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戰蹟の栞(121)

廣西省(2)

〔龍州(ロン・チョー)〕
 龍州は松吉河と高平河の二流會點にある。此の地は安南と廣西の國境貿易の樞要區たるのみならず、軍事上の一大邊防重鎭である。一八八六年コゴルタン條約により支佛陸上通商場となり、ついで雲南蒙自と同時に開放し、陸上貿易場とした。人口約五萬と偁すれど實數三萬餘位か。
 龍州は四邊縣崖絶壁の峻嶺に圍まれ、龍州平野はこの間に在って、東西二十五支里、南北三十支里の地を成す、附近人煙稀にして、耕作されたる土地少なく、左江は城側を西より東に走る。山は皆岩石で、且つ峻嶺である。安南との境界に聳ゆる秀嶺は高さ八十尺に達する。龍州市街は左江の北岸に沿ふて建設せられ、城には東西南北の四門あり、南門大街廳、衙門前街等殷盛を極む。此の附近各種雜貨布疋店あり、市場は三六九の日に開かれ、米穀、家禽、其の他毛皮、獸角等土産の賣買盛んである。舊來の龍州は江の北に在り、南岸にあるものは新龍州である。唯、新龍州は市街といふ程のものでなく、税關、郵政局、佛國領事館、佛國教會堂及び二三の洋館がある位なものである。河北には城の内外に龍州廳、道臺衙門、實業中學堂、小學堂、女學校、提督衙門、廣東會館、福音堂、電報局、兵營等が新築せられ、却って舊觀を改めた。人口六萬五千、縣城は山を背にして圍らすに高さ二丈餘、幅八尺の城壁を以てし、城内は約四平方哩の面積を有する。商業區は城内よりも南門外の斜面に發達し、桂江岸より西江の岸に沿ひ、二道の街路を以て東西を結ぶ、その長さ約一哩半に及ぶ。
 市街は城内及び城外に分かれ、最も蘩盛なる地域は西江竝に桂江に沿へる一帶の地で、梧州商港の主要部分をなしてゐる。此の附近大廈樓軒を並べたその宏大なること、廣東に次ぐものがある。この地に領事館を有するのは英國のみで、白耳義及び伊太利は香港在留の領事をして兼轄せしめてゐる。英國領事館は桂江の右岸高臺の上に在って西江に面し、梧州全市を一眸の下に俯瞰し、丘上に飜へるユニオンジャックは遠近より觀望し得る。蓋し梧州は通商上香港と直接の關係あるため、英國はその利害を感ずること他國に比し一層切なるものがあるからだ。河北は實際の龍州商業地で、河南は外人居留地の如きものである。在留外人は主として佛人でその數多からず。
 龍州の市街は概して淸潔である。併し、道路家屋共に偁す可きものなく、唯、外人の建築物の大なるものは南寧に優るものがある。

〔佛國の安南經營に對する據點〕
 この地は梧州が廣西の咽喉を扼して廣東に對する如く、南方安南に對して同一の地位に立ってゐる。梧州と同様、廣西省の一大商業地であると共に佛國の安南經營に對する軍事の要鎭として兵營その他の公設機關を有し、夙に文化の燭光を廣西の西南端に輸入した。
 この地は元來佛國の廣西侵略に對する要鎭である關係上、早くより國境軍備に力を注ぎ、兵器局、講武堂、測繪學堂の設けがあったが、首都の南寧移轉と共に、兵器局を除く以外は南寧に移轉した。
 龍州の陸路貿易路は國境に近き鎭南關まで陸路により、これより鐵道によるものと、龍州より松吉江の水利により平而關を經て佛領に出で、更に水利により那勒に至り、那勒と諒山鎭または鎭南關の間を、陸路により鐵道に出づるのと二路あり、龍州より南寧へは専ら左江の水利により往來す。龍州鎭南關の間は三十五哩乃至四十哩。嘗て佛國はその鐵道を延長して龍州に至らしむる計畫をなし、一八九六年に費務林公司なる財團を組織し、支那と合同經營せんことを約し、翌年測量を終り、その敷設費二千八十萬法とし、契約せんとしたが、一八九九年これを減じて一千六百萬法とし、軌道幅を一米突に改め、次いでまた三百二十萬兩に減じ正式に調印せんとしたが、匪亂のため事遷延し、これと前後して佛は新に雲南に入る鐵道敷設を實行したため、本鐵道は遂にこれを放棄した。

