超現実エッセイ #6 高校時代
近頃よく中学、高校時代を懐古している。いま取り組んでいる制作のためだ。もしもマトリョーシカのように多層構造になった走馬灯があるとしたら、見返しているのは奥の奥の方。文化祭や修学旅行ではない。当時、あたりまえだった日常の些細な風景を丁寧に思い出している。
たとえば、礼拝堂の舞台上にチューリップの球根を植えていた金髪のあの子のこと。2学期の期末テストが終わったあと、彼女は誰もいない礼拝堂で舞台のフローリングに穴を開けようとしていた。持ってきた工具を器用に使いこなしている。
「あのさ、そんな場所じゃあ、花は育たないよ。やっぱりふかふかの土の上じゃなきゃ」
すると彼女は
「フローリングの方が綺麗な色のチューリップに育つんだよ」
と教えてくれた。とてもワクワクした。けれど2秒後にはどうして自分が心踊らせているのかを忘れ、フローリングの小さな穴に球根をねじ込む金髪の彼女のことを、僕はただじっと見つめていた。球根がうまくはまったので、彼女は仕上げに飲みかけの甘いアイスティーをたっぷりとフローリングの穴に注ぎ込んだ。きっと優しい色の花が咲く、と僕は安心して帰宅の途についたのだった。春、チューリップは何色に咲いたのだろうか。
たとえば、チョークの粉を集めて冬の教室に雪を降らせてくれた背の高い無口な彼のこと。彼が降らせるチョークの雪はきめが細かくさらりとしていて、北海道のような雪質だった。みんなが冬の匂いを同時に感じ取る朝、彼は誰よりも早く学校にきて教室に雪を降らせた。1年間、大事に溜めてきたチョークの粉で教室に雪化粧をしていく。あまりの美しさにある朝、あの大物写真家の篠山紀信が教室にやってきたほどである。篠山紀信は1度だけシャッターを切って後ろを振り返り「エレメノピー」と一言。無駄な言葉は吐かなかった。背の高い彼は、大物写真家の高評価に嬉しそうな表情を浮かべた。まもなく、篠山紀信の影響で教室の雪の庭は観光地と化す。あの冬、僕たちは押し寄せる外国人に囲まれながら日々の授業を受けた。えらいもので、みんなの英語の成績が少しだけ上がった。背の高い無口な彼はいま、アラスカでイヌイットとして暮らしているらしい。
たとえば、ある日、学校の一部になってしまったお喋り好きな彼のこと。今日はロッカーに、今日は校庭に、今日は椅子に、と自由自在に場所を変えて学校の「中」を移動している。ある日、僕の机に顔を出してきたので、ひさしぶりに話しかけてみた。
「学校の一部になってみてどうだい?あんなに憧れていたんだ、夢が叶って嬉しいだろ?」
すると彼は驚いたようにこう言う。
「なんて冷酷なやつなんだ。君がこうさせたんじゃないか」
僕は何も身に覚えがなかった。
「君があの日、分度器を空に投げたから。君があの日、体操着を燃やしたから。君があの日、生徒会総会の舞台上で愛を叫んだから。僕はこんな風になってしまったんだ」
「そんなわけないだろ」
と呟き、僕は彼の顔を殴った。彼はがらにもなく涙を流した。僕は気にせずノートを広げながら、しれっと机を拭いた。彼のことはもう誰も覚えていないだろう。しかし、見返す卒業アルバムにはいつも、彼が誰よりも大きく映っている。
たとえば、校庭にローマを作ろうとしていた背の小さいツインテールのあの子のこと。今日も校庭で何やら作業をしている様子が教室の窓からよく見える。『ローマも何日かかければ成る』とプリントされたTシャツを着て、汗を拭いながらスコップで地面を掘っている。
「一日にしてならずってことは、何日もかければ私にだって作れるってことだ!」
