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最近、中学生までの頃の人たちが出てくる夢を見る

特に多い。
内容は普通の夢なのに、共演者は地元の同級生がよく出てくる。

小学校の時が一番倖せだった。
好きな人ができて、三年間クラスが一緒だった。
その人とのゼッケンの共通の数字「4」は今でも好きな数字だ。
だからラッキーナンバーの由来を訊かれたら困る。

中学の時は、人との付き合い方とかうまい振る舞い方が解らなかった。
迷惑もかけてきたと思う。
だけども人権とか尊重とかそういうもので考えると、中一の一年間、私は面白がられる立場だった。
卒業式の時は大泣きした。卒業させられてしまうのが悔しくて悲しくて。
自分の教室を避けた私は中学の後半は学校内で好きなことをして過ごしていたが、その頃が一番頭が良かった。
もっと学べれば更にそれを生かせただろうに。
でも教室はそこにいる(一部の)人が怖い・いやな所になっていたから、進級してクラスが変わっても殆ど行かなかった。
振る舞い方など今も解らない。
「正直に」動いてしまう。

今、縁あって、あの時の自分と同じような子どもと関わる仕事をしている。
そのせいだ、夢に見るのは。
地元から離れられない私は。
狭い地域だ、狭い、嫌だ、本当は無かったことにもしたいのに。
あの頃のことも覚えていない振りをしているが、私の10代前半の抉られた所はまだまだそのままなのだと、残っているのだと。
そういうことなのだろう。
記憶を辿れてしまう。もっと大事なことなど山ほど忘れているのに。
あの頃の私と同じ年代の子どもやその親と話すと、自分の話もせざるを得なくなる。
別にいいけど、ダメージとか今さらもうないだろ、て思ってたけど、
未だに、犠牲を払う感覚を持つのだ。
未だに。今でも。本当は自分でも触れたくない。

しかし。
地元に居ると、共通の知人というものに会う。
同級生の親、同級生の知り合い。
同級生の名前や近況に触れさせられる。
ただただ興味がない。
倖せならばそれがいい。
ただ私はそのことを知らなくていい。
入る情報を制限したい。
昔の知人である他人の情報を知ると消耗する。
キャパシティが一気に溢れる。無理だ。
知らなくていい。知りたくない。
倖せであればいい。
私の知らない所で。

思ったより、取り返せない過去だった。
「そうなるであろう今」を過ごす子どもの未来を、より良くしていく手伝いができるなら。
私にしか話せないこと、できないことが一かけらでもあるのなら。
痛みを覚えつつも、明日も向き合おう。
若者は財産だ。
倖せを見てほしい。
そのために矢張り、勉強もしてほしいのだ。
その苦労と余暇に、私は、付き合う。

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