『評論家』という単語を揶揄的に用いることは適切ではない
評論家という単語を「口先ばかりで実際に手を動かさない人」という意味で揶揄的に利用するケースをよく耳にしますが、私は、それは2つの意味で間違っていると思います。
このエントリでは、評論家という単語が如何に通俗的に誤用されているかを概説した上で、指示内容をより適当に示すと私が考える単語を提示します。
➀そもそも評論家の仕事は、「口先」=「言語」を利用して、世相を切ったり新たな視点を提供したりすることにあるから、批判の意図(やるべきことをやっていない)にそぐわない。
ここでは、『評論家』という単語を使って伝達したい批判の内容が「口先ばかりで実際に手を動かさない人」という意味、更に言語化を進めると「手を動かす責任を有しているにも拘らず、実際には口先ばかり達者である」という態度、すなわち「本分を果たしていない癖に一人前の口を叩いていること」を批判する意図で利用されていることと仮定します。
そのように仮定すると、評論家が口先ばかりであることの何が批判されるべきなのでしょうか。彼らはきっちりと本分を果たして、得るべき対価を得ているのではないでしょうか。仮に、評論家としての実力が不足しているくせに、口先だけ立派なことを言う人間を批判する言葉があったとして(なんでしょう…エセ評論家とかですかね)、それがビジネスの世界に転用されているのであればまだわかります。そうではなく、ただ「評論家」という単語のシニフィエをもって、先ほど定義したような人間の態度を批判するのは、やはり適切でないと感じます。
➁仮に評論家の仕事内容を揶揄の対象としているのであれば、それは「職業差別」に当たるので不適切である。
もし仮に、評論家の職業倫理であるところの、 ”言語を利用して、世相を切ったり新たな視点を提供したりすること” という内容そのものが、「世の中に不必要でなんらの価値も提供していないのだ!」という意図で、この単語を揶揄的に利用しているのであれば、それは職業差別に該当するのではないでしょうか。同じようなことを、別の職業に対して充ててみればわかると思います(あまりにもおぞましいので例示することもしたくないですが)。どんな仕事にも価値がある(需要があるから対価が発生する)ということは、ビジネスの世界に共通している認識というか美徳みたいなものではないでしょうか。
じゃあどんな単語を使ったらいいわけ?
とはいえ、いわゆる「評論家」っぽい人を批判したい気持ちはみな同じ。なにか、自分の本分を果たさないくせにやたらと偉そうな人を批判するためのいい単語はないものでしょうか。
実は、あります。それは、”陸サーファー”です。
陸サーファーは、BILLABONGのショーパンとかを履いて、サーフボードを片手に由比ヶ浜あたりをうろついて、誰彼問わず捕まえては「波がどうのこうの」と騒ぎ立てるくせに、一向に沖へ出ていかない人々を指す言葉です。夏場の湘南で山ほど見つけられます。
まさにサーファーとしての本分を果たしていないくせに、口先ばかり達者で不格好な人たちです。こればかりは、同情するべき余地もありません。
なので、評論家という言葉で他人を批判したくなってしまう諸兄には、”陸サーファー”というより御誂え向きな単語を使用することを、個人的には強く奨励したいと思います。