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死ぬとか死にたいとか。

去年の10月31日におじいちゃんが死んだ。
通院帰りの玄関先で座り込んだまま
すーって死んでしまった。
来週の検査結果次第で透析かも、って
言われたすぐのことだった。
あぁ、嫌だったんだよね、そりゃ勘弁してくれよって結果見る前にさっさと逝ったんでしょう。おじいちゃんらしいよね。
って感じの人だったから、
むしろちょっと安堵もあった。
体格良すぎて棺に納まらないおじいちゃん、
あのね、この前うちのじいちゃんも
死んだんだよ。仲間にしてやってね。


3月26日。母親から「あのね、今おじいちゃん、亡くなった。これる?また連絡して!」
ってJKの昼休みの他愛もないLINE電話みたいなノリと勢いの電話が来た。傍に居た彼氏もビビるくらいの軽い電話。え?まじで?って。
前の晩が職場の飲み会で例に漏れずアホほど呑んだ酒が頭ん中をジリジリさせる最中、声色とは裏腹なヘビーな内容を理解するのに
とりあえず30分ほど時間をもらって、まぁそっからは怒涛のような帰宅準備に追われた。
春休みなのよ、飛行機のチケットが死ぬほど高額で心臓が苦しくなった。先週車検済ませたばっかだし、一括払いの保険の支払いした直後。それでもじいちゃんの為なら孫は飛んで帰る。

ざっと5時間かけて夜な夜な実家につけば、じいちゃんが仏間で寝てた。これがまた可愛い寝顔というか死に顔というか、お宅どちら様?ってくらいに小さくなって、私の知る限りのあのじいちゃんではない激可愛いじいちゃんが寝てた。救急搬送されて今日が山場って言われてから3年3ヶ月も耐えたじいちゃんに別れの感傷を抱くよりも先に親に呼ばれ明日からのスケジュールが発表された。

葬式すんのに130万ってなんなの?
花代だの籠盛りだの神仏の前でそんな極悪非道な金額チラつかせやがって正気なのか?
とは思った。思ったけど、大人なのでとりあえず母に5万ほど渡して祭壇を華やかにしてもらうことにした。とは言っても、じいちゃんってそーゆうことには無関心で何というか、浮世離れした人だったから、なんか全部家族の自己満だよなって。親戚の葬式に出るたび思っていたことだけど、葬儀場のあの司会者みたいな人の御涙頂戴な語りって全国共通なんだろうか。少なくともうちのじいちゃんはそんな感動を呼ぶようなそういうタイプじゃなかったはずだ。
寧ろ葬式で親類が集まるとか、泣くとか、そういうので心満たすような人じゃなかった。
指定ゴミ袋10枚700円が勿体無くて勝手に庭で火をつけた後消防車やパトカーを出動させるのが大得意だったじいちゃんが、自分焼く為に130万なんて絶対嫌がるだろうに。所詮残った人間の自己満なんだよな。弔いもクソもない。そもそも死んだら終わりでいいものを、死後のためとかメルヘン極まりない。そんなメルヘンなお話ならと思って、父が仕方なくオプションで付けた棺に敷く畳の裏が寄せ書きになってる仕様(8000円)の寄せ書き部分を、水彩絵の具で可愛いくド派手にお絵描きした。ばあちゃん、母、叔母、私でゲラゲラ爆笑しながらめちゃくちゃ描いた。じいちゃんの真横で2時間くらい腹が捩れるくらい爆笑した。
叔母は平気でじいちゃんの頭に屁をかますし、ばあちゃんは少し失禁した。笑すぎだ。

