代表吉元インタビュー激動の前編:創業までのキャリアを振り返る
こんにちは!Sotas広報担当です。
今回はSotas創業者の吉元さんに、これまでのキャリア、創業に至るまでのあれこれや今後の展望などについてインタビューしました。
当社や当社事業にご興味をお持ちの方、これから起業を考えている方のご参考になれば幸いです!
――吉元さん、今日はよろしくお願いします。さっそくですが、まずは吉元さんの生い立ちから教えてください
生まれは東京の北区で、両親共に経営者でありながらもごく普通の家庭で育ちました。ただ小学校3年生の時に色々あって一人暮らしが始まりました。当時、親が家にいないという理由だけでいじめにも遭いましたね。子供ながらにとてもつらい経験でしたが、現在のスーパーポジティブで負けず嫌いな性格はこの頃に形成されたと思っています。
――いじめ…つらいですね。どのように乗り越えられたのですか?
いじめを受けていた私を救ってくれたのは卓球との出会いでした。私の出身中学校は珍しく、野球とサッカーが部活動にない学校でした。そうなると男子たちは、バスケットやバレー、テニス部などに行くのですが、僕の中学校のそれらの部活は、正直なところ強豪とは言えないレベルでした。私はせっかく部活に入るなら、トップレベルの部活に入って自分を鍛えたいと思っていたので、当時僕の中学校の中で一番成績が良く、全国大会ベスト8だった卓球部に入りました。飛び込んでからは卓球の魅力にすっかりはまって、まさに卓球漬けの日々。チームメイトと同じ目標に向かって、自分のすべてを振り絞って、卓球に打ち込みました。結果、インターハイにも出場でき、気付けばいじめられていた経験はいつのまにか過去のものになっていました。
――大学時代や就職活動はどうでしたか?
大学は建築学科でした。昔から理系科目が得意だったことと、当時放送していたドラマの主人公の設定が建築学部の学生で。その主人公が持っていた筒状の図面ケースがすごくかっこよかったのと、建築物を見るのが好きだったとか、そんな単純な理由でした。
就職活動を始めた頃、父に職種について相談したとき「営業はつぶしがきく」というアドバイスをもらったんです。今思えば、すべての基本は営業だ、というような意味合いだったのかと思うのですが、経営者であり根っからの営業マンである父をずっと見てきて尊敬していましたし、普段はあまり多くを語らない父の言葉は強く心に残り、はじめのキャリアは父と同じ営業職にしよう、父のように徹底的に営業力を磨きたいと自然に思うようになりました。
――そして不動産会社で営業職としてキャリアが始まりました
愛知県にあるベンチャー企業で、大手不動産会社のトップセールスの諸先輩、上司が集まる会社でした。尊敬できる先輩営業マンの元で徹底的にノウハウを学びました。その当時は朝から晩まで営業活動し、それが終わると自分で作ったチラシを毎日3,000枚ポスティングし、その反応率によってチラシをチューニングする、そんな毎日でした。私の営業エリアは愛知県でも決して人口が多くないエリアで、そのためマンションの1棟あたりの戸数も少ない。この3,000枚毎日ポスティングというのは字面よりも実態はかなりハードでした(笑)
そのおかげもあってか、自分の営業力にも少しずつ自信がついていき、何よりも営業という仕事の楽しさを日々感じていました。しかしながら、不動産は地元密着の産業であるため、営業の楽しさを知れば知るほど、次第にもっと大きくグローバルな仕事に挑戦したいと思うようになりました。
――そして大手素材メーカーのDICへ
“グローバルに働いてみたい”“自分の営業力を試してみたい”という想いから転職を決意しました。DICでは、セールスを経て、自動車の構造用接着剤プロジェクトの事業責任者として、中国などアジアを中心に、年間売上約10億円の事業創出に携わりました。最初は本当にきつかったですね、お客さまの反応もそうですし、最終評価でNGが出たりなどで中々上手くいきませんでしたね。最終的には熱い想いを社内で唱え続けていたところR&D部門のエースの方が動いてくれるようになり、パートナーができたことで物事が大きく進展していきました。また、業務に関係のない海外ならではの経験もたくさんできたのもよかったです。飛行機に乗ってアポ先に行ったのに門前払いにあったり、真冬の北京の高速で2時間事故処理のために外で待ちぼうけになったりなど、今では全て良い経験です。
