働きたくない理由
近々、話さなあかん機会があるから、改めて考えてみる。
とはいえ、死にたいやつが働きたいわけないやろ。
と、言ってしまえばそれまでなので、いったん生きていかざるを得ないと仮定して。
逆に、生前何で働いていたかを整理する。
幸いにも、そこそこの大学に行けるだけの環境に生まれていた。
特に疑問を抱かずに、周囲の人間と同じように就活、就職した。
この時点での、働く目的は「金銭を得るため」だったと思う。
何年か働いて、最後の1、2年は働くことそのものが目的になっていた。
仕事が、面白く、好きになっていた。
上司や役員といった社内の人間、関係各社、消費者、自分が担当する事業に関わる様々な人間が、それぞれ何を欲しているのか。
なるべく深く考えて、推察して、それを満たすべく行動する。
それがはまっていれば、諸々うまくいく。
事業全体を背負ってるという責任感も相まって、非常に充実していた。
この時点では、働くことそのものが目的になっていた。
好きなことをやっているのと同じ感覚。
「金銭を得るため」をもう一段掘り下げると、「生活に必要な金」と「やりたいことやるための金」をそれぞれ稼ぐため。と言える。
前者については、日本国から、ありがたーい障害年金が出る。
切り詰めれば、最悪、貯金を少しずつ切り崩せば、生活費を賄うだけの金額は支給される。
障害年金に文句言うやつは全員首の骨折れろ。
お前らより絶対に俺の方が不幸やから。
後者については、もう必要なくなった。
本来、欲しいものを買ったり、行きたいとこに行ったりするための金だけれど、今の体で、欲しいもの行きたいとこ会いたい人やりたいこと、なんにもない。
仕事そのものが面白くてやってたって件については、もっとわかりやすい。
シンプルに能力がない。
指が動かないのが一番痛い。
アウトプットの量が健常者と比較にならないほど少ない。
人の欲を推察して満たす。仕事をするうえで、それを面白く感じていたが、やるための能力が圧倒的に足りていない。
そもそも、今となっては、誰かの欲を満たすことへのモチベーションが全くない。
自分より遥かに幸せな人達に、何かをしてあげたいと全く思わない。
自分の仕事に責任を持てない。
雨が降ったら家から出れない。
いつ、便や尿を漏らしているかわからない。
漏らしていたとして、自分で片付けることもできない。
こんな体でどうやって責任を持てるのか。
誰が信頼して仕事を任せるのか。
自分でも自分に仕事は任せない。
こんな感じで、働かないといけない理由、働きたい理由がない。
加えて、他の記事にも書いたかもしれないけど、社会と極力関わりたくない。
健常者を見たくない。
彼らの「当たり前の生活」を見たくない。
かつて自分が送っていた、今ようやく思い出さなくなったそれらを、目の当たりにしたくない。
何も見なければ、自分と比べることもない。
何もやりたいと思わなければ、できなくて惨めな思いをすることもない。
と、まあ何度考えても、働かない理由、働きたくない理由がそれぞれ明確にある。