「生きたい」と「死にたい」の間で。もしかしたらあなたが背中を押してしまっているのかもしれない
※この記事には自殺にまつわる話が多数出てきます。その点を踏まえ、自己判断で読んでください。
※この記事は私の友人の話です。私はメディアを離れましたが、知人が某インターネットメディアに勤務しているため、彼女に頼んで友人の話を聞き書きしてもらい、掲載のお願いをしました。
でも、そのインターネットメディアからは掲載を断られたため、私のnoteで公開することにしたというちょっと複雑な経緯があります。
いつもとちょっと記事のトーンが異なるのは、そのためですーーー。
その前提をご理解いただいたうえで、お読みください。
焼酎を2本、精神安定剤を402錠、睡眠導入剤を105錠を飲んだ
私には、時々、月に2,3回程度、「死んでしまいたい」という思いが湧き上がってくることがある。精神科に通い、精神安定剤やパニック障害を抑える薬、睡眠導入剤など複数の薬を常用している。
「死んでしまいたい」という思いが湧き上がってしまったときは、好きなDVDを見たり、音楽を聞いたり、ストレッチをしたりして気を紛らわし、その思いを必死に抑え込んでいる。
ところがつい先日、どうしてもその思いを抑え込めない日が来てしまった。夜、11時くらいから、焼酎を2本、調子のいいときに溜めておいた精神安定剤を402錠、睡眠導入剤を105錠、合計602錠の薬を飲んだ。
私は、それで死ねると思ったからだ。
どうせ今日死ねないのなら、病院に行こう
でも、その予想は裏切られた。私の体には何も変化が起きなかったのだ。‘なにも’と言えば嘘になる。意識はぼんやりしていたし、歩こうとしてもふらふらしてしまう。でも嘔吐などの症状は一切なかった。
そして私は悟った。「あ、今日、私は死ぬことができない」と。
そして私は思い出した。
私は少しだけ医療関係にくわしい友人がいて、「ひまわり」という施設があることを。「ひまわり」とは 東京都民のが、24時間体制で、都内の医療機関の場所や診療の内容などを検索して、受診の参考にするための東京都が提供しているサービスだ。
私は「ひまわり」に電話をした。
対応してくれたのは、男性のスタッフの方だった。
自分が飲んだお酒の量、薬の量、ぼんやりした感じと足元のふらつきはあるが、嘔吐などの症状はないことを告げた。
「どうせ今日死ねないのなら、病院に行こう」
そう思った私は、今の私の状態で緊急でみてくれる病院を教えてほしいと、その男性スタッフに告げた。
自殺を試みるのが初めてなので、自分がどんな状態なのか、体の中で何が起きているのか想像もつかない私は、救急車を呼ぶべきなのかもわからなかった。だから、病院を教えてもらって、タクシーとか、徒歩圏内にある病院に自分の足で行こうと思ったのだ。
彼は私が死んだことを知ることすらない
そうしたら、その男性スタッフは「嘔吐もないし、今こうして私とコミュニケーションもとれているので、心配ないと思いますよ。病院も必要ないので、今日はそのままゆっくり眠ってください」と答えた。
焼酎2本と602錠の薬を飲んでも、コミュニケーションが取れてるし、嘔吐もないし、大丈夫」。私はこの言葉に絶望した。
そして、手元にあった、あらゆる精神薬をすべて飲んだ。
もし寝ている間に私の体の中で何かが起きて、朝目覚めることがなかったら、この男性スタッフはどう思うのだろう。でもきっと、彼は私が死んだことを知ることすらないのだろうとも思いながら、這ってベッドにだどり付き、ふらついてベッドに上がることができず、うつ伏せになって、意識を失うように眠った。
「死にたい」と思っている人でも、心のどこかで「生きたい」思いを抱いている人もいるのでは?
そして、私は頭痛ともに、朝、目が冷めた。
ここまで、私の自殺未遂、死に損なってしまった話を書いてきたけれど、本当に伝えたいことは、そこにはない。
これは私の個人的な考えだが、「死にたい」と自殺未遂を繰り返している人の中には、心のどこかで「生きたい」思いを抱いている人もいるのだと思う。心の中で「死にたい」と」「生きたい」の微妙なバランスを保ちながら、なんとか生きていて、誰かの一言、空腹、家を失い路上生活をせざるを得なかった、お財布の中の残金などの何かのきっかけで、ほんの少しだけ「死にたい」が強くなってしまったときに、自殺という一歩を踏み出してしまうのではないかと思うのだ。
詳細は伏せるが、実際、私があの日自殺未遂をしたのは、今思えば大したのことないきっけかけだったからだ。
幸い、私は今回、死ねなかった。
「生きたい」と「死にたい」のバランスを取りながら、今日も生きている。
どうやら薬では死ねないらしいと気づいて、別の死に方を模索しながら、生きている。
些細なことが、「生きたい」「死にたい」のバランスを崩壊させる
「ひまわり」の男性スタッフの対応が、マニュアル通りだったのか、個人の判断だったのか、わからない。
ただ、少なくとも私にとって、さらなる絶望をもたらし、もっと薬を飲んでしまうという事態を招いたのは事実だ。
みなさんは、街の中を歩いていて、「この人は、生きたいと死にたいのバランスがちょっと危うい人かどうか」なんて、すれ違う際に人の顔を見ることなんてないだろう。
会社の同僚や友人、家族と交わす、ちょっとした会話。
新しく買ったというバッグ。
恋人とののろけ話。
「今日は、ちょっと料理手抜きなんじゃない」の一言。
そんな些細なことが、「生きたい」「死にたい」のバランスを崩壊させる可能性はゼロではない。
そして、死者は何も語らない。
あなたの「あれ」がきっかけだったのと語ることはない。
知らないうちに誰かのバランスを崩壊させてしまっているのかもしれない。今回自分の、自殺失敗騒動で、それを痛感した。言葉を発するたびに、なにかものを誰かに見せるたびに、この人を「死にたい」のバランスに傾けてしまったかもしれないなんてことを考えるのは、不可能だし、正直面倒だ。だから、そういうことを念頭に入れて、人といつも接してほしいと主張するつもりは毛頭ない。
ただ、ほんのたまにでいい、「自分の言動が誰かのバランスを崩壊させてしまうことがある」ということをちょっとおもいだしてほしいのだ。
増え続ける自殺者。悲しいニュースを見るたびに胸が痛む。そんな事件が少しでも減りますようにと祈りをこめて。
もしあなたが、もしくはあなたの大切な人が、落ち込んだり、不安が大きすぎてふさぎ込んだり、いつもの気持ちでいられなくなくなったりしたら……。
次のところに相談してみてください。
厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」(全国共通)0570-064-556