わたしがnoteをはじめた理由


"人間は場面に応じて自らの性格を分化し、キャラクターを確立すること(キャラ化)にこだわるようになった。"

こんなニュアンスで書かれた評論に出会ったのは、学校で受けた予備校の模試。読んだ時、自分の中に曖昧に燻ってた感情に名前が授けられた気がした。

いわゆるSNSでの「垢分け」という発想の原点ってこれなんじゃないだろうか。と思う。人間は多趣味で、自分でも気付かないくらい沢山の感情を抱えていて、ときどき面倒な生き物だ。だから自分とは合わない人もいるし、対立だって起きる。それを、相手に合わせた自分をつくことで回避する。これが「キャラ化」ということになるんだと思う。

たとえば、ジャニーズが好き。でもKPOPも好き。というときに、SNSなんかで2つのアカウントをつくり、専用アカウントとして使い分けるという例が挙げられる。ジャニーズ好きの人、KPOP好きの人のそれぞれと上手く付き合うためにするのであり、こうしてキャラをわかりやすく分ける方が、同じものを共有できる人と繋がりやすく、共感を得られやすい。

私が模試で出会った評論の筆者は、こうしたキャラの確立は悪いことではないと述べていた。私もそう思う。違う性格を捏造したり、嫌いなことを好きであるふりをしているわけでもない。ただ複雑な人間の人格を上手く切り替えているだけ。どのキャラも自分だ。むしろこれは他人との円滑な関係において合理的で、ある意味他人への配慮、思いやりと捉えることもできると思う。

そうは言うものの、やはり私にとってはいくつもキャラを場面によって使い分けるのはやや面倒なのだ。元来、面倒くさがりであまりにもマイペースで、手際良く物事をこなせる人間からは程遠い。

だからnoteをはじめてみた。

全部、ありのままで、素の私でいられる場所をつくってみようと。

共感を得るためでもなく、コミュニケーションを取りたいわけでもなく。(といいながら私は寂しがり屋でもある。)

本当も嘘も溢れて解らないようなインターネット社会を生きるからこそ、この世界に素でいられる場所をつくってみたい。今思った。意外と単純な好奇心からここに来ようと思ったのかもしれない。

私は生粋のオタクだし、推しもいれば大事な家族もいて、目指している大学もあって、なのにマイペースにふらふら歩いている。面白くもないし才能なんてないし凡人だ。

でも、だからこそ余計に、私は自由だ。

どうぞお手柔らかに。あと私はめちゃくちゃ多趣味なオタクです。それと極端な自己愛があります。自分が好きって言えることが私は1番幸せだと思うので。

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