翌日はお参りに来る人に悲しげな雰囲気で挨拶をして、茶菓子や韓国から戻る叔母の部屋の支度、買い出しでぐったり疲れてそのまま通夜。
ここは田舎。知らない人がとめどなく式場に来た。兄と2人、大きくなったわねと言いながら近寄ってくる知らない人らの対応に追われ、じいちゃんの兄弟夫婦の対応に追われ、いい加減にしてくれよなと思いながらなんとか任務を遂行した。そうだよな、92歳のじいちゃんの兄弟なんだから揃いも揃って後期高齢者。参列者も同様で両親に初めて私の仕事ぶりを褒められた。やっぱプロは違うね、老人様が嬉しそうだった!との事。じいちゃん、孫はやっと介護福祉士としてあなたのお役に立てましたよ。あなたの無茶苦茶すぎる弟4人とその嫁さん子供、ほんまに無茶苦茶やで。
せめて読経中は黙って座っていて下さい。
23時、韓国から駆けつけた叔母の迎えに行き、一旦帰ったと思ったら「私お父さんと一晩語り明かしたい」の一言で再び葬儀場にあっしー。次の日早いのに限界まで足となった一日だった。
葬式は滞りなく、姦しいおばあ3人にイライラしながらも無事終了して火葬場に行く道中は祖父が亡くなったとは思えないほど遠慮も涙もなにもなく爆睡。あと数時間後にはまた宮崎に戻らないとな、なんて事しか頭になかった。
3年3ヶ月のあいだ口から物を摂ることがなかったじいちゃんは、それでも1時間半程かけてホカホカの白い骨になって小さい壺に納まってしまった。

よく晴れていた。桜も満開で鳥はいじらしい声で喧しく鳴いていた。

92歳。私はやっと今年で30歳。
死にたいと思う日が何度もあったし、死ぬほかないだろう出来事も恐ろしく寒い夜も嫌という程に超えてきたと思っている。
もっと言えばあの日ちゃんと死ねばよかったのにな、と未だに後悔する事だってある。

じいちゃん、私はそんなに生きたくないのさ。
本当のところ、じいちゃんはどうだったの?
意思も伝えられず、ご飯も食べられない、涙も笑顔も忘れた3年3ヶ月は、どうだった?

式が終われば兄に飛ばしてもらって駅に行き、
さっさと飛行機にのって夜には宮崎に戻り、翌日からはまた介護施設で捨て駒のように働く。
そんな私の職場ではY氏(89歳女性)が先日起こした自殺未遂騒動でいまだにソワソワしているわけだが、自殺未遂事態を否定するつもりなんて特に私は微塵もない。勿論、職場的には面倒な騒動は心よりごめんあそばせではあるが、89歳にもなって自分の好きにさせてもらえない人生とは一体何なんだろうか。
「あんた達は私の命なんてどうでもいい、ただ名誉のためにハサミを取り上げたんだろう」と、自身で左手首をかすめた鋏を我々に全てまるっと没収されたことにブチ切れているY氏に
当たり前でしょ。と一言かえせば、「え?ほんとうに?」と表情を一変させるところが寂しがりやの人間味たっぷりな可愛い彼女だが、それはそうだろう。
ひっそり死のうとする人なんか救えるわけもないし、死にたい人のその気持ちを他人が拒否するのは如何なものか。そうだ、お前は何様なんだと私も彼に言ったことがある。明日のデートを楽しみに夜を過ごす人には、おそらく翌日ハッピーな1日が訪れるだろうし、今夜の晩御飯を心待ちにする子どもには、きっと母親がご馳走を振る舞うだろう。それと同じことじゃないのか。もう死のう、頑張った。死にたいんだと首に手を回した人にはなぜ望みの未来が来ないのか。なぜ他人が口出すのか。
死にたい人は死ねばいい。明日デートの予定がある人はムダ毛を処理したらいい。

年寄りは可哀想、初めてそう思った。
自分で思うように生活出来ない人の助けをしたい気持ちもあって介護福祉士になったわけだが、死にたい人を止める役目もあるとは思っていなかった。まあY氏に関しては、痛み逃れの浅はかすぎる(傷なんて紙で切った時より浅かった)ものではあるが、例えば私ならそんなに痛けりゃ黙ってロキソニンを飲んでいたけど、施設に入れられた年寄りはそんな自由はない。薬なんて自分で持たせてもらえない。
その結果がこの大騒動に発展してしまうのだ。
ああ、本当に可哀想で仕方がない。

綺麗な時に死にたい、今でもいい。
私には高齢者になれそうにない。
だからこそ福祉に従事して高齢者を尊敬しながら張り付いた満点の笑顔で働けるのかもしれない。
じいちゃんは本当に92歳まで生きたかったのかな。
葬式、嬉しかったのかな。130万…。
幸せだったんなら別にいいけど。

おじいちゃん、こっちのじいちゃんも死んだよ。わりと早いうちに私もそっち側に行く予定ではいるんだけど。
その時はちゃんと仲間にしてよね。

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