”犬の道”とは何か:それは”ベタ思考”を生きることである(イシューからはじめよ再訪)
『イシューからはじめよ』のおさらい
安宅和人『イシューからはじめよ』をお読みになった方は多いと思います。メッセージはシンプルで、全ての課題は”イシュー度”と”解の質”という2つの軸で分類され、両者のスコアが高い課題にこそ解決する価値があるというものです。
解決する価値がある課題に到達するためには、テクニカルには2つの道筋があります。一つは”解の質”を上げてから”イシュー度”を上げる、もう一つは”イシュー度”を上げてから”解の質”を上げる、です。そして、安宅は前者の道筋を”犬の道”と呼び、これに陥ることを徹底的に避けるべきであると主張します。
理由は至ってシンプルで(蛇足ですが、この本のすごいところはすごくシンプルなのに本質的なことを言い当てている部分にあると思います)、世の中には本当に解く価値のある課題や問題は極めて少なく、イシュー選定を誤り続ければほとんどの課題解決は徒労に終わると安宅が考えているためです。重要なのは、まずはイシューとしての重要性が高いものを見極める能力であり、解決策を磨くのはその後である、ということです。
この著書の元となった安宅のブログ記事は、彼の生産性に対するエッジの効いた考えのエッセンスを凝縮したものになっており、これだけでも大変参考になるので一読をお勧めします。
『イシューからはじめよ』は脅威のロングセールを記録し、出版から十年以上経った今でも書店のビジネス書棚に所狭しと陳列され続けています。関連本も雨後の筍の如く出版されていますし、「イシュー」という単語を利用(濫用?)するビジネスパーソンの数も劇的に増えました。
全くの蛇足ですが、私は学生時代に数奇な縁で、この本のウン十万部突破記念の中刷り広告の宣伝コピーを書く機会をいただいたことがあります。これからはイシューからはじめます!とか、訳のわからない勢いだけの言葉を出版社に出した記憶があります。チャランポランな大学生にまで届いていたのですから、本当にめちゃめちゃ売れていた(いる)のでしょう。
安宅の功績によって、イシューとそれを巡る思考様式が人口に膾炙したのは大変喜ばしいことです。しかし、私は安宅の指摘したことの中であまり光の当てられてこなかった部分にこそ、最も重要な示唆があったのではないかと考えています。
それは”犬の道”とは何かということなのです。
”犬の道”とは、シングルループ学習への過剰適応である
安宅がわざわざ著書の中で否定しなければならなかった”犬の道”とは、要するに「問題の重要性を重視せずに、その最適解を出すことにだけ専心する態度」のことを示しています。私なりに経営学の語彙に近づければ、これはシングルループ学習への過剰適応状態と言い換えることができそうです。
シングルループ学習とは、ある特定の条件における最適な結果を生み出すための学習行動のことです。これは条件そのものに対する批判や内省を踏まえて、行動の枠組みや前提自体を洗い替えするダブルループ学習との対比で考えるわかりやすいのですが、要するに、シングルループ学習=犬の道とは、前提に対する批判的思考を欠いた学習や最適化を指しています。
わかりやすい例でいうと、現状の日本における受験勉強はシングルループ学習の最たるものだといえるでしょう。制度化された試験の出題形式における得点最大化に最適化した学習を、どれだけ効率的に実施できるかということが、少なくとも高等学校までの青少年の知力を測る唯一の物差しです。各校の出題形式(=前提)が少しでも変われば受験業界は上から下まで大騒ぎなのは、みなさんよくご存知のことでしょう。
一方で、大学入学以降の勉強は全てダブルループ学習です。あらゆる学問は、その体系が前提としている何らかの理論や背景に対する批判的思考を養成することを求めます。社会学であれば、”社会概念”を成立させる近代化への再帰的な思考を必要としますし、経済学であれば”自由主義経済”を成立させる契約概念や自由概念の成り立ちまでを学びます。こうした前提に対する批判的思考=メタ思考が自身の行動/学習に環流することで、これまで当たり前のものとして捉えてきた”教科書的な現実”の見方をガラッと変えてしまうことに高等教育の真価があります。
日本人がシングルループ学習に過剰に適応した結果、第二次世界大戦に敗戦したというのは、経営学者の野中郁次郎が日本の戦史研究の中で示した非常に重要な示唆でした。日露戦争以来の世界観=前提が更新されないままその前提に最適化し続けた結果、日本軍は徹底的な敗戦を迎えます。白兵戦中心の戦略、制空権の軽視、現地調達を是とした兵站の軽視、科学的根拠に乏しい精神論、エトセトラ、これらが歴史の中で一定期間効力を発揮した最適化戦略であったことは論を待たないものの、ゲームの前提が書き換わったことを認知する機を逸したことに、野中は日本軍の敗戦の契機を見出します。
野中は80年代初頭に、シングルループ学習への過剰適応は戦後も続いていると喝破し、それが原因で日本経済は競争力を失うと予言しています。事実がどうであったかは皆さんの解釈に委ねますが、このような経営学的なコンテクストを踏まえて読むと、安宅が”犬の道”と呼ぶものは、日本人の”シングルループ学習への過剰適応”への批判的な言及であり、”価値ある課題”に至るために必要なのはダブルループ学習であると読み替えることには、ある程度の妥当性があると考えられるでしょう。
