おわりに(仮)
色々な形で連絡をいただいていながら、返せずにすみません。
2020年11月以降、LINE以外で、一切の連絡、返信、発信をしておりません。
LINEについても、ほとんど使用しておりません。
ついては、それ以外の形で、私の名義での連絡があった場合、私の意思に関係なく、私のなを騙って、無断でされたことになります。
理由は色々あります。
様々な連絡を返さなくなったタイミングで、近い将来自死することを決心していました。
受傷後6ヶ月を越えて、喪失した身体機能が二度と戻らないことが確定した時期だったかと思います。
それまでは、心のどこかでなおる怪我だと思っていました。
体に障害が残る可能性があると、頭で理解をしているつもりでしたが。
今振り返ってみれば、キューブラー・ロスの5段階のアレでいうところの、否認・怒り・取引の段階から、抑うつの段階へ移行したのがこのころでしょう。
自死するということが自分の中で決まっているのもあって、私を知る全ての人の記憶から消えてしまいたかったのです。
ほとんど価値がなくなった自分でもって、この世にありとあらゆる痕跡を残したくなかった。
また、自分が感じていた、絶望感、徒労感は他者に伝わることは無いと、ある出来事がきっかけとなり、確信したため、辛いだのしんどいだのその手の発信も控えておりました。
誰かに相談して状況が好転する類いのものでもなかったので。
一応、遺書のつもりでこの文章を書いてはいるのですが、なにを書いていいものかわかりませんね。
受傷後に考えたことや感じたことなんかは、NOTEにまとめてありますし。
以前の私をご存知のあなたからすると、私が自死を望んでいるという事実から、私の体に起きた変化が、いかに大きなものだったかを推察することができるかと思います。
彼が自殺を決心するということは、それほど大きい影響があったのだろう。と。
生きていればいいことがある、だとか、他にも障害を抱えながらも頑張っている人がいるだとか、なんも考えずに、クソみたいな陳腐な正論を押し付ける人たちとは違うと。
生きてるだけで丸儲けなんてことはないし、障害は不便で不幸です。
長所でも個性でもない、健常者の下位互換。
障碍者でも障がい者でもなく障害者です。
この体に起きてることが害じゃないならなんやねん。
碍って何。他どこで使う漢字なん。
話を戻します。
自死を決心した当時は、今後の人生を悲観していました。
この先、惨めで、辛く、情けないことしか待っていないと。
死んだほうがましだと。
将来を否定するために、そこから逃れるために、自死という手段をとるつもりでおりました。
説明が難しいのですが、そこから考え方は変わりました。
受傷以前の人生を肯定的に捉え、ある程度満足しているからこそ、胸を張って終わらせる。
今はそんな感じです。
「終活」をする高齢者や、引退を決意したプロ野球選手に近い心境かもしれません。知らんけど。
障害の影響を差し引いても、障害者を取り巻く環境はひどいもんです。
対等な人間として認識されることが、珍しいです。
自分の友人、同僚、家族にそんな対応すんの?っていう言動、行動をとられます。
そんな環境に身を置くことで、今までの人生がいかに充実して恵まれたものであったか、よくよくわかりました。
生前、インドに旅行に行った時と似た感覚です。
あのときは、日本がどれだけ恵まれた環境か痛感しました。
27年間の人生に点数をつけるとしたら、まあ、80点くらいはあるんです。
ベストではないけど、概ね満足はしています。
もっとやりたいこともいっぱいありましたけどね。
特に、ラスト1、2年は本当に充実していました。
自信の成長を日々感じられましたし、同時に、広がった視野で回りを見ると、自身にどれだけ知識や経験が欠如しているか思い知らされる。
その繰り返しが非常にしんどく、楽しかったです。
充実しているとはこういうことを言うのかと。
人生に概ね満足していると言えた大きな要因の一つです。
あなたとできた経験もそのなかに当然含まれます。
もう、あまり覚えていないかもしれませんが、感謝しています。
また、もっと長く過ごすことができればと残念に思います。
本当は深く関わりがある方々へ、個別に文章を書こうかと思っていました。
実際に少し書き出してもいました。
しかし、どうしても内容が重複する箇所が多分にあるため、このような形になりました。
社会的にはとっくに死んでいます。
今後、自死を決行するのか、それがいつになるのかはわかりません。
この文章を書いている現在は、近いうちに実施するつもりでいます。
明日なのか、来週なのか、半年後なのかはわかりませんが。
ありがとうございました。