2023/01/22


また随分期間が空いてしまった。

自分の思考を文字にしてアウトプットするのは本当にめんどくさい。

1つの文章を打ち込むのにも何度も誤字を打ち、書き直すはめになる。

そもそも始めるまでの腰が重いし、書き始めても集中力が続かない。

前回の続きを書いていく。

この体になって、やりたいこと、欲しい物、行きたい場所、会いたい人が何もない。

にも関わらず、日々、死ぬ程惨めな気持ちに頻繁になる。

さらに、原因となっている障害が回復することはない。

ならば、早く死んでしまいたい。

そう考えていた。

現在は上述したような考えではない。

「何が何でも死にたい。」とは思わない。

一方で、「明日死んでも別にいい」と思う。

おそらく、この障害がある体にある程度慣れてしまった。

それと同時に、健常者であった頃の、記憶や思考、感覚などの自分を形作っていたものを忘れてしまった。

自分にとっての「当たり前」の感覚が更新されてしまった。

だから、当たり前と現実のギャップに、精神的に苦しむことが少なくなった。  

ただ、数十年後に死ぬのであれば、それが来月でも、明日でも、一時間後でも変わりないと思う。

事件や事故で誰かが亡くなったニュースを見ると、「ああ、この人はちゃんと死ねたんだな。」とほんの少し羨ましく思う。

やりたいこと、行きたい場所、欲しい物、会いたい人がなにもないのは変わっていないから。

今後の人生は、死ぬまでの暇つぶしだと思っている。

じゃあ早く死ねばいいのにと思う自分もいる。  

体が不自由とはいえ、方法が全く無いわけでは無い。

何故、まだ死んでいないのかは自分でもよくわからない。

やりたいことが実はある。といったような前向きな理由ではないと思う。

死ぬのが怖い、痛い、苦しいのが嫌だ。のようなマイナスな理由だと思う。

自分の考えをこうしてアウトプットする作業を通して、その準備をしているのかもしれない。


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