”犬の道”とは、メタ思考の欠落した最適化である
もう少しわかりやすい語彙を使えば、”犬の道”とはメタ思考を欠いた最適化行動のことを指します。これでもわかりづらいかもしれませんので、いろいろ具体的な状況に言い換えてみましょう。例えば、とても理不尽なゲームのルールのなかで、そのルールを守るためにひたむきに頑張ること。例えば、誰が何のためにやっているかわからない制度や業務であっても、忠実に従い効率的に捌こうと創意工夫を凝らすこと。例えば、誰かが上流で捨てているゴミを、下流でひたすらに拾い集める環境清掃ボランティアに精を出すこと。
文字面だけ見ると、ゲームのルールを変えようとか、制度や業務そのものの正統性を問い直そうとか、そもそも上流でゴミを捨てている人の行動を規制しようという発想が生まれないのを不自然に感じるかもしれません。しかし、現実ではこのようなことは頻繁に起こっています。
それは、情報的/物理的制約の中で人間が発揮できる合理性が限定されている以上、仕方のないことです。メタ思考は認知資源のリソースを過剰に占有します。状況そのものに最適化することで、多くの場合人は自分の認知資源を使い切っています。これを批判したところで、生産的な会話をすることは多くの場合かないません。私を含め、圧倒的多数の人が、現実を取り巻く状況に対して最適化することに認知資源の大半を充当しながら”犬の道”を生きているのが事実だと思います。
”犬の道”とは、ベタ思考を生きることである
自分の置かれている状況に対して最適化することで認知資源を使いきり、メタ思考を行うリソースが残っていない状態を、私は「ベタ思考」を生きている状態と呼びます。メタという接頭辞に本来対義語はありません(強いていえば無接頭辞)が、「ベタ」という単語はあえてこの無印な状態を粒立てて可視化するにはお誂え向きだと考えます。
つまり、以下のような整理ができるということです
「ベタ思考」を生きる=シングルループ学習への最適化=犬の道
「メタ思考」を生きる=ダブルループ学習への最適化=イシューへの到達
「メタ思考」を徹底するには卓越した技術が要求されます。実際、安宅の著書は良質なメタ思考を体得するために必要な訓練や心構えを解くことに大半の紙幅が割かれています。このような高度に知的な営みを継続的に実行できる人だけが、本当に価値のある課題を解決するに足る能力を持っているというのが安宅の結論です。
本当に解く価値のある”イシュー”とは、ベタ思考を生きる人が最大限価値発揮できる環境を作りあげることである
私は「メタ思考」によって解決すべき重要な課題を、「ベタ思考」を生きる人々が、最大限の価値発揮が可能になる環境を整備することにあると考えます。つまり、多くの人々が批判的思考/ダブルループ学習を実践せずとも、すなわち”犬の道”を行きながらでも、総体としての価値発揮の総量を最大にするような仕組み、制度、環境を作ることです。
ルールや前提、枠組みが、それに対して最適化すれば、総体としての価値総量を最大化するように働くことを担保し続けること。集団で何か意味のあることをなそうとすれば、常に私たちはGoing Concernを考慮する必要があります。すなわち、集団がどのように「持続的」に競争的かつイノベーティブであり続けるかを思考せねばなりません。私にとって最も「持続的」な集団とは、優れた前提=ルール=枠組み=ベタ=犬の道を持つことが不可欠です。これを設計し続けることこそが、「メタ思考」によって解決すべき最も重要な課題であるように感じます。
斯様な前提とは、根幹たるミッションやビジョン、戦略、規程、業務フロー、コミュニケーションルール、評価にはじまる人事制度など、個人の活動を規定する一つ一つの約束事=ゲームルールに宿ります。これらの一つ一つに盲目に最適化することは、安宅のいう”犬の道”であることに間違いはないのですが、しかし、”犬の道”自体を価値あるものに至る道筋として整備できていれば、人々がベタ思考のままでも価値総量を最大化することができるはずです。そのような思想のもとで、リーダーは”犬の道”自体を価値ある課題に至るものとして整備することに注力するべきなのではないでしょうか。
まとめ
まとめます。安宅の図式における本当に価値のある課題とは、イシュー度の高い問題の選定と解決策の洗練という順番で発見・解決されるべきものです。イシュー度の高い問題の選定には、既存の前提に対するメタ思考とダブルループ学習が求められます。メタ思考を欠いた状態では必然的に既存の前提に対する最適化に全ての認知資源が充当されるベタ思考状態となり、人は犬の道(安宅の言うところの「解く価値のない課題を解き続けている状態」)を辿る運命にあります。
私はこの見立てに対して、本当に価値のある課題とは、人々がベタ思考のままでも総体としての価値発揮が可能になる前提を作り出すこと=価値ある課題に至る犬の道を整備することにあると解釈し、それこそが企業組織におけるリーダーの最も重要な役割であると考えます。そのような前提を作り出すために必要な個々のゲームルールについて、鍛錬し思考し続ける知的体力を養うことを、己に課していきたいと強く考える所存です。