現実エッセイ #6 高校時代
近頃よく中学、高校時代を懐古している。いま取り組んでいる制作のためだ。もしもマトリョーシカのように多層構造になった走馬灯があるとしたら、見返しているのは奥の奥の方。文化祭や修学旅行ではない。当時、あたりまえだった日常の些細な風景を丁寧に思い出している。
たとえば、いつも違う本の5ページ目くらいを読んでいたメイクバッチリのあの子のこと。毎朝「この本おもしろいんだよ」と嬉しそうに僕に教えてくれた。でもまだ開かれているのは5ページ目。きっとこの10分ほどで手に入れたのであろう精一杯のあらすじを、彼女は説明してみせた。しばらく本と睨めっこしたあと、思い出したように本を閉じ、友達の会話の中へ加わりにいく。机の上に取り残された本にはまだ帯がついていた。彼女があの1年間で読破に成功した本は、たった1冊でもあったのだろうか。
たとえば、マクドナルドのハンバーガーには、プラス40円でトマトを追加できることを教えてくれた穏やかなあの人のこと。あの日から僕は、ベーコンレタスバーガーにトマトを2枚追加し、BLTにして注文するようになった。トマトが大好きな僕に裏技を教えてくれたあの人には、とても感謝している。
たとえば、開門と同時に教室に入り朝礼まで席でずっと突っ伏して寝ていた夏でもセーターを着ていたあの子のこと。どうしてギリギリまで家で寝ることを選ばなかったんだろう。少しでも家に居たくなかったのかな。それか、とてつもない心配性で遅刻のリスクを少しでも回避したかったのかな。それか、50分に一回しか電車が来ない田舎に住んでいて遅刻かこの時間かの2択しかないのかな。いや、僕はそのどれでもないことを知っている。朝練がある彼氏に付き合わされて、毎日この時間に学校へ来ているのだ。まだ暗い時間のアラームで目覚めた彼女は、家を出るまでのどんな睡眠誘惑も払いのけて学校に到着し、この机上の極上の睡眠にありついている。その寝顔は今にも切れそうな輪ゴムのように逼迫していたように感じた。
たとえば、4時間目がおわって昼休みの開始のチャイムと同時に始まったあの生徒放送のこと。放送部の人たちはどれくらい急いで放送室に向かっていたのだろう。少なくとも僕は一度もそのダッシュを見たことがない。授業が終わる少し前に抜けさせてもらっていたりしたのかな。高校時代に行使できる特権って、なんだかカッコよくて特別で、すごく憧れた。別の可能性として、もしあれが収録放送である場合。毎昼、自分の声を客観的に聞きながら過ごす昼休みはどんな気持ちだったんだろう。何日目くらいで、「○○の声じゃん!」とか「○○すごーい!」とか言われなくなったのだろう。そして言われなくなった最初の日は、やはり少し寂しかったのだろうか。
たとえば、昼休みになるといつも教室でアコギを弾いていた遠くのクラスの目がぱっちりした彼のこと。最初は物珍しがられ、周りに人が集まり、「なんか弾いて!」の応酬を浴びていたが、少しずつその人数も減り、ついには膝に毛布をかけて談義する女子たちに煙たがられる存在になっていった。それでも彼は腐らずギターを弾き続けた。目立ちたいという欲を殺す、羞恥の気持ちは彼にはきっとなかったのだと思う。「昼休みにギターを弾く」という"彼なりの"カッコよさを、誰に無視されようと、ただ体現し続けた。
そんな彼にある日の昼休み、同じクラスの音楽好きのワルが「歌うから弾いてよ」と話しかけた。いつも誰より先にサッカーに行ってしまうワルが、今日は珍しく教室にいる。すると当然、その友達たちも教室に残ることになる。教室の雰囲気が変わった。彼は気丈に共演を許可した。動揺や緊張はみられなかった。全くいつも通り、彼はギターを弾いた。そして音楽好きのワルはそれに合わせて何故かとても上手な歌を歌った。というわけで、彼は昼休みの教室で再び注目の的となった。その時の彼の誇らしげな顔が、僕は忘れられない。
同じ制服を身に纏っているから気づけなかったが、学校の中で僕たちはそれぞれ全く違う人間だった。生まれ年が一緒なこと以外に全員の共通点はない。しかし当時、僕は「みんな根本は同じだ」と錯覚していた。だから、ひとりひとりの違い(個性とは少し違う、そもそもの考え方の相違)が些細なことで浮き彫りになると戸惑った。きっと、どのように処理すれば良いのか分からなかったのだと思う。だからその戸惑いだけを脳に残して、僕はスルーした。そして今、その頃の記憶を掘り起こすとまだ解凍していないzipファイルのような違和感が出土する。そしてそれを解凍すると、「僕はこう思っていたんだ」と今になって気づくことができる。
ただ、この深い記憶の呼び覚ましは脳に悪い。とてつもなく疲れる。僕は新宿のクールで気づけば3時間もこのノートを書いていたようだ。外はもう暗い。ウィンナ・コーヒーの会計を済ませ、秋を飛び越えてしまったかのように寒い外へと出る。自然と僕の指は、あの頃の冬一番聴いていたjinmenusagi×Sweet Williamの「so goo」を再生していた。