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きっと好きなんだろうなっていう幼なじみ話

幼なじみと呼べる存在がもしいたら、皆さんは幼なじみに今どういう感情を抱いているのだろうか。またどういう感情を抱いていたんだろうか。

私には出会っては離れ、再会しては離れ、を繰り返している不思議な縁で結ばれた幼なじみがいる。

そして私はたぶん、彼が好きだ。


彼をAくんとしよう。話はずっとずっと前に遡る。2歳とか3歳とかの頃。もちろん記憶なんて曖昧すぎてほとんど何も覚えていないのだけど、それぐらいちっちゃな頃に私たちは出会った(らしい)。

小さな団地に住んでいた私は同じ団地に住むAくんと仲良くなった。幼稚園に行く年齢になった時、私はAくんが行くちょっと遠い私立の幼稚園に一緒に通った。

お母さんと離れるのが苦手だった私はいつも幼稚園バスに乗る前に駄々をこねて泣き叫んだ。寂しがり屋なのは今も変わらない。私は泣き虫かつ人一倍人見知りで、幼稚園で友達1人作れない私はずっと、Aくんとしか仲良くできなかった。クラスが違うのにいっつもその子のところに行って遊んでいた。

5歳のとき、私は遠くに引っ越すことに決まった。

そのときのことは今も鮮明に覚えている。絶対忘れることのない、激しく色鮮やかな記憶だ。

荷物をまとめ終えて、引っ越し会社のトラックが去り、私たち家族はバスで駅まで行く準備をしていた。バスの時刻が迫る。

静かに来たバスに乗り込み、一番後ろの席家族3人で並んで座った。幼いながらに寂しさをおぼえたのか、私はふと後ろの窓ガラスから過ごした家を振り返った。

目に入ってきたのは、Aくんがお母さんと一緒に手を振っている姿だった。バスは発車した。みるみる小さくなっていくAくんの姿。やがて見えなくなる。

その姿を見つけてから、涙が溢れて止まらなかった。もう見えないとわかっていてもずっと窓ガラスに張り付いていた。

幼稚園でのAくんとの思い出なんてろくに覚えていないのに、別れの瞬間だけは忘れてない。
そんなに大事な存在だったのだと、今は不思議に思うばかりだ。


引っ越してから、何度かAくんから手紙が届いた。今も大切に持っている。手紙には髪の毛が頭に垂直にささっている私とAくんの姿が描かれていた。
絵の不自然さも、字の拙さもとっても微笑ましいと今思う。

小学生になり私はかなりモテた。自分でいうのは恥ずかしいけど。ほんとうにモテた。
バレンタインもたくさん貰ったし、結婚しよ、とも言われたことがある。
小学生の結婚なんて軽いものかもしれないけどそのときは少し焦った。
告白されるときにいつも思い出すのは、Aくんの姿だったから。

小学生のくせして恋愛に悩んでいたとは大袈裟だ。でもそのときは世界が小さくて、小さい世界なりに、いろいろなことを考えていたのだと思う。

そうして過ごしているうちに東日本大震災が起きた。被災地の近くに住んでいたために、健康やこれからの暮らしに不安を感じる日々。そんな時に、お父さんがまた異動になった。私たち家族は誕生したばかりの妹とともに、引っ越すことになったのだ。

引越し先は、前住んでいた団地。

かくしてAくんと私は再会することになったのだ。


まさかの同じ棟に住むことになったこと、小学校の先生の意向で同じクラスにしてもらえたことによって、私たちはほぼ一日中一緒にいることになった。毎朝同じ登校班で学校に行き、やはり人見知りだった私はずっとAくんと遊んでいた。学校から帰っても、Aくんの家で宿題を終わらせて、日が暮れるまで外で遊んだ。


