内向的な「陽キャラ」だった 20歳までの俺と、外向的な「陰キャラ」になった 21歳の私。

おことわり

*おことわり: 「陽キャ(ラ)」「陰キャ(ラ)」という表現が頻出します。筆者としてはニュートラルな使用を心がけますが、これらの表現について好ましくないとお考えの皆様は閲覧を避けていただけるようお願いいたします。

内向的とは?

内向的: 【形動】心のはたらきが内向性であるさま。内気。「―な性格」(スーパー大辞林より)

一般論

一般的に「内向的」という言葉は「陰キャ」と、そして対となる「外向的」という言葉は「陽キャ」と結びつきが強いのは世間一般的である。しかし、私の人生を振り返るにこれらの価値観は逆転することもあるようだ。

内向的な「陽キャラ」だった 20歳までの俺

20歳までの俺は俗にいう「陽キャ」であった (と思う)。小学生の時は学校のサッカーチームに所属し、中学校では生徒会にも所属。高校時代は仲の良い友人と過ごす毎日。大学に入っても何かと活発に動いているタイプの人間だった。誰にでも好かれるタイプの人間ではなかったし、むしろ敵を作りやすいタイプの人間ではあったけど、それらも含めて「陽キャ」だったと言える。

ただ、「陽キャ」だった俺は実に内向的であった。内向的をすなわち自らの関心が自分に向かっていると捉えた時、当時の俺はまさしくそれにあたる。誰よりも自分が好きで、自分が世界の主人公で、周りの人は皆脇役だった。よく言えば自己肯定感の強い人間ではあるが、むしろ自己中心的なイタいナルシストだと思ってもらう方が適当だろう。誰よりも「かっこいい」俺のいうことにはみんなついてきてくれるし、俺といる時間は素晴らしい時間に違いないと信じて疑わなかった。勉強をしている自分が好きだから勉強をして、友達といる「陽キャ」な自分が好きだったから学校でも楽しく生きて、彼女といる自分が好きだから誰かと付き合っていたのかもしれない。全てのゴールは自分にあって、そのためにいろんなことに手を出してきた人生だった。もちろん、良いこともたくさんあって、客観的に見て顔面偏差値 (失礼) の高くない私が写真家の方からモデルのオファーを受けたり、素敵な人と過ごせる時間を謳歌したりできたのは圧倒的ナルシズムゆえの物だと信じている。

外向的な「陰キャラ」になった 21歳の私

しかし、新型コロナウイルスの流行だろうか?イランやインドでの経験だろうか?しっかりと定義することは難しいものの少しずつ自分の関心が自分以外の世界に広がってきている。Loohcs では教務やマーケティングに勤しみ、家では APEX や WoT (World of Tanks) を全力でプレイし、時には本当に会いたい人話したい人と少し出かけたり、電話をしたりして生きている。思うように成果を上げられなかったり、ゲームに夢中になったりしている自分はあまり好きではない。今までの自分にはあり得ない感覚である。ただ、Loohcs での仕事も、ゲームもそれ自体が好きなのは間違いない。これこそが自分の関心が自分以外に向いている外向的な状態であるのは疑いもしない。ただ、詳細はここでは省かせてもらうものの、「陽キャ」だった自分と比較すると「陰キャ」と言って差し支えないのも事実である。

21歳になり、22歳になる日も刻々と近づく私は間違いなく外向的な「陰キャラ」になってきているのだと思う。

P.S.

ちなみに一番変化したのは音楽の趣味かもしれない。洋楽を聞き、Martin Garrix の放つリズムに合わせて揺れる自分よりも、最近は麻婆豆腐さん (メンバーシップ登録もしている) の歌うグッバイ宣言だったり藤井風さんの歌う青春病だったりが好きになっている (リンクもつけているので是非聞いてほしい)。また、Vtuber 界隈にも割と興味があって、マーケティングの力をつけて Vtuber をプロデュースしたいという密かな野望を持っていたりもする。

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