と突然大声を上げて教室を飛び出した彼女。あれはまだゴールデンウィーク前くらいだったか。名言の抜け穴を上手くついたな〜、と思った。行動派の彼女はまず資金集めのためにオリジナルグッズを作った。『ローマも何日かかければ成る』というキャッチコピーをよほど気に入ったようで、さまざまなものにプリントしては先生たちに売って回った。(生徒に売ると校則違反になるので)先生たちは面白がってラバーバンドやTシャツを購入した。逆に言えば、先生たちがこの校庭ローマ建造計画を誰も本気にしていなかった証拠である。ツインテールの彼女はスコップを握って毎日校庭に出かけていった。最初はプラスチックのスコップだったのが、木製になり、鉄製になった。「流石に鉄なんだよね」と彼女は授業中、僕に教えてくれた。ローマを作るのはいささか大変なのだろう。冬ごろ、彼女は「ローマが完成したぞ!」と教室で騒ぎ立てた。みな驚いて窓から外を見た。まっさらな校庭が広がっていた。「ローマなんてないじゃないか!」と抗議するクラスメート。起こる暴動。武器を構える民衆。出動する警察機動隊。教室に投げ入れられる催涙弾。泣き叫ぶカップル。お茶を点てる茶道部。
ローマの有無をこの目で確認するために、僕は大乱闘の間をくぐり抜けて教室を抜け出し、校庭に降り立った。たしかに、目の前にはただのまっさらな校庭が広がっていた。しかしよく見てみると、そこには小さなアリが1匹歩いていた。アリが僕に言った。
「ローマなら僕の中にあるよ。見せてやろうか?」
僕は背筋が凍るほど気が遠くなって、アリの申し出を断った。申し訳なかったので、持っていた氷砂糖をポケットから取り出しアリに食べさせてやった。アリは満足したのか、校庭を出ていった。
「あいつに伝えておいてくれ!お前のローマはいまローマにあると!」
アリはローマに旅に出るようだった。帰るべき場所にアリが帰ったことに僕は胸を撫で下ろし、まだ終わりそうにない暴動に、手にたくさん握った氷砂糖を投げつけながら飛び込んでいったのだった。
たとえば、3年間のドキュメンタリーを作るために一日中カメラを回していたM字バングのギャル男の彼のこと。クラス替え直後の四月下旬くらいに彼は体をくねくねさせながら僕の前に現れて、「あなたにとって、青春とは?」と問うてきたのが出会いだった。もう青春が何かについて考えているなんて、なんて早熟でおもしろいやつなんだと思った。いつも腰パン以上の何かとしか思えないほど浅めに履いたスラックスに左手をかけ、右手でホームビデオ用のビデオカメラを構えていた。放課後になると、その日撮った映像データが入ったSDカードを廊下の地面に擦り付けるのが彼のルーティンだ。
「こうすると映像が綺麗になるんだぜ」
と言って彼は得意げだった。そんな彼の構えるカメラの前で、クラスのみんなはいつも自然体だった。
卒業式のあと、彼が完成させたドキュメンタリーを薄暗い音楽室で鑑賞した。その映像はあまりに美しかった。この3年間のあたりまえの日常があますことなくすべて記録されていた。教室の雪の庭、燃える体操着、校庭ローマの興奮、そして暴動。その淡く綺麗な映像に、クラスメイトは誰一人涙を禁じ得なかった。その映像の最後のカットは、礼拝堂の舞台に咲いた青いチューリップだった。その青は、見たことがないほど深く、見たことがないほど光に溢れていた。
ああ、この深い記憶の呼び覚ましは脳に悪い。とてつもなく疲れる。僕は新宿歌舞伎町のクールで気づけば3時間もこのノートを書いていたようだ。外はもう暗い。ウィンナ・コーヒーの会計を済ませ、秋を飛び越えてしまったかのように寒い外へと出る。客寄せのメイドたちが作る花道を胸を張って通り抜けながら、自然と僕の指はあの頃の冬、最も学校の校内放送で流れたゲルニカの「改造への躍動」を再生していた。