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#01-04 「分岐点」

こんにちは、こんばんは!
そうあゆみです。
 
のびたまごさんと始めた往復書簡「あゆむのびるめぐる」2往復目!!さて今回はどんな文になるのか・・・
現在書き始めていますが未知数ですww(2月頭の書き始め当初)

陳謝と反省と言い訳(今2/13)
投稿の期間が空いてしまい、申し訳ございませんっっっm(_  _;)m
道筋が見えず、書き始めに時間がものすごくかかってしまいました。

はい、切り替えますっっっっ!


まず、振り返りから

#01-03のテーマ「素の自分」もしくは「自分にかえる」は、最初は「素の自分」だけだったけど、なんか足りないなぁ・・・と感じて、「自分にかえる」と追加しました。
→ニュアンス的に見ているものは同じなんだけど、その過程と範囲と(ひっくるめて視点)が違うと思ったから。

今回のテーマが

ということで、予断を挟みましたが、次のテーマは「分岐点」です。
よろしくお願いいたします♩( ´ー`* )♩

ということで、「分岐点」

私の中での分岐点とは・・・

・・・・・・むむむ、悩ましい。
まず、意味での定義としては、
たぶん、分岐点=ターニングポイントという意味で使うことが多いと思う。
でも、その場合って過去を振り返って、気が付くことが大半だと思う。(現在進行形では、なかなか気づきづらい印象)。

ってことは、日々の何気ない選択(分岐点)が後から振り返るとターニングポイントとなるってことだとも言える。

ここまでで、私の中での分岐点とは選択肢の中から選ぶこと
そして、その選択肢は日々の生活の中で現れては消えを繰り返しており、その刹那的なもしくは長期的に残っている選択肢の中から選んで、自分の人生に役立てている?いや、生きる上で後悔のない選択にしようとしている。

※※自分の振り返りが含まれるため以下、辛口です※※

そもそも後悔ってなんぞや?(辛口)


生まれてウン十年、散々後悔する思いをしてきた結果、いや後悔を自分に課してきた結果、私は後悔を自己陶酔の一種だと思っている。
ただ、自分の選択を間違ったと思うことに酔いたいだけ。つまり、自分の考えに酔いたいだけ。
だって、そこは「〜たら、〜れば」の世界。ってことは仮想世界。現実には起きていない世界。妄想の世界。

「〜たら、〜れば」で過去を振り返り、自分を攻め続けることになんの意味があるんだろう…
だって起きてしまった事象はどうにもこうにも変えることはできない。区切りを付けるために向き合うツールとして「〜たら、〜れば」を一時的に短期的に使うことはあっても中・長期的に自分の首を絞めるために使うことはしないほうがいいと思う。
あくまで私個人の意見だけど…

「〜たら、〜れば」の呪縛

過去を振り返り起こる「〜たら、〜れば」の呪縛から開放されるために?書いた記事(多分私なりの開放する方法)がある。

その中の一部を抜粋する

では、点とは何だろう?
点とは“ただ在る”ということ
その瞬間の出来事を切り取った状態。物質的に考えて見たままの状態。
そして、考え方や感情(嬉しい、悲しい、楽しい、怒り等)も。精神的なこと、目にはみえないけど確かに感じることも(五感や語感、肌感とかも)。それがただ在る(と感じる)状態のこと。

点は自分で決めることができる

線を描くには点が必要
→感情が揺れるのは自分の中でその感情を点にしているから

中略

線の意味
ただ在るモノどうしを繋げると意味が生まれる=線
繋げた意図(いと→糸→線になる)が必要になる。それは感情かもしれないし、意思かもしれない、憶測や希望であるかも…

つまり、ただ在るモノをどう解釈し繋げるかはその人次第。
日常でモヤモヤしたり、心が揺れたりすることの中には、
外の点(きっかけとなる事象)と内の点(自分の心の中・思考の中にある感情)が繋がってその状態(線)になる。
だから、線を分解して点を見つけ出し、自分にとって心地の良い新たな点に置き換えてみることだってできる。それは、認識の書き換えともいうのかもしれない。
でも、そうやって、自分の負のループから抜け出せると思うし、ズレたと思ったら修正していけると思う。


だって、ただ在ることをどう解釈するか自分で決めることができる。どうせだったら、心に摩擦のない方に解釈した方がいい。

ただ、そこに在るもの(点)をその選択肢の中から選んだだけ(点と点を結んで線にしただけ)。
そのものをどう捉えるかを自分の感情が思考が何かが判断する。
判断するのは自分由来の何かだから、その何かを書き換えれば、その事象(点)の意味も変わってくる。
→その書き換えは自分にしかできない(自分にとって好きなように解釈することができる とも言える)
→それが、その時(今)の自分にとって心地よい方に、心に摩擦がない方に、ってことだと思う。

今という選択(分岐点)

過去の選択の積み重ねで、今がある。今の選択の積み重ねで未来がある。
その繰り返し。たまに、清水の舞台から飛び降りるように勇気がいる選択があるかも知れない。そして、それをターニングポイントと言っているのかも知れない。
けど、それはただ日々の選択の中の一つでしかない。
数ある選択の中の一つなだけで物事の大小なんてないのかも知れない。
そこに、自分自身が大きな意味付けをしているだけ。

ってことは、ターニングポイントとしての分岐点って自分の意味付け次第でどうにでも変わるってことだと思う。
だから日々の何気ない選択の中で、何を選ぶのかって大事なんだなぁ…と最近思うわけです。

心地よい選択が積み重なった先って、なんか心地よい未来がある気がする。
怠惰な選択の先には怠惰は未来が、
ワクワクな選択の先にはワクワクな未来が、
その選択する時の心地良さで発するバイブスが違うし、
その先が変わってくると思う。
だから、そこの見極めは大事だと思うけど、
まぁ、人生は総じてなんとかなるしなるようになるさ〜と
余計な力を抜いていた方が、自分を見失わずに今を100%生きていける気がしているゆとり世代です。
(まだ、できないことの方が多いけど…)

できることを一つずつ重ねて、自分の奥底が心地よいと感じる方へ歩んでいこうっってのが最近の目標 笑

そうあゆむのみ (名前の通り😁)

以上になります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

次のテーマは・・・
「えがく未来」が出てきたので、お願いします( ̄^ ̄)ゞ

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