私は私のなんとなくを嫌悪する
"なんとなく"は魔法の言葉。
それを使えば、人は恐ろしく楽に生きることができる。
なんとなくは2つのサボりを含んでいる。
それは思考のサボりと対話のサボり。
まずは思考のサボりから。
誰しも一度はなんとなくで意思決定したことがあると思う。
昼ご飯はなんとなくラーメンの気分だな。
なんとなく今日はカラオケに行きたい。
なんでこの服買ったの?んーなんとなく。
でも基本的に本当の意味でなんとなく意思決定がなされることはない。
(めちゃめちゃ運動して疲れたから)昼ご飯はラーメンの気分だな。
(仕事でミスして怒られたから気分転換したいし)今日はカラオケに行きたい。
(同じ価格帯の服の中で少し変わってて良いと思ったから)この服がほしい。
この()の部分が何なのかを考える癖をつけないと、自分のやりたいことや行動原理がいつまで立っても分からず、ストレスへの効果的な対処法や自分の機嫌の取り方が分からなくなる。
そして、この()を考える癖は相手の文脈でも意識しておいた方が良い。
詳しくは後述するが、ほとんどの人は会話をめんどくさがり、何でもかんでもなんとなくで済ませようとする。
そのため、相手の()を自分の脳内で補完する癖をつけないと、相手の真意を理解できなくなってしまう。
自分のことも相手のことも正しく理解するためにはなんとなくを解明する思考が必要なのだ。
続けて、2つ目のサボり、対話のサボりに関して。
対話中になんとなくが発生する時は主に2つの原因があり、①深く考えられていない、②理由を伝えるのが面倒くさいの2パターンだ。
②でもって、なんとなくを使ってしまうと、2つの問題が発生する。
1つは、相手に自分の真意が伝わらなくなる、2つ目は、説明力がつかなくなるというものだ。
(①に関しては先ほどの思考のサボりで話した問題に直面する)
例えば、さっきの事例で、()を補わないと、(この人はこのブランドがお気に入りだからいつもと同じように今回も)なんとなく買ったんだと思われる可能性がある。
そうなると、自身の趣味嗜好が誤解されてしまう。
その他、世の中のいろいろな場面で、なんとなくで済ませたばっかりに「いやそうではなく、、」が発生する。
2つ目の理由は、自身の説明力が恒常しないという問題だ。
理由を伝えるには、自身の脳内で理由を整理し、それを端的に相手に説明する必要がある。
そのため、いかに誤解なく簡潔に物事を相手に伝える力を磨くことに繋がるのだ。
なんとなくでその説明機会をそいでしまうのはもったいない。
最初は冗長になってもいいので、まずはしっかり言語化する力を培ったほうが良い。
なお、自らのなんとなくを封印することで、因果関係と相関関係を見極める力が育つのだが、それは後日まとめようと思う。
上記理由から私は極力なんとなくを封印して生活している。
ただ、なんとなくには優しさがあることもわかっている。
告白を断るときに相手を傷つけないように
少し合わないと感じる相手と距離をとるために
だから、私は、私のなんとなくのみ嫌悪する。
それでもなおなんとなく直感で心動かされる体験を希求していることは内緒にして、、
水無月 双
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