〔桂林(クイ・リン)〕
 桂林の地は四周皆山、直立數百尺、筍の如く鋒の如く、大城塞の如し、東方に大明山々脈、北及び東に大痩嶺山脈の雄姿を臨む。東西に邦里、南北五邦里の一大盆地は桂江の碧流によって南北に貫かれ、水草茂り、樹影深潭を浸し、風光の美、稀に見るところである。城内に風洞山、紫金山あり、前者は北門に近く、後者は城内の中央より稍々北に偏し、南は貢院の跡で城壁は周圍十二支里の長方形を為してゐる。

〔戒嚴令下にある街〕
 桂林は民國初年まで、廣西省の首都であったが、西南の邊境風雲急となり遂に外交上の見地から首都を南寧に移した。市街清楚にして城域廣く、城壁の高さ約二丈三尺、城門四あり、東に灘江を控へ、江の對岸には七星岩、福波山、疊綠山、虞山、孔明山その他無數の秀峯に圍稀鄭る。城内の中央公園には五百尺の奇岩直立、その麓より螺旋形に築き上げられて三百數十餘の石段を登れば、岩山の頂上に達す。絶頂には亭を設け、小廟が祀られてある。岩壁の表面には唐宋元明淸各時代の詩人名士の詩文を刻んである。この頂上に立ちて南面すれば、岩山の麓には師範、中學、女學校、圖書館等が立並び、遙か彼方に司令部、縣廳等も一望の中にある。市内の秩序は整然としてゐるが、事變以來城内外の警戒極めて嚴重となり、半戒嚴状態に置かれてある。市内では一切の撮影を禁じ、外人には一々當局から護衛が付けられてゐる。警備隊はむき出しの拳銃の引金に指をかけた儘、列を組んで市中を巡察し、公安局の巡捕は物凄い靑龍刀の抜身を堤げて大道の至るところを警戒してゐる。この外、なほ四、五十名づつを一隊とする武装民團軍があり、市内を示威行進してゐる。

〔廣西の政治的中心地〕
 桂林は現に舊市街を毀ちて新市街の建設を急いでゐるが、すでに出來上がった街路は立派なコンクリート道路で、西側には整然と街路樹が植ゑられ美觀を呈してゐる。人口十萬といはれるが自動車の如きは殆ど姿を見ない。この地も南寧と同様、市民、學生いづれも木綿服をまとひ、質實なる廣西主義を奉じてゐる。
 市の東南隅には特別區が設けられてゐる。市内の於いては阿片も娼妓も麻雀も嚴禁されてゐるが、この特別區だけは小規模ながら、芝居、妓樓、麻雀、賭博場、阿片館等を許し、税金を取立てゝゐる。南寧にも梧州にも許されないこれらの娯樂機關を何故桂林のみに赦してゐるかは、桂林の街が他の縣城と違って古い歷史を有することゝ、これを以て新市街建設の財源とするためであるといふ。
 桂林は元來商業都市と偁す可きものでなく、唯、廣西の政治的中心地として且、廣西、湖南兩省交通の要地に當った故を以て市街の蘩榮を保って來たものである。而も今や政治の中心は南寧に移されたので、生業として特筆す可きものなく、省城移轉後、市況は日に衰微しつゝある。唯、附近より出づる農産物竝に上流地方より集り來る物産を、梧州方面に輸出し、梧州方面よりは住民の生活に必要なるものを輸入し來るに過ぎない。卽ち米、紙、油類、天蠶絲、棉花、桂皮、酒、竹細工等を輸出し、洋紗、洋布、石油、南貨、鹽、雜貨等を輸入してゐる。

〔興安(ヒン・アン)〕
 興安縣城は靈川縣より北九十支里桂江の左岸にある。桂江は城の東門外城壁を繞って西流す。城東には海陽山を臨み、北は湖南の連山を仰ぎ、附近水多く、耕田地域廣し。人口約三千。この地は桂江水運の終點として湘水々運に連絡し、地方物産の集散地をなすが故に市況比較的盛んである。紙行、雜貨行、糧食行等多し。當地物産の大宗は米、天蠶絲、竹紙、等で、他省に輸出し、土布、洋布、綿布、繰絲、竝に洋紗、鹽等を輸入す。

