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正論は人を支配し、傷つける
作者・山田ズーニーとは
ずい分以前にほぼ日でお見かけしていた名前だなぁと思い
調べてみたら、なんと現在も連載が継続されていて驚きました!
2023.6.14現在「おとなの小論文教室」Lesson1077
以下、Wikipedia情報です。
山田 ズーニー(女性、1961年 - )は、岡山県出身の文章表現・コミュニケーションインストラクター。
「ズーニー」とはカシミール語で「月」という意味で、北インドのカシミール地方を旅したときに地元の人につけられた名前
1984年、福武書店入社。進研ゼミ小論文編集長。
2000年に独立してフリーランスに。同年5月より「ほぼ日刊イトイ新聞」にてコラム「おとなの小論文教室。」をスタート
正論を言うとなぜ孤立するのか?
最初に手にとった本は、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
(以下、黄色い本)。
私の所属しているオンラインサロン内で、
毎月開かれている読書会の課題図書だったから。
読書会の場で、もっと薄くて読みやすい本として紹介されたのが
『話すチカラをつくる本』(以下、緑の本)。
これらの本で共通して述べられていることが
「何を言うかより、だれが言うか」
黄色い本の第3章「正論を言うとなぜ孤立するのか?」の
副題は「言葉は、関係性の中で人の心に届く。」
正論は人を支配し、傷つける。人に何か正しいことを教えようとするなら、「どういう関係性の中で言うか?」を考えぬくことだ。それは、
正論を言うとき、自分の目線は、必ず相手より高くなっているからだ。
教えようとする人間を、好きにはなれない。相手の目線が自分より高いからだ。そこから見下ろされるからだ。
望んでもいない相手に、正論をふりかざすのは、道行く人の首根っこをつかまえるような暴威だ。まして、あなたと対等でいたい、あなたより立場が上でいたい、と思っている相手なら、無理やりその座から引き摺り下ろし、プライドを傷つけ、恥をかかせる。
だから、相手は、あなたの言っていることの効能を理解するよりずっとはやく、感情を害してしまう。理性より感情の方が、ずっとコミュニケーションスピードが速い。相手は、あなたを「自分を傷つける人間だ」と警戒する。正論をかざすことで、あなたの相手に対する「メディア力」は下がってしまう。
先にメディア力ありき、相手は、そういう人間からの言葉を受け入れない。だから、あなたの言う内容が、どんなに正しく利益になることでも、なかなかうまくことが運ばないのだ。
言葉は、関係性の中で、相手の感情に届く。
これまでの人生で数多く正論を振りかざしてきた私にとって、
とてもとても耳の痛い内容です。
そして、関係性を築くためには、「日ごろのコミュニケーション」が大切というごく当たり前のことを、なぜ大切なのか、具体的にはどうすればいいのか、かみくだいて説明してくれています。
その中の1つだけご紹介します。
相手の発信にリアクションをする
人の発信には100%、心をこめた早めのリアクションを心がける。
これをずっと続けるだけで周囲のあなたへの理解は増す。受け止めて、理解して、リアクションの達人になるのだ。
何を言うかより、どんな目線で言うか
黄色い本の第4章「共感の方法」の副題は
「教えようとする人に、共感はもてない。
相手の目線の方が上だから。」
私が所属している「オンラインサロンここちめいど」では、
鍼灸師同士が集まり、傾聴を学んでいます。
そこで学んだことの一つが
「アドバイスは自分の価値観の押し付けになり、
相手を否定することになる」
ということ。
(もちろんケースバイケース)
頭から自分を否定してかかる人間の話を、まともに聞こうと思うだろうか?
正しい指摘は、相手の自尊心を傷つける。
ただいたずらに相手を傷つけるだけで、相手の感情的な抵抗にあい、肝心の言いたいことが伝わらない。
悩んでいる人を見ると、どうしても、何かアドバイスしようと考える。相手を変えようという立場で話すと、相手の非を指摘したり、相手を高いところから見たり、相手に「変われ」と押し付けたりしやすい。(中略)しかし、変われという言葉を押し付けるだけでは、人は変わらない。
そこで、矛先を自分に向けてみる。問題に対して自分はどう変われるか?変わったか?
改作したメールは、自分はどう変わったかを相手に見てもらうという立場になっている。見下ろすことも、押し付けもなく、参考にするもしないも相手の自由だ。
共感の方法とは
共感の方法とは、外から観た自分を知り、相手の気持ちを思い、自分と相手の関係を考え抜くことだ。
私自身の失敗の原因はここにあったのかと気づかされる一文です。
自分という中身は一緒でも、立場が変われば、外から観た自分は変わっている。相手の気持ち、自分と相手の関係を考え抜く・・
本の中では、感治課長(上司)と長井くん(部下)を例にして書かれています。
感治課長と長井くんは、上司と部下だ。ところが、静岡旅行に関しては、よく知らないものと、よく知るものという軸で、立場が逆転している。長井くんは、その関係性の中で静岡のことを自信をもって課長に教え、それが、記事を書く突破口になった。
関係性は、ひとつではない。人間が多面的な存在だからだ。たとえば、上司というのは、部下に権力も影響力もある立場だ。でも、常にその立場から発信するのがいいとは限らない。同じ悩みを持つ人間として語れば、関係はフラットになるし、相手の得意分野に突っ込んでいけば、自分の立場は低くもなる。
目線が高いと思うとき、無理に腰をかがめたり、相手にすりよったりしなくても、新しい関係を発見していくことで、目線は自ずと変わるのだ。
「はやく元気になって」という暴力
ここまではアドバイスという正論の話でした。
最後にもうひとつだけ。
「励まし」に潜む暴力性について・・
「はやくよくなれ、はやくよくなれ」を突きつけていたころの私は、「お母さんは大好きだけど、お母さんについた病気は忌まわしい、大嫌い」と言っているようなものでした。母はどんな気持ちだったでしょう。母と病気は切っても切れない。自分の一部を忌み嫌われたような寂しさを感じるか、はやく元気になろうとして焦り、元気になれない自分を責めたに違いありません。
「はやく元気になって」という言葉には、「元気でない状態はよくない」という価値観が無自覚なまま入り込んでしまいます。それが、すぐには元気になれない人を威圧する場合があることを、それから私も心して使うようになりました。
いかがでしょうか。
ここも、私はここちめいどで何度か繰り返し、話を聞き、ようやく頭で理解できた内容です。
頭では理解していても、相手との関係が近かったり、相手への気持ちが強くなればなるほど、私は励ましたくなってしまいます。
患者さんに「よくなってほしい」と願う気持ちの背景には、「よくならなければいけない」という価値観があります。
そしてその価値観が、患者さんを苦しめ、患者さんの生きづらさにつながることがある。
この話はまた別の機会に・・
もう少し知りたいと思われた方は、ぜひ緑の本を手に取ってみてください。