僕が思う大人らしさの正体
現在、僕は20代半ば。
社会人生活も2年が過ぎ、世間の基準では立派な成人となった。
歌番組に出てくるアイドルやW杯で活躍する選手にもすっかり年下の子が増えてきた。
ふと思う。僕はちゃんと大人をやれているだろうか。
大人だね、という言葉は、成熟した人への賞賛のひとこととして存在する。
では何をもって成熟している、大人っぽいと人は判断するのだろうか。
「精神的に自律しているかどうかだよ。」
「違うね、自分の力で稼いで1人で生きているかどうかだよ。」
「いや、そもそも”大人”なんてのは幻想だよ。」
”大人”の定義は難しいかもしれないが、あの人は大人だな、と思うとき、そこには少なからず憧憬が隠れていると僕は思う。
それは細かい所作振る舞いに対してなのかもしれないし、もっと大きな生き様に対してなのかもしれない。
でも人には人の大人センサーがあり、そのセンサーで無意識のうちに他人を評価している。
「大人=○○」と定義することはできないけれど、僕が”大人”だと感じてきた人たちの特徴はある程度絞れてきたので、ちょうど振り返りの年齢ということで備忘録的に書き留めておこう。
大人だと感じる人の特徴①:
物事を二元論で考えない慎重さを持ちつつも、スタンスを取れる
思考力が高い人は物事の多くが、0 or 100で判断できないことを知っている。
彼らは知識が豊富で、考察が深くて、リスク管理能力が高いからだ。
そのため、”場合によるが”という前置きをつけることも多い。
でもそれでは前に進まない。
白黒はっきりさせることで、人は迷わず行動できるのだ。
断定できないからといって、決断できないわけではない。
真に聡明な人であれば、前に進むためには、不確実な状況下でも何かしらのスタンスを取らなければならないことを理解している。
そのため、思慮深さを持ちつつ、勇気ある意思決定まで出来る人に僕は大人らしさを感じる。
大人だと感じる人の特徴②:
押しの優しさだけでなく、引きの優しさを持っている
SNSの発達もあり、今では簡単に”受けが良い優しさ”を身に着けることができる。
体調が悪い彼女には○○をしてあげると良いといった身近なものから、芸能人の神対応集といったものまで。
誰でも1クリックでアクセスできる。
僕はこれらの優しさを押しの優しさと呼んでいる。
でも押しの優しさが目立つようになった結果、相対的に、余計な一言を言わない、あえて遠くから見守るといった引きの優しさの価値が高まっているように思える。
引きの優しさはその性質上気づきにくく、またパッと見地味であるため、印象にも残りづらい。
だからこそ、引きの優しさを持ち得るのは、リアルな日常の中で他者の引きの優しさに気づき、それを大事に育ててきた人だけなのである。
本来は押し、引きどちらの優しさも同じくらい価値があるものだ。
ただ、より強く意識し、それ相応の人間関係を築いてこないと身につかないという観点で、引きの優しさを持つ人に僕は大人っぽさを感じやすい。
大人だと感じる人の特徴③:負の感情を周りに漏らさない
最後の特徴は、とどのつまり、いかに周りという視点を持って、自分の感情を取り繕えるかどうかだと思う。
極端な話だが、赤ちゃんは負の感情を抑えるなんてことはできない。
悲しかったら泣くし、機嫌が悪いとすぐ怒る。
でも年齢を重ねるにつれて、人は自分の感情をコントロールできるようになる…
いや、違う。
感情をコントロールできるようになる、とされているだけだ。
思うに、大人でも子どもでも、抱く感情そのものは大して変わらない。
よく自分の機嫌を取ることができるという人がいるが、あれは周りに対して自分の機嫌を取れているように見せる術を身に着けているだけだ。
そして、感じ方に程度の差はあれど、正の感情、負の感情の発生頻度は人によってそこまで変わらないのでは?というのが私の持論だ。
それゆえに、負の感情を漏らさない人には大人らしさを感じる。
なぜなら、負の感情の発生頻度や制御力に個人差がない中、負の感情は周りに出さないほうが合理的だと判断し、かつそれを実際に遂行する力を持っているからだ。
これはなかなか出来るものではない。
頭で分かっていても自分視点に立つと、つい苦悩や愚痴を吐露してしまう。
でも、周りという視点を冷静に備え、いかんいかんとこらえる胆力を持っているところに僕は大人らしさを感じる。
さてここまで私の”大人”センサーに触れる人の特徴を書いてきた。
改めて、僕は大人をやれているのだろうか。
そんなことを考えながら、「はぁ、やっぱよく分からないな、てか疲れたー」と呟く自分に気づく。
どうやらまだまだ子どものようだ。
水無月 双
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