〔靈州(リン・チョー)〕
 靈川縣城は桂林より北方約五十支里、桂江の右岸にある。附近西方一帶地廣く田園多し。縣内を七郡に分ち、更に四十八團に分つ。人口約一千五百。竹、木材(樟樹)の産出多し。

〔陽朔(ヤン・ソー)〕
 桂江の右岸魯公灘より三十支里、桂林に至る百六十五支里である。附近奇峯秀水に富み、桂江の風緻此地を最とす。陽朔縣城はその奇峯中に建てられたもので、その區域は大して廣くない。人口約二千、湖南人最も多し。

〔全州(チュアン・チョー)〕
 全縣は興安より北百二十支里、湘水、灌陽水及び羅江の合流點にある。湘水上流の一大商業地で、湘水はこれより大船を湖南に通じ、廣西より湖南に入る貨物、湖南より廣西に入る貨物は當地を中繼地として集散し、商況甚だ活氣がある。市街は北背に山を負ひ、地域廣からず、城は東西約二支里、南北約一支里半で、人口約二千二百。最も殷盛なるは西門大街で、綢鍛行、首飾行、雜貨行、糧食店あり。

〔平樂(ピン・ロー)〕
 平樂縣城は桂江の左岸恭城河との合流點にあり、梧州より四百支里、桂林に至る二百五十支里、梧州、桂林間の略々中央に位す。後方は山丘に依り、前面は桂江に瀕ふ。街は水面より約三四十呎の高さに在り、附近は恭城河及び西來の荔水によりて一大盆地をなし、地勢平坦である。城壁高さ二丈餘、城廓は東西一支里南北一支里半あり、人口約八千、そのうち廣東人最も多數を占め、湖南、江西人これに次ぐ。當地は別に特産物と偁す可きものなく、附近より僅かに米、天蠶絲等を産し、鑛産として錫、砂金等を出すと偁せらる。

〔昭平(チャオ・ピン)〕
 大洞峡を出づれば地勢頓に開けて平地をなす。その中心をなすものは昭平縣である。縣城は梧州より二百五十支里、平樂縣より百六十支里、桂林に至る四百餘支里の地點にある。附近一般に地勢西に高く、五指峰の雄姿を臨み、東は江水を隔てゝ巒山に對す。桂江の水はこゝに至りて大洞峡に阻止せられ、一大盆地をなす。東西六支里、南北三十支里の耕野連なり、一支流により更に西南に伸ぶ。城は桂江の左岸に臨み、水は東より流れて岸に激し、繋船に便ならず、江岸の高さ約三十呎、船は多く對岸に泊す。人口約三千。市況殷盛ならず、當地に於ける主なる生業は、藍の栽培及び染物業で、靛の年産額は毎年二、三百萬斤といはれ、廣東西南地方に輸出し、桂江筋輸出品の大宗を成す。

〔隆安(ルン・アン)〕
 隆安縣城は南寧より三百四十支里、右江右岸に位する一縣城で、一帶に平地多く、人口も他の都邑に比して多く、耕作地域も稍々廣く、其の他水牛、豚等の牧畜盛んに行はれる。人口七千、商業は盛んならず、特産物として蓆、米、豆、落花生、包谷等を出す。

〔藤縣(トン・シェン)〕
 藤縣城は梧州の上流二十五哩、西江の右岸、繍江との會合點に位し、城壁を繞らせる都邑である。人口一萬乃至二萬と偁するも實際はその數に滿たず、三千乃至四千の間にあり、藤縣城内に於て蘩華なる市街は東門内大街、及びこれに接する東門外大街である。雜貨店、綢緞舗、糧食店等多くこのところにあり、この地の交通は多く水路繍江により、陸路による他地方との交通は便利でない。
 農産物の主なるものは落花生及び甘蔗でその他龍眼、棗等の果物を産す。工芸品としては家具類の政策あり。商業は主として梧州との間に行はる。輸入品としては、燐寸、棉布、綿絲、海産物、石油等で、果物、薪木等を輸出す。藤縣附近一帶の山地には樹木多く林業經營に適す、現に林業組合を組織し、植林の計畫を行ってゐるが、經營方拙劣なるため成績擧らず。
 

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