どこかで誰かが(児童思春期病棟 さとるの叫び)
児童思春期病棟での経験。
異動したての頃、まだ20代半ばだった。
入院して5年目のさとるは15歳。
他の看護師にはとびきりの笑顔を見せるのに、
私には悪態をついて睨み付ける日々。
そのくせ詰所にいるとずっと私を目で追っていて、
私に関心があるのは明らかだった。
対応に困った私は先輩に相談した。
「松見さんの気持ちをそのまま伝えてみたら?」
気持ちを伝える・・・どうやって・・・?気持ち?
未熟な私はまだ自分の気持ちを整理したり伝える術を十分に知らなかった。
毎日傷ついて混乱していたというのが実情かな。
翌日出勤すると、いつも通りさとるは詰所前で待ち構えていた。
私 「おはよう」
さとる 「なんでまた来た!帰れ!来るな!」
私 (ああ、またか・・・)「・・・・・」
黙ったまま詰所に入りかけて思った。
(このまま入ったらいつもと同じ、気持ちを伝えてみよう・・・
でも気持ちって・・・?)
気持ちがわからないまま詰所に踏み入れた一歩を元に戻してさとるを見、
口を開いた。
「いっつもいっつも、そんないわれたら傷つくんよ!」
自分でもびっくりするくらいの怒り口調だった。
さとるも一瞬キョトンとして、
次の瞬間、ニッコ~っととびきりの笑顔で「ごめんね!」と答えてくれた。
それからさとるは素直に甘えてくれるようになった。
遠くからでもよく「松見さ~ん!」と呼んでくれる。
さとるのお母さんは育児が苦手だった。
それでさとるは学校にも行っていなかった。
そのせいかさとるは対人関係が苦手な部分もあって
(凄く上手なところもある!)、
初対面の人間に対する緊張が強かったのだと思う。
私がどんな人間か推し量っていたのかな?
私の返しがあまりにも酷かったので、
顛末を報告した先輩は目を白黒させていたいたけど、
かわいいさとるのテストに合格して本当に良かった・・・
というかセーッフ!という気分だった。
ある年、私が夏休みから帰ってくると、
さとるはいつもどおり人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
「松見さん、夏休みだったの?どこいったの?何してたの?」
実家に帰っただけで、どこにも行かず、ただただボーッとしてたとか、
久しぶりに祖母のご飯を食べて美味しかったなんてことを話した。
さとるは熱心に聞いてくれていた。
最後に、祖母から
「どこかで誰かが見てくれているから、陰日向無く一生懸命働きなさい」
と送り出されたことを話した。
話の延長線上のことであり、祖母からよく言われていたことなので、
私からすると何でもない話だった。
さとるも「ふ~ん」と聞いていた。その話はそれきりだった。
それから半年後だろうか、私は異動することになった。
勤務最終日、病棟から出て行く私を大きな鉄扉から子どもたちが小さな顔をのぞかせて見送ってくれる。
「松見さ~ん、バイバ~イ!」
「元気でね~!」
「また来てね~!」
「ありがと~!」
口々に叫んでくれる言葉に泣きそうになりながら、
私も何度も振り返り手を振った。
「松見さ~ん、どこかで誰かが必ず見てくれてるんだよね~?」
ひときわ大きな声が聞こえた。さとるの声だった。
一瞬、涙が止まった。
(ああ、さとる・・・)
私が何気なく話したあの言葉に、さとるが何を感じていたのか、
何を頼りにしようとしていたのか、流れ込んできたようだった。
「そうだよ~。誰かがきっと見てくれてる!自分が気づかなくても、
誰かがね~!」
そんなことを叫びながら大きく手を振った。
あれから30年近く経つ。
あの言葉はどれ位さとるの役に立ったんだろうか。
いつまで支えることができたんだろうか。
幼い頃はその道に行くしかないと言われるくらい荒くれ者で、
でも、きっと行ったら鉄砲玉にされそうなくらい真っ直ぐな子で。
私はさとるの成長を見守ってあげられなかったけど、
目の前にいなくてもあなたを思い続けている人がいることを
教えてくれる人と出会っていて欲しいと願う。
私はずっと思い出の中のさとるに救われてきた。
そんなさとるが今でも生きていてくれること、
できれば幸せであってほしいと願っている。
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