戰蹟の栞(44)
江蘇(キイヤン・スウ)省
江蘇省概説
江蘇省は東支那海沿岸の支那中央部に位し、面積三萬八千六百十平方哩、人口二千四百餘萬に達し、支那全土においても人口最も稠密なる地方である。昔呉の國がこの地方に在ったので、別名を呉省といふが、之を江蘇省といふのは、江寧、蘇州の二府の頭文字をとったものである。
江蘇省は北は山東省、西は河南、安徽兩省、南は浙江省に連り、大部分は一望千里の平野で山は極めて少なく、僅かに北方山東省に近いところと西南の太湖及び南京附近に小さな山があるだけである。土地は極めて豐饒で上海、南京等の大都會を有し、商工業の發達は全國の首位にあるが、全省は大體次の三大地帯に分かれてゐる。
一、北方地帶。舊黄河の流域で俗にこれを江北といふ。地質、氣候、物産、言語、人情、風俗等すべて北方支那と類似してゐる。
二、南方地帶。揚子江の南で水路縦横に走り、米穀、蠶糸、製造品等物産は豐富、人口も稠密で、浙江省の北部と共に支那第一の富裕な地方である。
三、中部地帶。揚子江の北、淮安以南の地域で水路縦横に通じ、米、鹽等を産する富庶な地方である。
支那の旅は昔から「南船北馬」といふ。卽ち南方は船で、北方は馬で旅をするといふのである。それほど南方は船の便がひらけてゐる。揚子江、黄浦江の如き大河を始め、無數のクリーク(小さな流れ)があり、水運の便は全國第一であるが、陸路の交通もひらけ、滬寧鐵道(上海、南京間)、津浦鐵道(天津、浦口間)、滬杭鐡道(上海、杭州、寧波間)、淞滬鐡道(呉淞、上海間)寧省鐵道(南京下關より城内に至る)の諸鐵道が開通してゐるが、道路も山東省より南下して徐州に到り、之より安徽省に通ずる大道、山東省沂州より南下して徐州に入り、更に鎭江、蘇州を經て浙江省に入る大道、南京より揚子江を渡って江浦に到り、これより安徽省に通ずる大道の官馬大路(國道)があり、更に最近は南京、杭州間の自動車道路を始め、多數の自動車道路が構築されてゐる。
住民には異種族少なく、唯回教徒が各處に少しく散在するだけであるが、南方人と北方人は多少氣質が相違し、南方人は明敏、北方人は粗野である。言葉も南北に依って相違し、江北の殆ど全部及び揚子江南の南京、鎭江は官話(北京語に近い標準語)を用ゆるが、常州から東南部一帶は松江方言を使用し、又上海には上海の方言がある。これが爲上海と南京でさへ非常な相違がある。支那人自身が言葉の不通で非常な不便をなめてゐる有様である。以下都市を中心に省内の事情を記述する。