外国語大学非留学組入門
留学というのはいいものだ。
社会人も6年目になるが学生時代に行かなかったことが悔やまれる。
特に私が4年通った大学は外国語の単科大学であったので猫も杓子もみんな留学していた。学年の半分も4年では卒業しないような大学だ。
丸腰で挑んだ就職活動では、集団面接で留学経験者が海外での楽しい思い出を語っているのを横で聞かされるという耐久プレーを強いられ、丸腰の同志がドコソコの面接では「なんで外国語専攻なのに留学しないの?」と面接官に詰め寄られた、と聞いてただ震えるなどしていた。そんなことはこっちが聞きたいのである。なんだって私はあの時に留学に行かなかったのだ、バカな学生めと今更嘆いても後の祭り。(しかも専攻語圏内に降り立った事すら無い不真面目さ。海外旅行経験も人並みだ)幸いそこそこの会社に入社し、語学力を求められる機会もさして無いままのほほ〜んと給料を受け取り、元々貧弱な語学力はさらに錆びつき続けはや5年が経つのだ。
しかし冷静になぜ行かなかったのか。当時は当時なりに長い物に巻かれちまえと考えなかったわけでは無いが、なんらかの理由があって辞めたのだ。その言い訳及び留学した人へのやっかみを無聊に任せて書き連ねて行こうではないか。そしてのほほん中産階級に落ち着いたことを正当化するのだ。それが本稿の狙いだ。
まず第一にタダじゃ行けない。親の協力なしに行く事はまず無理だろう。お母さんやお父さんを呼びつけて「留学に行きたいのォっ」という風におねだりする必要がある。これは小学校高学年で迎えた反抗期をうまく乗り越えられなかった私には素直にお願いする事が土台無理である。
奨学金を貰えるほどの優秀生であればその心配はないかもしれない。けど現地での生活費やらなんやらまで全額サポートしてくれるようなお遊学奨励プログラムがあるとも思えない。(あるんでしょうか。あるとしたらお金の使い方を考え直すことをおすすめしたい。文系大学の尋常な学生は勉強などしない)日本での学生生活でヒーヒー言っているようではハードルは高い。つまりうちはそうでした。
そして、前述の通り大半の学生が、留学に行く事で卒業にも遅れを生じさせているのだ。所得を得る機会、社会経験(決して有難がって積むモノでも無いが、悲しい哉並の社会人にはある程度必要なモノだ)を積む機会を、数年とはいえ失う事になる。留学で得られる青春やら経験やらに比べればそんなモノはとるに足らんと言われてしまえば仕方ないが、親が扶養する負担が増える事や、相対的に社会人としての期間が短くなる可能性を考えれば、決してその機会損失は小さくは無いだろう。(学生が実感することは難しいが。)
第二には「行って何をするか?」という留学生の至上命題になんの答えも持ち合わせていなかったからだ。この手の意見は留学ルサンチマンを抱えた先駆者たちが各所で挙げているだろうから、以下に適当に述べる。
そもそも私は単なる語学留学には反対である。語学の勉強だけであれば日本で十分にできるのだ。現に留学経験が無くても流暢に外国語を操る人は、日本人、外国人を問わずいた。バイト先にいた中国から越してきた人があまりに日本語が上手くて(そして魯迅について懇切丁寧に教えてくれるという教養ぶり。残念ながら教えてくれた内容は洗ったように綺麗に消えた事が惜しまれる)、何年住んでるんですか?と尋ねたが3ヶ月と言われてひっくり返った事がある。
逆に国内でも大して勉強していなかった人が思いついたように留学して帰ってきても、大したレベルアップには繋がっていなかったりする。日本で勉強しないのに海外でするわけが無いのだ。貧弱な語学力を晒すのに抵抗がなくなって帰ってくるか、挫折を味わって帰ってくる。そのいずれかだろう。いずれにしてもコミュニケーションを取らざるを得ない環境に行きゃあなんとかなると思って行って、喋るも聞くも書くも自在になりましたなんて旨い話は無いはずだ。
そうしたモラトリアム留学を楽しむのは日本人だけでは無いだろう。というのも私が通っていたゼミの先生のところには、中国からの留学生も院生として多数在籍していたのだが、そのほとんどが村上春樹の研究をしたいというのだから驚きだったのだ。先生は日本文学の研究者でもないし、なぜ村上さんのファンが押し寄せたのかは謎だが、「私は村上春樹の研究者になるのだ!」と志して留学して来た人がそのうちどれほどかは疑問だ。日本文学でこれなら読んだことあるし、というレベルだったかもしれない。いずれにせよ、中国古典文学が専門の先生は院生達の論文指導に頭を悩ませ、学部生の方は手柔らかにしてくれたのは村上さんお陰だったのかもしれないと思うと、お礼の一つも申し上げるべきだろうか。
留学に行かないと大した就職先に行けないのでは無いかという不安も分からんでも無い。安心して欲しいが(?)周りを見ていてもそこまで大きく差は付いていないらしい。留学経験者が悲しいくらい企業に相手にされないことも、非留学経験者がみんな羨む大企業に勤めていくこともある。空虚な留学ライフを晒しても空虚な学生生活を晒すことと大差ない事が窺えるだろう。留学でも行ったらんかいと一念発起するエネルギーがあるなら、日本で他のことにそのエネルギー、時間、お金を使う方がよほど就職に有利な可能性だってあるんじゃないだろうか。
どうしてどうして、海外生活に憧れる気持ちも十分にわかるのだ。ピカピカのMacBook、カフェラテ片手に英語をペラペラ〜〜っと話しながら小洒落た街を歩く。なんだか欧米的でリッチではないか。図らずも私の安っぽい海外生活のイメージが暴かれた訳だが、こういう理想がなんとなく留学をする人のモチベーションに通底していることは否定できないのではないか。別にその意欲を否定するつもりはない。ただ本質的には無価値だというだけだ。世界的なアニメーターの宮崎駿さんは次のように述べる。
「向こう(注:アメリカ)の経営者に会うと、みんな揃いも揃って絵に描いたようですよ。毎日ジョギングを欠かさなくて、歯並びがよくて笑顔が絶えなくて、初対面の相手にがーって握手して、こいつらなにやってるんだろうと思いますよ(中略)ぼくらはそのカッコいいところだけ寄せ集めて勝手なアメリカ人像を作り上げて、それに劣等感を持ってる。滑稽ですよ。全然羨ましくないですね、アメリカの社会なんて。」(「虫眼とアニ眼」より)
いやこの人面白すぎるな。この一節は爆笑必須なので、人気書籍だが一読をおすすめする。こういう擬似体験をする為に行くのであればコスパが悪いだろう。あるいは図らずも憧れの欧米的生活が羨む事ばかりでもない事に気付く機会に恵まれればラッキーなのかもしれないが。
ここまで懇々と恨みつらみを述べたが、留学そのものに否定的なのではない。学生の留学経験崇拝主義的な考えに当時懐疑的だったのだという事だ。(海外で真面目に勉強された方すいません)
学生のうちに行かないと損だなんて考えていると、知らず知らずに他の機会を見逃すかもしれないし、社会人になってから行ったって別に構わないだろうという考えでいる方がその後も楽だろうと思うのだ。(終身雇用の弊害であるのは間違いない)私もこれは是非海外で学んでやろうという事があれば行くのだが、まだのほほんとして思いつきそうも無い。