泥臭く駆けずり回りながらも0から作りあげる新規事業、そして価値を生み出す喜びは格別で、企業に属しながらも新規事業で起業したような刺激的な毎日でした。また当時DICで感じた素材会社へのリスペクトと感謝、業界の課題は今の事業を選んだ大きなきっかけにもなっています。自分の原体験となる大切な経験です。
――その後、ヘッドハンティングで日産自動車へ
当時力を入れていたMaaS事業で新規事業開発と中期経営計画の策定などに携わりました。新規事業はカーシェアサービスを中心に統括をしていました。当時は日産もカーシェアに力を入れていて、ステーション数を増やすだけでなく、その稼働と収支に関しても細かく設計し管理をしていました。当時の私のいた部署が外資コンサルティング会社や某大手外資消費財メーカー出身者など優秀な方ばかりで、中期経営計画の方ではそういった方々から学ばせていただく機会も多かったです。優秀な人たちに囲まれて、大手企業だからこそのスケール感の事業、当然関係者も非常に多い中で他部署の巻き込みや折衝も主導し、事業を推進すること、目線の高さを学ぶことができました。
――大企業らしい業務ですね。どんな風に起業へつながっていったのですか?
MaaS領域のスタートアップとのシナジーを検討していく中で、国内外の起業家と出会う機会も多く、この経験が本当に刺激的でした。特にシリコンバレーのある会社が来日された際に会食をしたのですが、「なんて自分の事業を楽しそうに語るんだろう、なんて生き生きしているんだろう。自分も同じ側にいきたい」という感情が自然と芽生えるようになりましたね。そこからは前職DICでの経験や業界全体の課題を解決に導けるような事業を考え始めていました。
――そしてACALLにジョインすることになったのですね
はい、起業したい気持ちは強くなる一方でしたが、まずは周りに起業すべきか経験を積むべきかを相談し、大体7:3くらいの7割の方がやはりスタートアップで一通りの経験をというアドバイスで、結果まずはスタートアップに挑戦することを決めました。
会社を選ぶ際、第一条件として、これからのシードアーリーステージの会社にしようと決めており、ちょうどご縁を頂いたACALLに入社しました。ACALLに入社を決めた理由は、事業内容への共感と経営層との相性の良さ、そして自分がこの会社で役に立てるかもしれないというミッシングピースを感じたからです。
――どんなミッシングピースですか?
まだアーリーフェーズということもあったのですが、新しいワークスタイルの実現という大きなミッションを実現するには、圧倒的な馬力が必要と感じました。そういうことで、私がこれまでのキャリアの中で培ってきた泥臭さと推進力が、このタイミングで役に立てられるのではないかと。馬力には結構自信がある方なので(笑)
――馬力、納得です(笑)推進力ということは、周りを巻き込む必要がありますね
マーケティングマネジャーとして入社し、マーケティングを体系的に極めていきつつ、アライアンスやシリーズA/B調達などスタートアップならではの業務、またスタートアップの組織構築など、これまでと違う領域の経験もたくさんさせていただきました。その後Sotasを創業する際に参考にさせていただくことも多く、本当に貴重な経験を積ませていただいたと今でも感謝しています。結果、2年で売上げが5倍強、組織は約3倍に成長し、最終的には入社して2年で取締役副社長COOを任せて頂きました。自分の市場価値を高めるきっかけをくれたことに本当に感謝しています。だから僕も恩返しというか、自分がACALLでチャンスを頂いたように、同じようにメンバーにしたいと思っています。その当時の私はもちろん相当必死でしたし、そういった前提はありますが、どのメンバーにも公平にチャンスがある組織を目指したいと思います。
情熱の後編へ つづく