「死ね」という言葉
「死ね」という言葉があまりにも安易に使われるようになってしまった
と感じている。
私が子どもの頃は人前で使うには憚られる、
そんな重みを持った言葉だったと思ったが・・・。
使うのはもっぱら心のやさぐれた人だった。
私の記憶が正しければ、
世間で「死ね」という言葉の重みが無くなっていったのは、
ある芸人さんが突っ込みで使ってから。
私はそれ以来その芸人さんのファンをやめた。
私が教員をしていた頃、
私の未熟さが原因で学生に「死ね」と書かせてしまったことがある。
実習記録に。私の見えるところに。
私が原因だとわかっていても、
私の失敗と「死ね」という言葉を天秤にかければ、
私の理屈上やっぱり言葉の方が不釣り合いに大きい意味をなした。
かなり傷ついた。
今から思えば学生と向き合うチャンスだったのだが、
当時私も結構調子が悪く、加えて「死ね」のダメージで混乱して
上司に間に入ってもらった。
「明日自分から謝るように言っておいたから!」と報告を受けた。
翌日怖々待っていたのだが、一向に謝罪してこない。
何なら私が1対1のシチュエーションを作ろうとしても避ける。
しかし謝ってもらわないと、学生にとっても今後困ることになる。
最後はエレベータホールまで学生を追いかけていき、声をかけて
ようやく形式的な謝罪を受けた。
学生の立場からしたら、それはやはり教師の未熟さの方が悪いのだから
不本意極まりなかったのだと思う。
だとしても「死ね」という表現での抗議ではいけないのだ。
社会のルールやマナーを守った抗議の仕方を覚えてもらわないと、
今後あなたが困るし、患者さんたちも困るし、
組織も看護界も発展しないのだということを理解して欲しかった。
ましてあなたは医療や福祉に携わる人に人になる。
でも当時の私にはそこまで頭が整理できなかった。
先日再現ドラマで相手が相当な悪人だった時に頭の中で
「おまえが死ね~!」と叫んでいて、
「あ、自分でもそう思うときがあるんだ」とビックリした。
それ位「死ね」という言葉を用いるのに躊躇がある。
この言葉を使った自分の心がささくれ立ってくる。
いじめでも、誰彼構わず匿名で行われる誹謗中傷でも、
とにかく軽々しく「死ね」という言葉を垂れ流す現在は、
不健康すぎると感じるがどうだろうか。
心がやさぐれている人が増えているのではないかと案じるのは
単なる老婆心だろうか。
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