一筆書き1000 好きな物

好きな自意識というのがある。他人の自意識に対して好き嫌いの概念を持ち込むのが自分でも心底気持ち悪いと思っていて、それでもやっぱり、好きだな〜と思ってしまう時があるので仕方ないよね。俗に言う自意識過剰の自覚がある人がどのように自意識を過剰に働かせているのかみたいなものを常に知りたくて、人の話を聞く機会を常に狙ってしまっている。お喋りが好きな人が大好きな、お喋り聞きたがりの怪物である自覚はあって、ここでこの自覚の宣言を入れるのもやっぱり自意識。話の途中で、ちょっと不安になって、現在の自分の状況を俯瞰したユーモアを挟まれたりすると堪らなく嬉しくなる。しかも、そう言う行為をする自分のことも俯瞰してしまって…みたいにずっとグルグルしていてくれてるともっと嬉しくなってしまう。自意識過剰な人と出会って仲良くなる為に、自分の自意識の過剰さを発露することが手っ取り早いよな…とは思いつつやっぱりそれも恥ずかしかったのですが、最近はもう恥捨てが上手になって出来るようになってきました。これは、共感してもらえると凄く嬉しい。共感してくれなくてもまあまあ嬉しいのでオススメです。
というか、偏屈さを好きになって欲しいみたいな気持ちって皆さん持っているんだろうか。自分は他人の、うわっ偏屈だ〜!!って部分が本当に好きで、なんとなく自分を好きになって欲しいなって思う人もそのような感覚を共有出来ていると信じて行動しています。ここに書いた偏屈は「卑屈」とか「変」に置き換えてもらって構わないです。そして、それを上手にアピール出来るようになるのもそれはそれでなんか違くないか?と思っているので毎回自分の偏屈さが自然に出るのを待ってみたりして会話を進めています。本当に偏屈な奴は自分のその部分をアピールしようと思い立つかなぁ?とか考え始めたら 考える のやめ時。思い立ったら吉日を信じてたりもしますが。
思い立ったら吉日 というのは、行動の好悪に関わらず色々を先延ばししてしまう人間にとって本当に大切にするべき言葉です。この言葉に励まされて仲良くなりたい人のLINEのQRコードを保存したり、散歩に誘ったりしたので、本気で感謝してます。人(誰かわからない)の言うことを聞くという形にすることで、行動に伴う責任感みたいなものの転嫁に成功すると思っていて、行動に支払うコストが減る。こういう、第三者を強引に取り込むことで物事を成り立たせるというのは、結構行われている。外国のどこかの地域では、贈り物をする時、相手に贈り物の見返りを求める心を精霊のようなものの命令と位置付けていたりするらしい。
色々なものに色々なものを背負わせて行動にかかるコストを減らしたい〜!は結構みんな思ってるのかもね。
早速、この文章も人にオススメされたからと言い聞かせて書いた。

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