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第24話 気遣いをしない人への対応

私の外見は相変わらずひどいままでしたが、そのことを表立って私に質問するような野暮な人はあまりいません。
でも、ときどき、そういう人がいるのも事実です。

典型的なのは、幼稚園から小学低学年くらいの年齢の子どもです。
私の顔を見るなり、どうして髪の毛がないの? どうして眉毛がないの? と真顔で聞いてきます。そういう時には、世の中にはそういう人だっているんだよと、優しく返してあげます。

でも、そうやって言葉にして質問してくれるのは少数かもしれません。
言葉にはしないまでも、私の顔を不思議そうに見つめる子どもの方が多いです。
エレベーターに乗り合わせた子ども、電車の席で向かいに座った子ども、私の顔を初めてみた子どもたちが、とても不思議そうに私の顔をチラチラと見ているのが分かります。
横にいるお母さんに、どうしてあの人は髪の毛がないのと聞くケースもありました。私も気づかないふりをしましたが、そのお母さんは非常に気まずかったでしょうね。

そういう視線に晒される体験には慣れてきました。ですので、その瞬間にとても悲しくなるということはありません。でも、夜に一人で過ごしている時などに、その時の子どもの表情を思い出しながら、自分の見た目が変わっていることの辛さを噛みしめます。

大人にも、そういう人がたまにいます。
フランクにしゃべることを信条として生きている人です。関西には多いような気がします。
初めて入ったオムライス屋さんの兄ちゃんが、にこやかにしゃべりかけてきました。
どうしたの、その頭。俺だったら、その頭じゃ外を歩けないなあ。帽子かぶって歩いたほうがいいんじゃない。
なかなか、ひどいセリフですね。しかも、お店で働いている人が、初対面のお客さんに向かってこんなことを言うなんて、小説でもありえないと思いますが、事実なのです。
私は、その兄ちゃんにそこまでの悪意は感じませんでした。日常会話の中で笑いを最も大事にする文化の中で、私に対しても明るく振る舞うことを期待してつっこんできたのだろうと感じました。ただ、うまくボケるセリフも思い浮かばなかったので、いや昔からこうなんですよとか、曖昧な言葉でその場をやり過ごしました。
ある程度有名な店だったので、出てきたオムライス自体は美味しかったです。

その店を出た後で、一緒にいた友人が激怒していました。
なんで、あんなひどい言葉を言われたのにへらへら笑ってんだ。自分だったら、オムライスを食べる前に代金だけ置いて、捨て台詞を残して即座に店を出ていくよ。
私よりも10倍くらい怒ってましたし、店の兄ちゃんに反論しなかった私に対しても怒りが向けられました。

あの時どう振る舞えば良かったのだろうかと、ときどき考えます。
確かに、その場で立ち去るというのは1つの選択肢でした。
「ひどい店だな、こんな店二度と来るか」と、大声で叫んで金だけ置いて帰るとか。
「お客さんを大事にしない店なんですね。お釣りは結構です」、とか言って、紳士的に立ち去るか。

もう少し相手にダメージを加えたいなら、問題を責任者に伝えるという手もあるのかも。
「お名前を教えてもらえますか。あとで、このお店のオーナーに今言われたことを伝えますね」、とか。

でも、どのやり方も、いまいちカッコいい方法には思えないのです。
心の余裕があれば、もう少し穏やかな受け答えができたのかもしれません。

「 口が悪いですねー。でも、今の言葉は、ちょっと傷ついたなあ。
 髪の毛が抜けたのは昔からで、当時は家に引きこもってたんですよ。
 でも、なるべく明るく振る舞おうと思って、こうやって外に出てるんだけどなあ。」

にこやかに、でも真顔で自分の心境を率直に伝える。
これは、店の兄ちゃんへの反発ではなく、愛情です。笑いと悪口は紙一重の違いしかないのですが、兄ちゃんの言葉は悪口の方に傾きすぎている。それに気づかないと、今後も他のお客さんに対して同じ過ちを繰り返すだろうし、兄ちゃん自身の評判を落とすことになる。だから、その過ちに気付かせてあげようという愛情です。

こういう会話を交わすことができれば、その兄ちゃんも、自分の発言を謝罪してくれるかもしれないし、逆に私に対してもっといいアドバイスをくれたのかもしれない。
そうすると、お互いが本音に近いところでしゃべることができ、信頼感を築けたかもしれないのです。

「相手」を主語にした言葉は伝わらず、「自分」を主語にすれば伝わるということを習いました。
大音量でゲームをしている子どもに対して、どう言うべきか。
「うるさい。もっと静かにやれ」というのは悪手です。その子どもを主語にして「あなたは静かにしなさい」と言っているわけですが、言われた子どもの方も反発心を持ちます。
「私はいま勉強しているので、あまりうるさいと集中できないんだけど」と自分を主語にして言った方が、相手に伝わるのです。子どもだって、勉強している人を邪魔しようと思って大音量を出しているわけではありません。音量が邪魔になっていたということに自らが気づき、自分自身でその行動を改善しようという気持ちになるのです。

こういう考え方を応用するならば、店の兄ちゃんに対して私が感じたことを率直に伝えるというやり方が良かったのかなと、今ではそう思います。

まあ、そういう言葉を投げても、相手には通じなかったかもしれません。
こちらが1つ2つ紳士的な対応をして、それでも和解の糸口が見つからなければ、その人とは縁がなかったとあきらめて早々に立ち去るのが得策でしょう。
三十六計逃げるにしかずです。

ちなみに、私の外見に対してズケズケと突っ込んでくる人には、もう1つのパターンがあります。同じ環境にいる人です。つまり、相手もハゲている場合です。
ハゲている者どうしは、ちょっと不思議な連帯感があるのです。
初対面の時から、昔から体験を共有しているような安心感があるのです。この感覚は、当事者になってみないと分からないでしょうね。

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