねばならぬ、と彼女の夜中の徘徊が減り、早起きして会いに来るようになった。
青年もリハビリをいくらやっても首の可動域が広がらなかったのが、会いに来る女性によって動かせる範囲が増えた、と話していた。
人間が一緒にいることで起こる作用は、専門職の支援より有効という話。
私も療育という仕事を通して育ててもらった。
懇談で親御さんたちと話した時に、私が励まされこちらが相談することがあった。
子どもたちとのやりとりは、「今あの子はどんな気持ちなんだろうか」「この後どんな展開になると思う?」と対応について子どもに相談したり、彼らから「俺もこんなふうに思っていたことがあったから分かる」と聞き学ぶことが多かった。どんな療育本を読むより勉強になった。
離職後はアタシの人生相談の相手をしてくれる子もいる。
子どもがアタシの気持ちを察してくれて、救われたことが何度もあった。
職員が指導してしまうより何倍も、子どもが子ども社会で育つ方が学んでいくし、忘れない。
親の会もそうだった。職員はその場で話を聞き、親御さん同士でするやりとりに心が震え、自分の学びにもなった。
つなげる役とかきっかけは必要だけど、あとはそのグループの相互作用での変化がものすごい。そしてお互いに軌道修正し合えるのだ。
そこに特別な技法や専門知識はいらなかった。
人間性や寄り添う思いだった。
そして何より、この仕事をやっているというアイデンティティで、自分の承認欲求と自信と愛着が満たされていたとつくづく思う。
これは私と出会ってくれる人がいないと成り立たない。
施設、となると支援する側、利用者という役割?というか名称が付いてしまう。それってなんだかお互いの役割意識が出来てしまうなぁと思う。
極端に考えるとアイヒマン実験みたく、支配する側と従う側、とかになりそうな。
在職中は「お世話になっています」と言ってくれる親御さんたちがほとんどだったが、「いやいやこちらこそやらせてもらってます」という思いがあった。
最初に努めた保育園がさくらさくらんぼだったからか、職歴の後半で先生と呼ばれるのもちょっと恥ずかしいというか。
離れてますます思うが、幼稚だった私が育てられたのは療育の場だった。
今の幼さに気づけたのもその経験だった。
子どもたちに、親御さんたちに、職場の仲間に、大人にしてもらったと感じる。
そしていつも、自分の人間性を試される日々だったと思う。
正解が無いから余計に気持ちは揺れるけれど、自分にとって貴重な学習が出来た場だった。
ドキュメンタリーの中の働く女性。
大きな音が苦手で、職場の同僚が大声を出したのが泣くほど嫌だった。
一方で、自分が担当したお客さんが出す大声は気にならない、と。
働くという使命感、人の役に立ちたいという意識が、苦手な事を意識させないんだと思う。
働くという根っこの思いは「人の役に立つ」というところなんだ。今更本当に実感している。これでよかったのだ。
自分が福祉職をやることに対して抱いていた嫌悪感が、最近は変わってきた。
これもバランス、ちょうどええ、が大事、だけどそれが難しい。
昨日、2件バイトの面接に行ってきた。
2件めの面接がとても楽しい雑談だった。
面接担当の方が私のことを「この(面接の)仕事やったとしてもまた、福祉に戻るんじゃないですか?」と言っていた。
彼にはそう見えたのかな。思いが見透かされた?感じ。
前の職場のパートさんに言わせると、私の思考はスッケスケらしいから。
ありゃ?ってことはこの面接落ちる??やーん。
同じ高校出身でその話で盛り上がり、彼の奥さんも療育経験者。共通点が多くてびっくりだった。
富山型熱が再発。
あれは何年前だろう?ねっこぼっこのいえを見に行ったのは。
それからやりとりはなんだかんだ続いている。
ずっと気になっているのだ。
全国の富山型を見に行ってみようかな。バイト落ちたらいつでも行ける(笑)
私も居場所が欲しいんだ。