或る日。私とAくんと他に何人かで遊ぶことになったとき、Aくんが野球をしたいと言い出した。私はAくんと遊べるなら何でもいい、みたいなことを言って賛成したのだけれど、ほかの子たちは違うことがしたかったらしく、意見が割れた。結局多数決ということで野球は採用されず。何の遊びだったか忘れてしまったが他の子達はさっさと遊び始めてしまった。

Aくんはどうしても野球がしたい様子で突っ立っている。一緒に野球をしてあげたかったけど野球は2人ではできない。それはAくんもわかってて、だからすっかり拗ねてしまっていた。

そこからどうなったかあんまりはっきり覚えていない。たぶん私はAくんと離れて他の子たちと遊びはじめたんだと思う。陽がおちて、夜になる間際に、Aくんのお母さんからAくんが拗ねて自転車置き場に引きこもってる、と困った顔で言われた。

私は自転車置き場を見に行った。そして座り込んでいるAくんの近くにしゃがんだ。そこで言ったのだ。

「一緒におうちに戻ろう。結婚してあげるから。ね?」

思い返してみれば、どんな理屈だよってなるけど、このときの言葉は本気だった。たぶんAくんも本気で、頷いてくれた。これが小学2年生の頃の話。


そんなこんなでずっとAくんと過ごす生活だったが、それには終わりがあった。

小学3年の後半。今度はAくんが引っ越すことになった。それも滅多に会えないような遠い場所に。かなしい知らせだった。

2度目のお別れ。今度残されるのは私。

お別れまでパーティーもしたし、やっぱりずっと一緒にいた。家族ぐるみの付き合いだから一緒に川に行ったり海に行ったりもした。

お別れの日になって、私はバス停に立った。Aくんと一緒に立った。バスが来てAくんが乗り込んで、私は乗り込まなかった。バスが発車してAくんの姿も見えなくなって、それでも泣かなかった。もう小学生なのだ。

そう思ってたけれど。

リビングからお母さんが(おそらくAくんのお母さん)に電話している声が聞こえてきた。

″泣いてないけど相当寂しそうな顔してるの。強がってるみたいだけど…口数少ないし……″

それをきいたとき、突然涙が溢れてきた。私、強がってたのかもしれない。もう泣きじゃくったりしない、そう言い聞かせていたのかもしれない。と思った。意地を張ってた分、涙が止まらなかった。

Aくんと過ごした時間があまりにも長かった。別れるには涙なしじゃいられないほど。

そして私はAくんが、好きだったから。


小学校4年生のときに1週間、Aくんに会うための家族旅行に行った。そしてまたねって別れた。

6年生のときにはAくんが遊びに来てくれた。

中学3年生、高校受験が終わった頃に、またAくんが来てくれた。はじめてLINEを交換した。

その間、毎年手紙のやりとりと誕生日プレゼントのやりとりをしていた。その手紙の中で、好き、と言葉にして伝えたことは一度もない。向こうからもない。


幼なじみというのは本当に不思議なものだと思う。高校にいるクラスメートの男子とは全然違う、特別な存在だ。だけど、それが好き、という感情なのかわたしにはまだよくわからない。

何度も別れて、何度も出会ってるからかもしれないが、小学生のときの感情がずるずると消えないまま、心の奥にあるのは確かだ。でも今、好きな人いるの?って聞かれたらたぶんいないと答えると思う。矛盾だし矛盾じゃない。名前のつけられない感情が、彼と私の間にはある。

もしかしたら彼にはもう彼女がいるのかもしれないし、心に思う好きな人がいるのかもしれない。それを探るようなことができるほど、私が彼にそうした感情をもっているわけでもない。今更、好きとか告白できるような度胸もない。

年に一度手紙と誕生日プレゼントをおくりあう。これも儀礼的といえばそうかもしれない。

でもこうして彼との思い出を振り返って書いてしまうほど、彼が気になっているとも考えられる。彼は私をどう思っているのだろうか。おたがいの感情をもっと共有できたらなぁ。


きっと私は彼が好きなんだろうな。


だらだらと書いてしまった。読んでくださって本当にありがとうございます。

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