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あきらめの感染

精神科病院に勤務していると、ふと気づく。
ここには「あきらめ」の感情が蔓延していると。

「働きたい」「元通りの生活がしたい」「学校に行きたい」「愛されたい」
「結婚したい」「子供が欲しい」「普通に接して欲しい」
「頑張りたい」「健康になりたい」「新しい友達が欲しい」
「以前の友達と関係を回復させたい」・・・

病院や施設に居ると、色んな希望が出る先から叩かれていくような。

病気や障がいの特性上、加えて医療や社会資源の乏しさから、
困難であることもまた現実としてある。
しかし、である。
どうしてあきらめる?あきらめなきゃならない?
疑問や怒りをもってあきらめず、粘り強く、
信じてやってみるところから始めないと、
いつまで経っても現実は変わらないでしょって思う。

当事者の人はね、ココロのエネルギーが低下しているところに、
医療や福祉の人からも大事にされない経験をすることで、
余計にあきらめてしまっているの。
だからね、だからこそね、医療や福祉や周りの人が手を繋いで、
当事者の人の力を信じて、あきらめず、辛抱強く、
伴走していって欲しいの。

あきらめの感情って感染すると私は思う。

医療者や福祉関係者のあきらめ、家族のあきらめ、当事者のあきらめ・・・
みんながあきらめているから、精神障がい者をはじめ
今の社会で生きづらさを抱える人の周りにはあきらめが蔓延している。

そんなの、システムを変えれば途端に軽減するかもしれないのに。

その為にも、一度立ち止まってみて欲しい。
本当にそれはあきらめるに値することなのかって。
絶対に無理な事なのかって。

信じて欲しい。障がいはその人の一部なんだって。
健康部分がたくさんあるんだって。
頭から否定しないで欲しい。無理だって。
一人一人違うから。ほんと、向き合ってみて。信じてみて。


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