ポジティブ人間が白血病になった話(再発編)

 この記事は「ポジティブ人間が白血病になった話」の後編にあたります。

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 2023年の7月頃、急性骨髄性白血病が再発しました。

 再発となれば移植治療が必然です。ぼくの血球を作る工場には致命的なバグがあるらしいので、他の人の信用できる工場の一部を移設して再起を図ろうという、いわば骨髄移植です。移植となればドナー探し。移植治療にあたって最も先が見えづらいドナー探しは、なんとありがたいことにこれ以上ない早さと好条件で終わりました。ぼくも主治医も家族もみんなみんな大喜び。ほんまに、ほんまに運が良い。
 あまりにも運が良かった結果、わずか半年で寛解および退院まで漕ぎ着けてしまうわけです。

 さて、内定は取り消しになりました。恋人とは友達に戻りました。長いベット上での生活と副作用が理由で運動機能が著しく低下しました。生殖機能は現状どうかわかりません(治療の影響で低くない確率で失うことがある)。あとは地味な後遺症とかが残っていますね。ひとまとめで「健康な体」にすればいいか。
 再発前と比べて手放したものといえば多分こんぐらい。
 一応精子保存とかは対応済みなので、その他は時間をかければきっと取り戻せるものばかりでしょう。

 前途はまだまだ明るいです。

 でもなんなんですかねこの病気。放っていても直接痛みやらで主張してくるわけじゃないのに、振り払って生きようとすると障害が多いんですよね。嫌になります。ね。
 化学療法のみの治療と比べて移植治療は何倍も耐え難いって事前情報がありました。マジでした。でもそれは治療のしんどさだけじゃなくて、不透明な未来に対してぼくが以前より根拠のない自信を抱けなくなっていたからだと思います。
 生きるのは前提として、どうしたら少しでも身体が楽になるのかってそればかり考えていました。ある時、看護師さんの些細なミスにトゲのある言葉をかけようとしている自分がいて、自分の脆弱さを思い知って悲しくなりました。強くあらんとしていたわけではないんです。ただ自分の身の丈に気付いて、こんな病気に気付かされたことが、嫌だったんですかね。
 できるだけ患者が快適に過ごせるようにと最大限の配慮をぼくも頂いていました。でもいま振り返ってありがたみをそこまで思い出せないのは、当時ぼくがぼく自身で精一杯だったからだと思います。
 ぼくは再発を経て、ぼくという人間を学び直しました。

 でもその学びの機会が白血病である必要はなかった。白血病である必要はなかった。白血病に罹らずともぼくはぼくのことを学べました。未だにそう心から思っています。
 無駄にするのも癪なのでせいぜい糧にしてやろうと思っていますけれども。

 理不尽から立ち直るために、理不尽を肯定する必要はないことを学びました。

 退院したいま、無理なくできることからやっていこうって気持ちです。
 当然できないことに嘆く日もあります。ポジティブ人間だってしょげる時はしょげる。恋愛とか、この先どうなるんかなあとか。いまは他にすべきことがあるんとちゃうかなあとか。慎重になったなぼく、って思うことが多いです。
 まあきっといつか満足にできるようになるでしょう。自分で自分を許せる日がくるでしょう。それは今日じゃなくたっていい。

 一歩一歩、地に足つけて生きて、あとは未来のぼくがなんとかしてくれるでしょう。よろしくな未来のぼく。



 で、闘病記としては以上です。正確には退院しただけで、通院はあるし闘病生活はまだまだ続くんですが、それはこれからの話。
 とりあえずぼくは、先立ちかけた親不孝なぼくを終始支えてくれた家族にぼくのできることで以て少しずつ恩返しをしながら、家のありがたみを更に満喫する所存です。うおー。

 みんなも健康には気を付けてな。

 いっしょに長生きしような。

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